46‐5.絶対に出ません



『……マティルダお婆様、クライド隊長』



 わたくしは、ソファーに座るおふたりを、窺います。



『本当に、レオン班長はリビングにいらっしゃるのですか? こんなにも探しているのに、影も形もないのですが』



 シロクマの耳が、自ずと垂れ下がっていきます。尻尾も元気がありません。

 しょぼくれるわたくしを、マティルダお婆様はそっと撫でてくれました。




「大丈夫だ、シロ。レオンはきっと見つかる。諦めずに探してみろ。なぁ、クライド?」

「……まぁ、見付かるっちゃー見つかるんじゃねぇの」

『ですが……これ以上、どちらを探せば良いのやら……』

「お前が探していないところが、まだあるかもしれないぞ? ほら、考えてみろ」

「……まぁ……頑張れよ」



 そう言われましても、何をどうすれば良いのでしょうか。わたくしが探していない場所など、最早ないと思うのですが。



 一応、再度リビングを探索してみますも、どこもかしこも、一度は見ている場所ばかりです。いくら頭を捻ったところで、新たな隠れ場所など思いつきません。一体どうしたら、と途方に暮れるばかりです。




 そもそも、何故レオン班長はいなくなってしまったのでしょう。何故戻ってこないのでしょう。



 わたくしが、こんなにも探し回っているというのに。



 こんなにも、呼んでいるというのに。




『……ぐす』




 レオン班長にとって、わたくしはその程度の存在だということなのでしょうか。



 そんな考えが頭を過ぎった瞬間。視界が、ぐにゃりと歪みました。お顔も、同じように歪んでいきます。

 シロクマの耳と尻尾は、見る間に力を失っていきました。わたくしの意志とは関係なく、喉が引き攣り、嗚咽が込み上げます。




『レオン班長ぉ……』



 ギア……とか細い声が、零れました。語尾が高く引き絞られ、消えていきます。

 目の縁に水分が溜まり、鼻の奥も湿ってきました。四肢へ震えが走ります。喉も震え、ひぐ、と妙な音を立てました。



 レオン班長。

 声にならぬ声で、もう一度、呼びます。



 早く帰ってきて下さい。そんな祈りを、強く込めながら。




 すると。




『うぇ?』



 わたくしの体が、突如宙に浮きました。背後から、どなたかにちょいっと持ち上げられたのです。

 マティルダお婆様ではありません。クライド隊長も違います。おふたりとも、わたくしの目の前にいらっしゃいますもの。



 ならば、一体どなたが。

 そう思っておりますと、不意に視界が反転しました。



 わたくしの眼前へ、立派な胸筋が広がります。



 あまりの立派さに、思わず前足を置いてしまいました。揉むと、柔らかくも張りのある筋肉が、わたくしの肉球を跳ね返します。

 伝わってくる感触と温もりが、わたくしへ安心感を与えました。込み上げていた悲しみも引っ込みます。



 半ば無心で前足を動かすわたくしの頭上から、ふ、と笑うような吐息が、落ちてきました。

 反射的に、お顔を上げます。




『あ……』



 マフィアが如き強面と、目が合いました。毛のない眉が寄せられ、深い皺を刻んでいます。頭の上では、ライオンさんの耳が揺れていました。

 その姿に、わたくしの涙腺は、またじんわりと緩んでいきます。ふぐぅ、と喉が鳴ったかと思えば。




『レ、レオン班長ぉ……っ。レオン班長ぉぉぉぉぉーっ!』




 わたくしは、ようやく見つけた飼い主へ、しがみ付きました。




『もうっ、どちらへ行っていたのですかっ! わたくし、沢山探したのですよっ! こちらで待っていて欲しいと頼んだではありませんかっ! いきなりいなくなるだなんて、酷いですっ! もうっ、もうっ!』



