46‐1.再びお見送りです
「……シロ……」
レオン班長が、わたくしをじっと見下ろします。相変わらずの強面です。約一か月ぶりに実物を見ましたが、その厳つさは、遠征に向かう前と大差ありません。
しかし、纏う雰囲気は、違いました。
表情も、若干違います。
唇をひん曲げ、毛のない眉を吊り上げ、まるで暴走する寸前のマフィアが如き形相です。
けれどその眼差しは、非常に苦しげでした。ライオンさんの耳と尻尾も、元気がございません。
わたくしの耳と尻尾も、力なく項垂れております。声を出そうとすると、口の端が戦慄きました。
ですので、代わりに微笑んでみせます。少しでも安心して頂けるよう、一生懸命口角を持ち上げました。尻尾も振って、レオン班長の足へ、額をうりうりと擦り付けます。
レオン班長は、一層苦しそうに毛のない眉を顰めました。そっと身を屈め、わたくしの頭を撫でて下さいます。
「………………いってくる」
いってらっしゃい。心の中でそう返し、大きな掌へ、二度三度と自慢のもふもふを押し付けます。
レオン班長は、名残惜しそうに手を離しました。もう一度わたくしを見つめ、それから、ゆっくりと踵を返します。
遠ざかるレオン班長の背中を、わたくしはじっと見つめました。
すると、段々と景色がぼやけてきます。レオン班長の姿も、少しずつ歪んでいきました。唇の戦慄きは激しくなり、足も小さく震えます。
鼻の奥から流れてきた水分を啜り、わたくしは一つ、しゃくり上げました。
『レ……レオン班長ぉ……』
ギア……とか細い声が零れます。わたくしは、咄嗟に瞼と唇を固く結びました。これ以上溢れ出てしまわぬよう、大きく息を吸い込みます。
瞬間。わたくしの体が、勢い良く引っ張られました。
かと思えば、温かく柔らかなものに、包み込まれます。
親しんだ匂いもしました。
わたくしは、そっと目を開きます。
「っ、シロ……ッ」
レオン班長が、いらっしゃいました。わたくしをかき抱き、己のお胸へ、きつく仕舞い込みます。
『っ、レオン班長ぉ……っ!』
わたくしも、レオン班長を抱き締めました。
「悪い……悪い、シロ……ッ」
唸るように、レオン班長はそう繰り返します。その度、わたくしはお顔を擦り寄せました。涙で言葉が出ない分、大丈夫だと、良いのだと、気持ちを目一杯込めます。
わたくしの名前を呼ぶ声は、震えていました。抱き締める腕も、緩みません。
これ程愛されているなんて、不謹慎かもしれませんが、つい頬が綻んでしまいます。胸もじんわりと温かくなり、次いで、寂しさが込み上げました。
口の内側のお肉を噛んで、歪みそうなお顔をどうにか引き締めます。ですが、上手く取り繕えませんでした。感情が後から後から溢れてきて、嗚咽が止まらないのです。
言葉になっていない声で飼い主を呼び、わたくしは前足だけでなく、後ろ足でもレオン班長にしがみ付きました。
すると。
『あ』
背後から、わたくしの首根っこが鷲掴まれます。ぐいと引っ張られ、強制的に空中へ持ち上げられました。
「いや、さっさと行けよレオン」
わたくしを抱っこして下さったのは、クライド隊長です。
毛のない眉をこれでもかと寄せ、レオン班長そっくりな強面へ厳つさを増しました。
「もう出発時間すぎてんだろうが。いつまでいるつもりだよ、ったく」
クライド隊長は、片手を払うように振ります。溜め息も、盛大に吐き出しました。疲れたと言わんばかりの雰囲気に、申し訳なさが込み上げます。
と、申しますのも。クライド隊長はかれこれ三十分程、わたくしのリードを握りながら、ずーっと後ろで待機して下さっていたのです。
さっさと行け、という言葉も、納得しかございません。
しかし、レオン班長は動きません。唇をひん曲げ、ライオンさんの尻尾も不満げに振ります。
「……もう少し」
「いや、それ何度目だよ。聞き飽きたわ」
「…………後三十分」
「いや、ここから更に三十分とか、流石に見逃せねぇからな?」
「………………シロが泣き止むまで」
「いや、だからこれ以上は無理だっつーの。あんまぐずぐずしてっと、またパトリシアから連絡がくるぞ? レオンはまだこないのかって、ピーピーピーピー通信機鳴らしまくるぞ? いいのか?」
