46‐3.抱っこをして下さい
『レオン班長? どちらへ行かれるのですか? レオン班長?』
すかさずソファーから降り、わたくしはレオン班長を追い掛けました。リビングを出て、廊下を進んでいきます。
『お部屋に戻りますか? それともお風呂ですか? 買い物へは行きませんよね? 買い物ならば、わたくしも連れていって下さいますものね? 置いていくなど、しませんよね? ね?』
ギアーギアーとお話しながら、レオン班長の後ろを付いていくこと、数十歩。
つとレオン班長が、立ち止まりました。
目の前のお手洗いの扉を、開きます。
……成程、お手洗いですか。ならばわたくしをソファーへ下ろしたのも、致し方ありません。子供と言えど、わたくしは淑女ですもの。流石に付いていくわけにはいきませんね。
バタンと閉じた扉と、中へ消えていったレオン班長を見送り、一つ頷きました。扉の脇へ腰を下ろし、レオン班長を待ちます。
『……まだでしょうか』
ちらりと扉を見やり、様子を窺いました。うんともすんとも聞こえてきません。まぁ、聞こえてきても困るのですが、しかし、それにしては少々時間が掛かっているよう思えます。
大きい方なのでしょうか? それとも、小さい方が大量に溜まっていたのでしょうか? コーヒーには、利尿作用があると言いますからね。もしやそのせいかもしれません。
そわそわとお尻を揺らしつつ、お手洗いの扉を見つめます。逸る気持ちをどうにか堪えていると、ふと、水の流れる音が小さく上がりました。
わたくしは、咄嗟に腰を浮かせます。
ほぼ同時に、お手洗いの扉が、開きました。
『おかえりなさいっ、レオン班長っ』
現れたレオン班長を、ギアーとお出迎えします。シロクマの尻尾も、盛大に振りました。
『お疲れ様です。すっきりしましたか? 大分時間が掛かっていたようですが、お腹の調子は大丈夫ですか?』
レオン班長の後ろを、またついていきます。
レオン班長は、お手洗いのすぐ隣にある、脱衣所へ向かいました。洗面台で手を洗い、タオルで水滴を拭きます。
『レオン班長、洗い終わりましたか? 隅々まで石鹼で洗いましたね? 汚れはしかと落としたのですよね?』
レオン班長の足元に寄り添い、じーっと見つめました。
わたくしの視線を感じたのか、レオン班長はこちらを見下ろします。ライオンさんの尻尾を一つ揺らし、タオルから手を離しました。
すかさず、わたくしはレオン班長の足を、前足でぽんと叩きます。
『レオン班長。用事を終えたのならば、わたくしを抱っこしては頂けませんか? わたくしは今、猛烈にレオン班長に抱っこをして貰いたいのです。お願いします』
肉球を押し付け、にっこりと微笑み掛けました。
「……何だよ、シロ」
レオン班長の口角が、俄かに持ち上がります。身を屈め、わたくしの頭を二度三度と撫でました。
しかし、抱っこはして下さいません。
曲げていた腰を伸ばし、歩き出してしまいます。
『レオン班長? レオン班長、聞こえておりますか? わたくし、抱っこをして頂きたいのですが。レオン班長ー? おーい』
後ろから訴えますも、レオン班長は振り返りません。リビングへ戻ると、先程まで座っていたソファーに座り直しました。
わたくしもソファーへ登り、レオン班長の膝の上に乗ります。
『レオン班長。抱っこをして下さい』
じっと見つめれば、レオン班長もわたくしを見つめ返しました。かと思えば、両腕でわたくしの体を引き寄せ、ぽんぽんと背中を叩きます。
ようやく求めていたものを得られ、わたくしのお顔は自ずと緩みました。額を胸筋に、うりうりと擦り付けます。
「見たか、クライド。シロが、レオンの後を追い続けた挙句、自ら膝へ乗り上げたぞ。それだけレオンと一緒にいたいということだな」
「……いや。あれは単に、レオンが大人気ねぇだけだろう。見ろよ、あのにやけ面。絶対わざとシロに追い掛けさせてたぞ、あれ」
