44‐7.悟ってしまいました



「どうしたのー、シロちゃーん? なんだか楽しそうだねー。美味しそうな魚でも見つけたー?」

『いえいえ、そういうわけではございませんよ、ラナさん』

「あ、もしかして、アザラシがいたのー? 確かシロクマって、アザラシ好きなんじゃなかったっけー?」

『アザラシさんもいらっしゃいませんよ。仮にいたとしても、わたくしはまだ離乳を終えていないので、食べられませんからね』

「あー、食べ物の話してたら、何だかお腹空いてきたなー。ステラさん達と合流する前に、ちょっと何か食べちゃおうかなー」

『あら、そのようなことをしてよろしいのですか? 折角チーちゃんさんが、おすすめのお店の料理を買ってきて下さるというのに。何だか勿体ない気がしますけれど』

「シロちゃんも、お腹空いたー? もうちょっと待っててねー。ミルク作れる場所に着いたら、すぐに用意するからねー」



 いえ、わたくしは別にお腹が空いているわけでは、と、口を開こうとしました。

 けれど、その直前。体の中から、ぐぅー、と音が上がります。次いで、空腹感がじんわりと込み上げてきました。

 どうやらわたくしのお腹も、ラナさんに触発されたようです。



「あははー、いい音だねーシロちゃん。オッケー。じゃー、やっぱり買い食いは止めて、すぐにステラさんのところ行こう。で、すぐにお湯貰って、すぐにミルク作ろう。もう過去最高速度で粉ミルク攪拌するから、もうちょっとだけ待っててねー?」



 楽しげな雰囲気と笑い声が、フルフェイスのヘルメットから聞こえてきました。

 わたくしはシロクマの耳と尻尾を振り、恥ずかしさを誤魔化します。ついでに、サイドカーの座面も前足で揉んで、空腹を紛らわしました。乙女として、これ以上お腹を鳴らすわけには参りませんからね。




 一心不乱に前足を動かしている間に、バイクは海から離れていきました。街中へ続く道に入ったかと思えば、段々と見覚えのある景色になっていきます。

 この辺りは、わたくしのお散歩コースの一つです。主に、レオン班長が好んで使われる道ですね。ということは、そろそろステラさんが勤められているぬいぐるみ専門店に、到着する頃でしょう。



『ラナさん、ラナさん』



 わたくしは、徐にラナさんを仰ぎ見ます。



『もしよろしければ、なのですが。またわたくしを、海へと連れていっては頂けませんか?』



 久しぶりに潮風を浴びたからか、なんだか船での生活や、海で過ごした日々が恋しくなってしまいました。

 入ることは出来ないようですが、それでも、せめて海の気配を感じたい。匂いと風だけでも味わいたい。心からそう願う自分がいるのです。

 わたくし、思いの外海の女だったようですね。




『少しだけで良いのです。ラナさんのお時間がある時に、ほんの少しだけ、わたくしを海まで連れていって頂きたいのです。どうかお願いします』



 ギアー、と上目でラナさんを窺います。シロクマの耳を伏せ、どうにか頷いて頂けるよう、祈りました。



 すると、わたくしの気持ちが伝わったのか。ラナさんは、ヘルメットのシールド越しに、笑い掛けて下さいました。

 まるで、分かった、とでもおっしゃっているかのようです。



『ラナさん……』



 己のお顔が綻んでいくのが、分かりました。シロクマの尻尾も、自ずと揺れてしまいます。




 わたくしは、何度もラナさんへ感謝を述べました。我が儘を聞いて下さって、ありがとうございます。本当にラナさんが暇な時で結構ですよ。わたくしがラナさんに予定を合わせますので、どうか無理はなさらないで下さいね。思いつく限りの言葉を尽くします。

 その度に、ラナさんは返事をするかの如く、ライオンさんの尻尾を波打たせました。声に出して、相槌を打っても下さいます。



 わたくしの喉から、うふふと声が零れました。その笑みは、徐々に大きくなっていきます。

 何だか大変良い気分です。このまま大声を出してしまいましょうか。そう思い、わたくしは、深く息を吸い込みました。




 しかし、左折した先で見えた光景に、お腹へ入れていた力が、すっと抜け落ちます。



 わたくしは、ぽかんと口を開けて、固まりました。




「はっ。き、きた……っ」

「あ、本当ですねぇ、ステラさん」




 ステラさんが、大砲のようなレンズを付けた撮影機を、構えております。すぐ傍には、レフ板を抱えたチーちゃんさんと、トンちゃんさんもいらっしゃいました。




『お、おーい、シロちゃーん。ラナちゃーん』



 トンちゃんさんが、くるんと丸まった尻尾を振っています。わざわざ用意されたのか、レザーベストと青いバンダナを身に着けていらっしゃいました。わたくしとラナさんと同じく、バイカーファッションですね。とてもお似合いですよ、素敵です。



 ですが、それはそれとして、何故このような道端で、撮影体勢をばっちりと整えていらっしゃるのでしょうか。

 お話では、ぬいぐるみ専門店の中にあるスタジオで撮影をする、ということだったと、記憶しておりますが……。




「あれー? ステラさんとチーちゃんだー。何であんなとこにいるんだろうー? 私、遅れちゃった? 時間間違えたかなー?」

『い、いえ。そのようなことは、ない筈ですが……』



 ラナさんも、不思議そうに首を傾げました。

 しかし、いくらわたくし達が疑問を抱いたところで、目の前の景色は変わりません。ステラさんはファインダーを覗き込み、チーちゃんさんはレフ板を持ち上げ、トンちゃんさんは朗らかに笑いながらこちらを眺めています。



 かと思えば、唐突に、シャッター音が聞こえ始めました。



 凄い勢いです。



 過去最高速度で、カシャーッ、カシャーッ、と鳴っています。




 …………何故ステラさん達があちらへいらっしゃるのかは、未だに解明出来ていませんけれども。

 わたくしはこの時点で、悟ってしまいました。




『今回も、長丁場になりそうですねぇ……』




 ステラさんの気合いの入り方と言い、チーちゃんさんの楽しそうな雰囲気と言い、トンちゃんさんの尻尾の回り具合と言い、今回の撮影会も大変なことになりそうです。主にわたくしの体力と気力が、見る間に削られていくことでしょう。果たして最後まで笑顔でいられるのでしょうか。甚だ疑問です。



『ですが……避けることは、出来ないのでしょうねぇ……』



 あれだけやる気満々なのですもの。わたくしひとりが抵抗したところで、どうにかなるわけございません。ならばいっそ流れに身を任せ、出来る限り体力を温存していく方向で頑張った方が、まだマシでしょう。




 そう結論付けると、わたくしは早速体の力を抜きました。サイドカーの座面の背へ凭れます。

 そうしてアルカイックスマイルを湛えて、生けるぬいぐるみと化したのでした。



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