29‐9.待ちます



『本当ですか、ルーファスさん? 本当に、少し待っていれば、レオン班長達の元へ連れていってくれるのですか?』



 ルーファスさんは、何も言いません。けれど、嘘を吐いている様子もございません。ただただ、わたくしの反応を窺っています。




 ……ふむ。そういうことならば、と、わたくしは、カートの縁に置いていた前足を、下ろしました。




「そうだ。それでいい。そのままじっとしていろ」



 ルーファスさんは、しかと首を上下させます。犬さんの尻尾も、ばるんと揺れました。



『ルーファスさん。わたくし、あなたの頼みを聞いて差し上げました。ですので、あなたも約束はきちんと守って下さいね。絶対ですよ。お願いしますからね』



 念押しをしてから、わたくしは腰を下ろします。そうして、レオン班長とマティルダお婆様の戦いを見守りました。




『……ルーファスさん、まだですか?』



 お隣へ、ちらと視線を向けます。しかし、ルーファスさんからのお返事はありません。動きもないことから、きっとまだなのでしょう。

 わたくしも、流石に早すぎたなと納得し、視線を前方へと戻します。




『…………ルーファスさん、まだですか?』



 しばしの間を置いてから、もう一度振り返ります。

 お返事は、やはりありません。



 わたくしは、気を紛らわすように座り直し、お尻の位置を調節します。カートの縁へ、顎を乗せてみたりもしました。




『………………ルーファスさん、まだですか?』



 そろそろ良いのでは? という気持ちを、目線に込めます。



 これでもかと込めながら、じぃーっと見つめます。




「……何だ、シロクマ」



 腕を組みつつ、ルーファスさんはわたくしを一瞥しました。



『まだでしょうか? わたくし、もう十分待ったかと思うのですが』



 尻尾を振って、にこりと微笑み掛けます。さり気なくカートの縁へ前足を乗せ、いつでも向かえる準備を整えました。



 しかし、ルーファスさんは微動だにしません。

 尻尾だけ緩く揺らすと、また前を向いてしまいました。




『……ちょっと、ルーファスさん? ルーファスさんったら。おーい。もしもーし』



 前足でちょいちょいと手招いてみるものの、反応はありません。いえ、尻尾はお返事をするように動くのですが、それだけです。それ以外、何もありませんし、何も起こりません。



『ルーファスさん。ルーファスさん。ルーファスさーん』

「……はぁ……何だ」

『流石にもうよろしいでしょう? わたくし、我慢しましたよ。一刻も早く駆け付けたい所を、きちんと待機していました。ですので、いい加減わたくしをレオン班長の元まで連れていって下さい』

「……どうしてそう我慢が効かないんだ、お前は」



 重々しく吐かれた溜め息に、思わずむっとお口を曲げてしまいます。



『我慢が効かないのではありません。わたくしはただ、もう頃合いであろうと、そう進言しているだけです。決して自制心のないシロクマではございませんよ』



 そう抗議すると、ルーファスさんは眉を顰め、わたくしを見下ろしました。尻尾をぱたんと倒し、眉間の皺を指で揉みます。



 すると。




“――な、何ということだぁぁぁぁぁーっ!”




 不意に、リッキーさんの驚愕に満ちた声が、店内に響き渡りました。




“――このテーブルの上にあった酒瓶がっ! なんとなんとぉっ! 全て飲み干されてしまいましたぁぁぁぁぁーっ!”




 な、何ですって……っ!?

 わたくしは、思わずシロクマの耳を立ち上げます。ルーファスさんも、信じられないとばかりに目を見開き、犬さんの耳を真っすぐ伸ばしました。



“――まさか、ここまで勝負が長引くとは思いませんでしたっ。これ程の酒豪は中々いないのではないかと思うのですが、いかがでしょう店員さん? 今まで見たことありますか?”

“――いえ、当店では初めてです。別店舗でも、滅多にお目に掛かれない飲みっぷりですね。店員としては嬉しい限りです”



 リッキーさんのお姉さんは、立派なお鬚を揺らして笑っています。周りのお客様方も、対戦者達の健闘を称えるように、盛大な拍手を送りました。



“――しかしこうなってくると、いよいよ勝負の行方が分からなくなってきましたねぇ。それに、次の酒はどうしましょうか? これだけ沢山の種類が出たことですし、流石にもう新しい酒はないですよねぇ?”

