45‐5.バイクの操縦者です
『どうしたの、シロちゃん?』
『シロちゃん? シロちゃーん?』
『おーい』
子カバさんが声を掛けて下さるも、答える余裕はございません。
ただただ、呆然と立ち尽くすばかりです。
『ねぇ、ママー。シロちゃんが何か変ー』
『お返事してくれないのー』
わたくしの異変に、母カバさんも近寄ってきて下さいます。それでも、わたくしは動きません。
徐々に高度を落とすバイクから、目を離せませんでした。
『おんどりゃあぁぁぁーっ! やんのかコラァァァーッ!』
『カチコミかワレェェェーッ!』
『ここがどこか分かってんのかっ、アァァァーンッ!?』
本部の敷地内へ侵入しようとするバイクを、ティファニーママさん達は盛大に威嚇します。目を吊り上げ、唾を吐き散らし、凄まじい迫力です。今は柵越しですが、バイクが地面へ着地しようものならすぐさま飛び出し、特攻をかますのでしょう。
だからなのか。
わたくしの動きには、一切気付いておりませんでした。
『えっ、シロちゃんっ!?』
走り出したわたくしの背後から、子カバさんの驚く声が上がります。母カバさんの止める声も聞こえました。
しかし、わたくしは従いません。四肢を動かし、柵の元まで向かいます。
わたくしが運動場の端へ辿り付くと同時に、バイクは着地しました。土煙を上げながら、柵の前を通り過ぎます。
減速していく姿を、わたくしは柵の隙間にお顔を押し付けて、見つめました。
『こらっ、シロちゃんっ!』
不意に、首根っこを引っ張られます。
ティファニーママさんが、わたくしを咥え上げました。
『駄目でしょうっ、勝手にひとりで動いちゃっ! 危ないじゃないっ!』
全くもう、とばかりに、ティファニーママさんは鼻から溜め息を吐きます。そうして、わたくしを咥えたまま、歩き出しました。
『はいはい、戻るわよ。今度はいい子にしててねぇ』
『あ、ま、待って下さい、ティファニーママさんっ。お願いですっ。待って下さいっ』
けれど、ティファニーママさんは聞く耳を持ちません。半ば小走りで、わたくしを避難場所まで運んでいきます。
柵の方を振り返れば、バイクと操縦者は、丁度カバさん達の集まる柵の真ん前で止まりました。
カバさん達の罵声が、一層強くなります。前足で地面をかき、いきり立ちました。 隊員さん達も、相手と距離を保ちつつ、いつでも動けるよう重心を落とします。
けれど、すぐさま、ん? と前へのめりました。
かと思えば、え? とでも言わんばかりに、お互いのお顔を見合わせたり、バイクに跨っている方を凝視したりします。中には、カバさん達を宥めるような仕草をする方もいらっしゃいました。
カバさん達もカバさん達で、あれ? とばかりに目を瞬かせます。険しかった形相を緩め、バイクの操縦者と隊員さんを見比べました。不思議そうに尻尾を揺らしたりもしています。
その異変に、ティファニーママさんも気付きました。足を止め、後ろを振り返ります。
ほぼ同時に、操縦者が、こちらを見やりました。
ゴーグルをしていて、目元は見えません。
けれど、間違いなく、わたくしと目が合いました。
かと思えば、その方は、跨っていたバイクから降ります。ひらりと柵を飛び越え、躊躇なく運動場へ入ってきました。カバさんの間をすり抜けて、隊員さんの横も通り過ぎ、迷いのない足取りでこちらにやってきます。
ティファニーママさんは、すぐさま向かい合いました。咥えていたわたくしを下ろして、自分の後ろへ下がらせます。上体を低くし、いつでも走り出せるよう、相手の動きに集中しました。
『……あら?』
しかし、数秒もしない内に、カバさんの耳を立たせます。その視線は、相手の胸元へ注がれていました。
カバさんのマークが、入っています。
どう見ても、海上保安部の軍服です。
つまり、バイクで登場した相手は、海上保安部の隊員、ということになります。だからこそ、第三番隊の隊員さんも、カバさん達も、困惑されていたのでしょう。
ついでに、困惑する理由が、もう一つ。
相手の方の頭とお尻に生えている、耳と尻尾です。
その形に、わたくし、よくよく見覚えがございます。ティファニーママさんも、きっと覚えていらっしゃるでしょう。
『…………はぁー』
つと、ティファニーママさんが、息を吐き出しました。重心を戻し、体の力を抜きます。
かと思えば、背後に隠したわたくしを見やりました。
苦笑を浮かべ、一歩横へとずれます。
『ティファニーママさん……』
ティファニーママさんは、何もおっしゃいません。ただ、わたくしの目を見つめながら、優しく頷いて下さるだけです。
わたくしは、きゅっと唇を噛み締めました。目礼をし、走り出します。
地面を蹴る度、バイクに乗ってきた方との距離が近付きました。全力で駆けるわたくしに、相手も耳と尻尾を靡かせます。その姿を見ていると、何だか目頭が熱くなりました。
視界がぼやけたからか、それとも必死になりすぎたのか。わたくしは、足を縺れさせてしまいました。ころりんと一回転し、すぐに起き上がります。
自慢の白い毛は汚れ、草もくっ付きました。ですが、構っている余裕はございません。
身嗜みよりも心惹かれる存在が、目の前にあるのですもの。
『はぁっ、はぁっ、はぁっ』
大した距離を走っていないのに、息が上がってきました。目の縁に涙が溜まり、鼻も詰まり始めます。色々なものが垂れ落ちないよう、お顔を少し上へ向け、そのまま四肢を躍動させました。
相手も、加速します。付けていたゴーグルを下ろし、首へ引っ掛けました。
現れた強面に、わたくしのお顔は勝手に歪みます。引き攣った呻き声も、喉から零れました。
たなびく髪も、逞しい体も、こちらを見下ろす眼力も、どれもこれもが、わたくしの心を撃ち抜きます。
わたくしは、足の関節を深く曲げ、一度体を下げました。そうして溜めた力を、一気に解放します。
わたくしの持てる限りの力を使って、大きくジャンプしました。
そして。
『レ、レオン班長ぉぉぉぉぉーっ!』
両手を広げて待ち構えて下さる飼い主のお胸へ、飛び込みました。
前足だけでなく、後ろ足も使って抱き付けば、レオン班長もきつく抱き締め返して下さいます。
途端、大好きな匂いと体温に包まれました。わたくしの名前を呼ぶ声も、シロクマの耳を掠めます。
『うぅ、レオン班長、レオンばんぢょお……わだぐじ、わだぐじぃ……っ。ぶ、ぶえぇぇぇぇぇーんっ!』
涙が、止めどなく溢れました。一生懸命耐えていた鼻水は、湯水の如く垂れ流れます。
乙女としていかがなものかと、頭の片隅で思う自分がいなくもありません。けれど、止めるという選択肢もございません。
そのようなことをしている時間は、ないのです。
ほんの僅かな時間でさえ、レオン班長を全身で感じる為に費やしたいのです。
「あ、あのぉー……」
レオン班長のお胸を捏ねつつ、全力で甘えておりますと。第三番隊の隊員さんが、そーっと近付いてきました。
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