レオン班長の眉間へ、深い皺が刻まれました。もの言いたげに、わたくしをじーっと見つめます。
「どうせ一週間も掛からず戻ってくるんだからよぉ。ここでぐだぐだやってねぇで、さっさと行ってさっさと帰ってこいや」
そうなのです。
レオン班長はこれから、残っているお仕事を片付ける為に、特別遊撃班の船へ戻らなければならないのです。
ですので、わたくしはクライド隊長と共にお見送りへきているのですが。どうにも名残が惜しくなってしまい、結果、長々とクライド隊長をお待たせしていると、そういうわけです。
「大体、お前がいちいち戻ってくるから、シロも気を引こうと鳴くんだろうが。いい加減諦めさせろ。鳴いても飼い主は戻ってこないと、行動で示せ。こういうのはな、甘やかしてもいい事なんてねぇんだぞ」
クライド隊長の言葉は、至極真っ当です。きっとレオン班長も、分かっていらっしゃるのでしょう。けれど、わたくしがどうにも寂しがるから、発てないのです。優しい方ですので。
ならば、いつまでも甘えているわけにはまいりません。
『ぐずっ、レ、レオン、ばんぢょ……』
ずびびと鼻を啜り、レオン班長を見つめます。
『っ、い、いっで、らっじゃい……っ。ご、ご武運、をぉ……っ』
涙も嗚咽も止まらず、上手く言葉になりませんでした。
それでも、少しでも伝わるように、頭を深く下げます。
レオン班長のお顔は、どんどん険しくなっていきました。唇も曲がりに曲がり、尻尾を鞭のようにしならせます。今にも襲い掛からんとするマフィアが如き形相で、わたくしを凝視しました。
そのまま、しばしの沈黙が流れます。
不意に、ライオンさんの耳が、一つ揺れました。
「……シロ」
レオン班長は、そっとわたくしへ腕を伸ばします。指で涙を拭い、それから、頭を撫でて下さいました。二度、三度と往復してから、口を薄っすらを開きます。
「……………………いってくる」
『ぶ、ぶぁい。いっで、らっじゃ……っ!』
わたくしの喉が、またひくりと震えました。油断すると、レオン班長へ前足を伸ばしてしまいそうです。
わたくしは、クライド隊長のお胸へ肉球を押し付け、必死で堪えます。早く行って欲しい気持ちと、まだこちらにいて欲しい気持ちがない交ぜとなり、呼吸が荒くなりました。
レオン班長は、もう一度わたくしの頭を撫でると、緩慢に踵を返します。重い足取りで、歩き出しました。
大型バイクへ向かう間、レオン班長は何度もこちらを振り返ります。その度、わたくしもお見送りの言葉を掛けました。エンジン音が響き、タイヤが勢い良く回り始めても、わたくしは目を逸らしません。瞬きで涙を払い、遠ざかる背中を、目に焼き付けました。
やがて、完全にレオン班長の姿が見えなくなった頃。
『っ、ふ、ふびぃぃぃ……っ』
わたくしの涙腺が、崩壊します。
寂しさが一気に押し寄せてきました。
わたくしは、クライド隊長のお胸に縋り付きます。堪えていたものを全て解放して、心の赴くままに泣き喚きました。前足もこれでもかと動かして、レオン班長によく似た胸筋を揉んでいきます。
つと、頭上から溜め息が落ちてきました。飼い主と離れることも出来ぬわたくしに、きっと呆れているのでしょう。
それでも、クライド隊長はわたくしを剥がそうとしません。寧ろ、宥めるように背中をぽんぽんと叩いて下さいました。その手付きがあまりに優しくて、また涙が込み上げます。
そうして、クライド隊長に甘やかして頂き、マティルダお婆様に抱き締められ、ラナさんに構って貰いながら過ごすこと、数日。
「おーいっ、シローッ!」
「なんだぁ? 俺らを迎えにきたのかぁ?」
「ただいまっ! 帰ってきたよぉっ!」
特別遊撃班が、海上保安部の本部へ帰還しました。
専用船から飛び出してきた班員の皆さんに、シロクマの尻尾が勢い良く回転します。
わたくしは地面を蹴り、皆さんの元へ駆けていきました。
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