「む、そうか? 私の目には、大変可愛らしい追いかけっこに見えたが」
「どこが可愛いだ、どこが。よく見ろ。腹立つくらいにやけてんだろうが」
レオン班長は、再びコーヒーを飲み始めました。あまり飲んでは、またお手洗いが近くなってしまうのでは、と心配になります。反面、水分は適度に取らなければいけません。脱水症状を起こしてしまったら、それこそ心配です。
『ですので、レオン班長。ここは一つ、お水にするというのはいかがでしょうか? お水ならば、コーヒー程の利尿作用はないのではと、わたくしは考えるのですが』
どうでしょう? と首を傾げ、レオン班長へ提案をします。
レオン班長からの返事はありません。コーヒーを飲む手も止まりません。どうやら今は、コーヒーを飲みたい気分なようです。残念ですね。
ならば、少しでも飲むペースが緩やかになるようにと、わたくしはレオン班長の手へじゃれつきます。物理的に押さえてしまえば、カップを持つことは出来ませんもの。
『えいえい、えいえい』
「……シロ」
『このこの、このこの』
「……何してんだ、お前」
『あ、わたくしのことは、お気になさらず。えいえい、このこの』
「…………ふ」
『あっ、何をするのですかレオン班長っ。止めて下さいっ。わたくしをひっくり返さないで下さいっ』
膝の上に転がされ、慌てて起き上がります。ギアーと抗議しつつ、レオン班長の腕に再び抱き付きました。
えいえいと押さえ込むも、レオン班長は、空いている手でまたしてもわたくしを裏返します。お腹も、こしょこしょと擽りました。
『うふふっ。や、止めて下さい、レオン班長っ。困りますよっ、もうっ。うふっ、うふふふふっ!』
四肢をぱたぱたと暴れさせては、迫りくるレオン班長の手から逃れようともがきます。しかし、特別遊撃班の長をしているだけあり、非常に手強いです。わたくしの死角を狙っては、つんつんこしょこしょと攻撃を仕掛けてきました。わたくしも負けじと前足を伸ばしますが、凌ぎ切れません。
『えいえいっ、このこのっ』
「……ふん」
『むむっ、やりましたねレオン班長っ。ですがわたくしも負けませんよっ。えいやぁっ!』
「……おら」
『あぁーっ!』
ころりんと、あっさりひっくり返されてしまいます。しかも今度は、左右の指を使って、お腹を中心にこしょこしょこしょーっと擽られました。
『うふっ、うふふふっ! や、止めて下さいっ! 止めて下さいったらっ! レオン班ちょ、うっふふふふっ!』
レオン班長の膝の上で、わたくしは盛大にもんどりを打ちます。笑いすぎて、涙も出てきました。呼吸も苦しくなります。
そんな身悶えるわたくしを、レオン班長は大層楽しげに眺めました。まるで、溺れる人間へ手を差し出しもせずに見物しているマフィアが如き笑みです。凶悪すぎて、ペットと戯れているようにはとても見えません。
『もうっ! そちらがその気ならば、わたくしにも考えがございますよっ!』
わたくしは体を反転させ、素早く匍匐前進をしました。低い姿勢を保ったまま、レオン班長の上着へ頭を突っ込みます。もぞもぞと中へ潜り、全身をすっぽり覆い隠してしまいました。
上着の首元から覗くレオン班長へ、ギアーと笑ってみせます。
『どうですかっ。こうしてしまえば、もう手出し出来ないでしょうっ』
ふんすと鼻を鳴らし、シロクマの耳もぴんと立たせました。
するとレオン班長は、まいったまいった、とばかりに、上着の上からわたくしをぽんぽんと叩きます。かと思えば、上半身を後ろへ倒しました。自身のお胸に凭れさせるように、わたくしを抱えます。
わたくしの口から、うっふっふ、と勝利の微笑みが零れました。勝った喜びだけでなく、己のファインプレーにも、ついついほくそ笑んでしまいます。
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