 前足が、唸りを上げます。えいえいとお胸を叩いた後、怒りを込めて、これでもかと揉んでやりました。



 荒ぶるわたくしを、レオン班長は、上下に揺らして宥めようとされます。頭や背中も、沢山撫でて下さいました。その眼差しは、まるで謝っているかのようです。



 が、しかし。

 これしきでわたくしが許すと思ったら、大間違いですよ。




『レオン班長っ! 本日はもう、わたくしをずっと抱っこしていて下さいっ! 下ろしては嫌ですよっ! ぎゅっと抱き締めても下さらないと嫌ですっ! さぁっ、早くぎゅっとして下さいっ! ぎゅっとですよっ!』



 ギアッ! と眦を吊り上げ、レオン班長を睨みます。

 言っておきますが、交渉しようなどと思わないで下さいよ。わたくし、己の要求を曲げるつもりはございませんからね。全て受け入れて下さるまで、許してなんか差し上げませんからねっ。ふんだっ。




「おぉ、ようやく見つけたか。良かったな、シロ。レオンと再会出来て」

「……いや。そもそも見付からなかったのは、レオンのせいだろうがよ」

「見ろ、クライド。あんなにレオンの胸にしがみ付いているぞ。相当寂しかったんだな」

「……いや。その寂しがってるのを、レオンは後ろからにやにや見てたけどな」

「しかし、シロは随分と鈍感なんだな。真後ろにいるレオンに、一切気付かないんだぞ? いくら子供と言えど、あんなに気付かないものか? シロクマとして大丈夫なのか?」

「……いや。シロの心配の前に、まずはレオンを注意しろよ。あいつがシロの死角に回り続けて遊んでたから、こんなことになってんだろうが」

「確かに、レオンの有り余るポテンシャルを駆使すれば、大抵の者は後れを取るだろう。だが、それにしては些か察しが悪くないか? あれでは敵に背後を取られ放題だぞ」

「……いや。別に背後くらい取られたっていいだろ。シロはペットなんだからよ」

「何を言う。もし私が誘拐犯ならば、真っ先にシロを狙うレベルの能天気さだったではないか。祖母として、非常に心配だ」

「……いや。誘拐犯目線で話すか、祖母目線で話すか、どっちかにしてくれよ」



 クライド隊長の大きな溜め息が聞こえました。

 そうですよね。レオン班長の行動には、呆れてしまいますよね。わたくしも、これでもかと盛大に息を吐き出したい気分です。



 むんと口を曲げ、わたくしはレオン班長の体をよじ登りました。首元から、上着の中へ潜り込みます。




『わたくし、本日はこちらで過ごしますのでっ。必要に迫られない限りは、絶対に出ませんのでっ。よろしいですねっ、レオン班長っ!』



 わたくしの宣言に、レオン班長は、分かった分かった、とばかりに、背中をぽんぽんと叩いてくれました。上着からわたくしを引っ張り出そうとせず、好きにさせて下さいます。



 上着の首元からお顔を覗かせれば、レオン班長と目が合いました。眉間の皺が、心なしか薄い気がします。口元も緩やかと申しますか、若干口角が上がっているよう見えました。

 苦笑じみた表情に、わたくしの留飲も、ほんの少しばかり下がります。



『まぁ、ほんの少しだけですけれどねっ。わたくし、まだまだ許しておりませんからねっ』



 わたくしがどれだけ傷付き、悲しんだのか、レオン班長にはしかと理解して貰わなければなりません。

 今後二度とないよう、深く反省して頂かなくては。




『いいですか、レオン班長。わたくしを置いて出掛けてはなりませんよ。出掛ける際は、わたくしも連れていくか、一言言ってから離れて下さいね。先程のように、無断でいなくなっては駄目ですよ。よろしいですね。それから――』



 わたくしは、鼻息荒く言葉を紡いでいきます。レオン班長が決して忘れぬよう、わたくしの想いと共に刻み込むが如く、お胸も揉み込みました。

 その度、レオン班長はライオンさんの耳を、返事代わりに揺らします。わたくしから目を離しもしません。



 よしよし、と内心頷き、わたくしは一つ息を吸います。そうして、一層言葉を尽くしながら、前足を遺憾なく唸らせるのでした。



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