45‐4.未確認飛行物体です
『どうしたの、シロちゃん? 何かあった?』
耳をぴくりぴくりと動かすわたくしに、ティファニーママさんは小首を傾げました。
『ティファニーママさん。何か、不思議な音がしませんか?』
『不思議な音?』
『えぇ。人工的と申しますか、唸るような低音と申しますか、こう……例えて言うならば、バイクのエンジンのような、体に響く音色なのですが』
そう言うと、ティファニーママさんも、耳を澄ませ始めます。周りのカバさん達も辺りを見渡しては、わたくしの言う音を探しました。
『……ねぇ、ママー』
つと、子カバさんのひとりが、空を見上げます。
『あれ、なぁに?』
あれ、と示す先を、わたくしは振り返りました。
遠くの空に、黒い何かが浮かんでいます。
最初は、カラスさんかと思いました。しかし、カラスさんにしては、妙に大きいのです。
翼らしきものも見当たりませんし、こちらへ近付くにつれて、例の不思議な音が大きくなってきました。ということは、あの音の原因は、空飛ぶ黒い物体にあるのでしょう。
それら全ての特徴に該当する存在とは、一体何なのか? いくら考えたところで、皆目見当も付きません。
と、申しますか。
わたくしの目が正しければ、あの黒いものの上に、何かが乗っておりませんか?
例えて言うならば、人間か、人間と同じ大きさの何かが。
『っ、あなた達っ。子供達を連れて、急いで避難して頂戴っ!』
唐突に、ティファニーママさんが声を上げました。
驚くわたくしを他所に、母カバさん達は
『はいっ、リーダーッ!』
と子カバさんを誘導し始めます。
『さぁっ、シロちゃんも行きなさいっ! カバのお母さん達に付いていけばいいからねっ!』
そう言うや、ティファニーママさんは踵を返しました。幼獣用運動場の柵へ寄り、大きく息を吸い込みます。
『野郎共ぉぉぉーっ! 集まれぇぇぇーっ!』
勇ましい雄叫びを、放ちました。
すると、数秒の内に地響きが聞こえてきます。
寛いでいたおとなのカバさん達が、ティファニーママさんの元へ駆け付けました。既に不思議な黒い物体に気付いているのか、頻りに空を気にされています。
『もう分かってるだろうが、今こっちに妙なもんが向かってきてるっ。第三番隊に害があるのかないのか、何が目的なのか、何もかも分からねぇっ。だからこそ、最大級に警戒しろっ! テロリストのカチコミだと思って、全力で迎え撃てっ! いいなっ!』
ティファニーママさんの円らな瞳が、鋭く吊り上がりました。
『行くぞてめぇらっ! 徹底的にぶっ潰してやれぇぇぇぇぇーっ!』
うおぉぉぉぉぉーっ! という咆哮が、轟き渡ります。
あまりの迫力に、自慢の白い毛がぶわわぁっと膨れ上がりました。口も半開きにして、わたくしはその場に立ち尽くします。
カバさん達は、速やかに行動を開始しました。どうやらいくつかの班に分かれるらしく、ティファニーママさんが指示を出す度、気合溢れるお返事をしています。
その中でも、特にやる気に満ちているのが、ティファニーママさんの横にいるカバさんです。副リーダーさんらしく、眉間へ険しい皺を寄せて、仲間を鼓舞されています。
『パパーッ! 頑張ってーっ!』
不意に、ひとりの子カバさんが叫びます。先程、わたくしにポーラさんへの伝言を頼んだ子カバさんです。忙しなく動くカバさん達の方を向いて、もう一つ声援を送りました。
ほぼ同時に、副リーダーさんがこちらを見やります。少し目を丸くし、それから、頼もしく頷かれました。どうやらあちらのカバさんが、最近気落ちしているというお父様なようです。
成程、だから気合いが入っていたのですね。先日は鮫さんの襲撃に逃げ遅れてしまったからこそ、今回は必ず仕留めてみせるおつもりなのでしょう。
頑張って下さいね。わたくしも心の中で応援しつつ、母カバさんに促されて移動します。
別の方向からも、子連れの母カバさん達が続々と集まってきました。皆さん、第三番隊の隊員さんがいる詰め所へと向かいます。
『きたぞぉぉぉーっ!』