“――うふふ。それが、あるんです”



 お姉さんが指を鳴らすと、酒瓶が沢山乗ったカートを、店員さん方が運んできます。

 ずらりと並ぶ新たなラベル達に、感嘆めいた声がいくつも上がりました。



“――凄いですねぇ。まだ飲んでない酒が、こんなにあったんですかぁ?”

“――はい。当店では、常時四十種類程のお酒をご用意しています。季節によって内容が多少変わりますので、いついらっしゃっても飽きずに楽しんで頂けると思いますよ”



 自信満々に微笑むと、お姉さんは、早速とばかりに次のお酒の紹介をします。滑らかな口調と豊かな表現力で、皆さんの心をしかとキャッチしていきました。アルコールの注文も、留まることを知りません。本当に素晴らしい手腕です。




 しかし、わたくしには、そちらよりも気になるものがございます。



 レオン班長とマティルダお婆様です。



 まるで、人目を憚らずいちゃいちゃしているカップルが如き密着度です。




 いえ。正確には、マティルダお婆様のみがそのような空気を醸し出しており、レオン班長に関しては、ただ泥酔しているだけなのですけれども。

 ほぼ目を閉じたまま、眉間にきつい皺を寄せています。頭はぐらんぐらん揺れ、今にもテーブルへ突っ伏してしまいそうです。ライオンさんの耳など、最早倒れています。



 そんなレオン班長の肩を抱き、マティルダお婆様はご機嫌に喉を鳴らしました。レオン班長の脳天へ頬擦りをしては、何かを囁きながらちゅっちゅとキスをしています。

 しかも、ライオンさんの尻尾同士を、絡めていました。もう離さないぞと言わんばかりの締め付けです。なんでしたら、今にもレオン班長をお膝に乗せて、目一杯愛で始めそうです。




『あらまぁ……』



 己の眼差しが、どんどん生温くなっていくのが分かりました。同時に、明日の朝、ベッドの上で悔やむレオン班長の姿が、ありありと目に浮かびます。

 何故あの時、飲み比べなんぞ受けてしまったのか。挑発に乗らなければ、マティルダお婆様の良いようにはされなかったのに。二日酔いにもならなかったのに、と頭を抱えることでしょう。



 これは早々に解決せねば。

 わたくしは内心頷きつつ、徐に腰を持ち上げます。怪訝そうなルーファスさんへ微笑み掛けてから、ゆっくりと息を吸い込むと。




『はぁどっせぇーいっ!』




 全力で、カートを押してやりました。




「おいっ、止めろっ! 押すなっ!」

『あどっこぉーいっ!』

「もう少し待てっ! さっきまで大人しく出来ただろうっ!」

『はぁだっしゃーいっ!』

「せめてもう少し我慢しろっ! もう少ししたら向こうへ連れていってやるからっ!」

『あらよっとぉーいっ!』



 カートが盛大に揺れます。ルーファスさんがすかさず押さえましたが、それでもガッチョンガッチョン鳴っては、わたくしを乗せたまま前へ進もうとしました。



 そうして、ルーファスさんと押し問答を繰り広げておりますと。

 不意に、犬さんの耳が、ぴんと立ち上がります。

 次いで、端正なお顔が、明後日の方向を振り返りました。



「ようやくいらっしゃったか……っ」



 何故か、ほっとしたように表情を緩めます。

 一体何が、とわたくしも、同じ方向を見やりました。




 すると、お店の入口の方から、一人の男性が現れます。




 その方は、盛り上がる店内と、皆さんの視線の先にいる存在を捉えるや、毛のない眉を顰めました。眉間へきつく皺を寄せつつ、こちらへ近付いてきます。



 段々はっきり見えてきた姿と、裏社会のボスもかくやのお顔に、わたくしは目を見開きました。




『まぁ、クライド隊長ではありませんか』




 今朝ぶりに見た強面に、思わず前へのめります。



 しかし、何故クライド隊長がこちらに? と小首を傾げました。見た所、こちらのお店で打ち上げをしていた風には思えません。肩で息をしている辺り、急いでやってきたといった風体です。

 飲み会に遅れてきたのでしょうか? それならば、一応筋は通りますが、と考えていますと、つと、視界の端で、犬さんの尻尾がばるんばるんと振り回されます。



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