29‐10.これにておしまいです



「お疲れ様です、クライド隊長。突然ご連絡してしまい、申し訳ありませんでした」



 ルーファスさんは、一歩前へ出るや、深く頭を下げました。

 クライド隊長は、すぐさま手を横へ振ります。



「気にすんな。こっちこそ悪ぃな。毎度毎度迷惑掛けて」

「いえ」

「で、見た所、マティルダは無事発見出来たみてぇだが……何だ、こりゃあ?」



 盛り上がっている店内を見渡し、毛のない眉を片方持ち上げました。



 ルーファスさんは、非常に渋いお顔で、そっと目を反らします。



「……レオンとマティルダ隊長が、飲み比べ対決をしています」

「……何だって?」

「……飲み比べ対決、です。どちらの隊のテーブルに座るかを賭けて、競い合っています」



 クライド隊長の眉間へ、音もなく皺が刻み込まれていきます。それから、テーブルの端に置かれた空のグラスと酒瓶を、一瞥しました。レオン班長とマティルダお婆様の方も、見やります。




 数拍後。

 それはそれは重い溜め息が、落とされました。




「……本当、悪ぃな。毎度毎度迷惑掛けて」

「……いえ」



 状況をきちんと把握されたようです。眉間の皺を揉み解しつつ、もう一つ息を吐かれました。



「ったく、あいつらは……」



 ぶつぶつ呟きながら、クライド隊長はテーブルへ近付いていきます。反対にルーファスさんは、わたくしの乗るカートごと、後ろへ下がりました。そうして、犬さんの耳を、そっと手で押さえます。



 直後。




「おいてめぇらっ! 何してんだこの野郎ぉっ!」




 激しい怒号と、痛々しい打音が、辺りに響き渡りました。



 クライド隊長が、頭を擦るマティルダお婆様と、テーブルに突っ伏すレオン班長の傍で、仁王立ちしています。




「マティルダッ! お前、勝手にいなくなったかと思えば、くだらねぇ理由で周りの人間巻き込みやがってっ! 何が飲み比べだ馬鹿っ! てめぇもてめぇだぞレオンッ! 何で勝負なんか受けんだよっ! どうせマティルダの挑発に乗ったんだろうっ! 本っ当学習しねぇなぁお前はっ!」



 裏社会のボスにしか見えない男性の登場に、店内は一瞬で静まりました。飲み比べを肴に笑っていたお客様方は、青筋を立てて怒鳴るクライド隊長に、顔色を悪くさせます。

 対して、ドラモンズ国軍所属の皆さんは、


「あ、クライド隊長だ」

「本当だ。ちーっす」

「お疲れ様でーす」


 と気軽に挨拶をしました。お酒も、遠慮なく飲んでいきます。




「…………む。随分と可愛い男がいると思ったら、クライドじゃないか」



 マティルダお婆様は、目を瞬かせました。明らかに怒っているクライド隊長を見やり、瞳を緩めます。



「どうしたんだ、クライド。こんな所までやってきて。さては、私とレオンとシロに会いたくなって、思わず駆け付けてきたんだな?」

「違ぇよっ! お前が行方不明だっつー連絡があったから、探しにきたんだよっ!」

「そうか。私を心配してきてくれたのか。ありがとう、クライド。そしてすまない。お前を悲しませてしまったな。至らぬ伴侶をどうか許してくれ」

「許して欲しいなら、飲み比べなんざさっさと止めろっ! そんなことする前に、まずは自分の居場所位はっきりさせとけっ! 無駄に部下を困らせるんじゃねぇっ!」

「む、そうだったのか。すまないな、お前達。手間を掛けさせた。だが、それはそれとして、私は飲み比べを止めるつもりはないぞ。女は時に、飲まねばならぬ時があるんだ」

「あるかそんなもんっ! 仮にあったとしても、それは今じゃねぇよっ!」

「何を言う、クライド。愛する息子と可愛い孫を賭けた戦いだぞ? 今飲まずしていつ飲むというんだ」

「だからっ、今じゃねぇっつーのっ! それより先にやることがあんだろうがぁっ!」



 スパーンッ! と景気の良い音が、お婆様の頭から響きました。

 クライド隊長は肩で息をしつつ、マティルダお婆様を睨みます。しかしお婆様には、左程効いていないようです。叩かれた箇所を撫でながら、


「クライドは今日も元気がいいな」


 とライオンさんの尻尾を、ゆったりと揺らしました。




 因みに、そんなお二人のすぐ横では、レオン班長が倒れています。テーブルに突っ伏したまま、ぴくりとも動きません。耳も尻尾もぐったりとして、意識があるのかさえ分かりません。