背後から上がった声に、わたくしは振り返りました。
同じ方向を見上げているカバさん達が、運動場の柵の傍で待機しています。
『いいか野郎共っ! すぐに手ぇ出すんじゃねぇぞっ! まずは様子見だっ! こっちにちょっかい出さねぇならそれで良しっ! そのまま見逃してやれっ!』
だがっ! とティファニーママさんは、前足で地面をどんと踏み締めました。
『少しでも怪しい素振りを見せようものなら、容赦はいらねぇっ! てめぇらの実力を、余すことなくご披露してやりなっ!』
カバさん達は、一斉に吠えます。円らな瞳も尖らせて、空からやってくる物体へ、睨みを利かせました。
緊張感が、運動場へ漂います。滅多にない事態に子カバさん達も気になるのか、臨戦態勢を整えるカバさん達を、ちらちらと窺いました。その度に、母カバさんが前を見るよう窘めます。
ですが、母カバさん達も内心では心配なようです。さり気なく横目で確認していました。上へも目を向け、こちらへやってこないか注意しています。
「あれ? どうしたんすか、ママさん達? お子さん連れてこっちきたりして。まだご飯の時間じゃないっすよ?」
詰め所から、隊員さんが出てきました。足早に近付いてくるわたくし達に、首を傾げております。かと思えば、柵の傍にいるカバさん達を見やり、次いで、カバさん達の視線の先を見上げました。
途端、目を見開きます。
「っ、き、緊急事態発生っ! 上空に飛行物体ありっ! 海上保安部の本部へと近付いてるっすっ! 今、本部上空の通行許可って出てるっすかっ!?」
隊員さんが、詰め所の奥へ向かって叫びました。
直後、中からどたばたと騒々しい音が上がります。どこかへ連絡を入れる声も、聞こえてきました。
慌ただしく飛び出していく隊員さん達に、いよいよ緊張が高まってきます。わたくしも、思わず子カバさん達と身を寄せ合いました。母カバさんに囲まれながら、上を見やりました。
これだけ地上がてんやわんやしているにも関わらず、未確認飛行物体は、変わらずこちらへ向かっております。
あまりに変化がなさすぎて、もしや本部に用事はないのでは、とさえ思い始めました。ただ上空を通過したいだけだからこそ、進路変更もする必要がない。そう考えれば、あの動じなさも納得がいきますね。
と、内心気を緩めておりますと。
『……あら?』
段々形がはっきりとしてきた件の代物に、わたくしは目を瞬かせます。
黒い飛行物は、なんと大型のバイクでした。バイクのエンジンのような音だと思っていたものは、本当にバイクのエンジン音だったようです。低く重い音を立てながら、空を飛んでいます。本部ではまず見ない光景ですので、カバさん達も気付かなかったのでしょう。
ですが、分かったところで、疑問が晴れたわけではございません。
何故バイクが飛んでいるのか。いえ、操縦している方がいるからなのですが、しかし、空飛ぶバイクなど、果たしてこのドラモンズ国に何台あるのでしょう?
わたくしが知る限りでは、リッキーさんが改造したもの以外、見たことも聞いたこともございません。
かと言って、特別遊撃班のどなたかなわけはないでしょう。なんせ皆さん、遠征中ですもの。帰還予定日までまだございますし、何より、空飛ぶバイクは、敵船へ乗り込む際にしか使いません。ですので、緊急事態でもない限り、海上保安部の本部上空を走るということは、まずあり得ないのです。
ならばどなたが、どのような目的で、国軍の本部上空を飛んでいるのか。場合によっては侵略行為と見なされ、捕縛されても可笑しくありません。
カバさん達はやる気満々です。第三番隊の隊員さん達も、いつ何が起こっても良いよう、警戒されています。
はてさて、一体どうなることやら。
わたくしは静かに様子を窺いつつ、バイクを改めて眺めました。
そして。
『え……?』
息を飲みます。
目を見開き、わたくしは、固まりました。
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