 これはもう完全に駄目ですね。



『ですがまぁ、大丈夫でしょう』



 なんせ、クライド隊長がきて下さったのです。マティルダお婆様を叱り付けていらっしゃいますし、なにより、レオン班長が既に潰れています。飲み比べ対決は、これにておしまいとなるでしょう。



 そう安心していると。




「所で、クライド」



 不意に、お婆様が口を開きました。怒り心頭なクライド隊長を見つめ、ライオンさんの耳を揺らします。




「お前はいつ見ても可愛いが、今日は一段と可愛いな。何故だろう。私は不思議で仕方がない」




「……は?」



 クライド隊長のお顔が、歪みます。

 わたくしも、全く同じ声を出してしまいました。



「不思議と言えば、知っているかクライド? うちの家族は、皆可愛いんだ。クライドを筆頭に、レオンとラナとシロもそれはそれは可愛らしくてな。可愛い者達がこんなに集まるだなんて、最早奇跡としか言いようがないのではないかと私は常々考えるんだが、お前はどう思う?」

「いや、どう思うとか言われても、知らねぇけど」

「そうか、お前もそう思うか。ならば、可愛いに囲まれながら生きていく権利を持つ私は、なんて幸せ者なんだろうか。前世で相当な徳を積んだに違いない。前世の己に感謝しなければいけないな」

「いや、前世とか言われても、知らねぇけど」



 ……なんだか、聞き覚えのあるくだりです。

 極々最近、二回ほど聞いたくだりが、また繰り広げられております。



 しかも今回は、クライド隊長の手をしっかりと握りながら、行われました。



 お陰でクライド隊長は、じわじわと引き寄せられております。




「む、クライド、お前、見れば見るほど可愛くなってくるな。もっと近くで見せてくれ」

「おい、止めろ、引っ張るな」

「大変だ、クライド。お前の可愛い顔をよく見ようとしたら、目が離せなくなってしまった。これでは他のことをしようと思っても出来ない。どうしたらいいと思う?」

「普通に目を逸らせ。ついでに俺から手も離せ」

「悩ましいな。だが、決して苦ではない。寧ろ、愛する夫を視界に入れ続けられるだなんて、これ程贅沢なことはないだろう」

「止めろ。抱き締めようとするな」

「所で、クライド。お前、何故ここにいるんだ? 私とレオンとシロに会いたくなって、思わず駆け付けてきたのか?」

「止めろ。抱き締めるな」

「そうか。すまなかったな、クライド。寂しい思いをさせてしまった。夫を悲しませるだなんて、駄目な妻だ。どうか許してくれ」

「止めろ。頬ずりするな」

「そうか、許してくれるか。ありがとう、クライド。お前の懐の深さに、私はまた惚れ直してしまうぞ」

「止めろ。離れろ」

「さぁ、では仲直りをしよう。お前との人生を今後も歩める幸せを、どうか私に感謝させて欲しい」

「止めろ。くるんじゃねぇ」

「愛しているぞ、クライド」

「おい、止めろ。本当止めろ。おいっ。止めろっつってんだろ――」



 それ以上、言葉は続きませんでした。




 クライド隊長の唇が、マティルダお婆様の唇に、がっつりと塞がれます。




 ちゅうぅぅぅぅーっと遠慮なく吸われ、クライド隊長は大暴れしました。けれど、獣人に力で勝てるわけがございません。



 唐突なキスシーンに、店内は大盛り上がりです。歓声と拍手と乾杯の声が、其処彼処から湧き起こりました。お酒のおかわりも、飛び交うように注文が入っては、目にも止まらぬ速さで運ばれていきます。



 そんな混沌とした光景を、わたくしはぽかんと口を開けたまま、眺めました。




『これは……一体どうしたら良いのでしょう……?』



 小首を傾げ、ちらとお隣を見やります。



 ルーファスさんは、無言でお顔を反らしていました。犬さんの耳と尻尾を忙しなく動かしつつ、床を凝視しています。

 目の前の惨状を、決して直視しようとしません。




『……成程』



 わたくしは、小さく頷きました。




 そして、カートの中で、徐に蹲ります。

 前足へお顔を押し付け、視界を物理的に覆い隠しました。




『わたくし、何も見ておりませんので。レオン班長のように、眠ってしまいましたので』



 そう言い訳をしつつ、わたくしはぐーぐーと寝たフリをするのでした。



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