29‐7.頭を悩ませます
勝負が進むごとに、アマフェスでの腕相撲チャレンジとはまた違った熱気が、店内へ漂いました。
楽しそうなのは結構ですし、レオン班長とマティルダお婆様が飲めば飲む程、お店の売り上げも伸びていきますので、こういったノリも悪いことではないのでしょう。
『ですが、大丈夫でしょうか……』
わたくしは、レオン班長を見つめます。ラッパ飲みしていた瓶を離し、口元を拭っていました。その形相は、過去に類がない程に厳めしいです。ただでさえ鋭い目付きは一層険しさを増し、毛のない眉も盛大に寄っています。お隣でにこやかにお酒を嗜んでいるマティルダお婆様とは、雲泥の差です。
しかも、よくよく見ますと、レオン班長の上半身が、若干揺らめいているではありませんか。ライオンさんの耳の先も、ほんの少しずつですが、垂れ下がってきています。
レオン班長。
あなた、実はかなり酔っ払っていますね。
一見すると、負けるものかとバチバチに気合を入れているマフィアですが、単に酔いが回って、ついでに視界も回っているので、焦点を合わせる為に目や眉へ力を入れているだけなのです。
つまり、そろそろ限界が近いということですね。
『それなのに、あのように飲まれて……明日の朝、大変なことになりますよ?』
二日酔いに苦しむレオン班長は、過去に何度か見たことがございますが、いつも死んだようにぐったりとされていました。そのまま一日を過ごされるのです。
辛そうな飼い主を見るのは、ペットとして忍びありません。出来ればそろそろ終わりにして、少しでも二日酔いが軽くなるよう努力をして頂きたいものです。
まぁ、それはレオン班長だけでなく、マティルダお婆様にも言えることですが。
わたくしは、マティルダお婆様へ視線を移します。
お婆様は、終始笑みを絶やさずお酒を消費しています。ライオンさんの耳も尻尾も緩やかに揺れ、至極ご機嫌な様子です。それは、良いのです。
良いのですが、レオン班長へのボディタッチが増えてきているのが、わたくしは気になって仕方ありません。
しかも、レオン班長へ何かを語り掛ける回数も、増えてきています。
何を言っているのか分かりませんが、愛を甘く囁いていることは確かです。
お婆様は、酔えば酔う程家族への愛が止まらなくなる方ですので、口数が増えているということは、比例して酔いが進んでいるということでもあります。
このまま放っておくと、家族だけでなく、周りにいらっしゃる方々へまで甘い言葉を紡ぎ、意図せずハーレムを作ってしまうかもしれません。そうなっては、旦那様であるクライド隊長も面白くはないでしょう。わたくしとて、大好きなお婆様が他の方といちゃいちゃされていたら、焼き餅の一つや二つ、焼いてしまいますよ?
『そういうわけですので、マティルダお婆様ー。そろそろ終わりにしませんかー? またクライド隊長に怒られますよー。本日も、程々にしておくよう言われたのではありませんかー?』
そう声を掛けてみるものの、店内に響く歓声に紛れてしまい、お婆様まで届かなかったようです。普段ならばすぐさま気付いて下さるのに、今は目の前のお酒と、お隣のレオン班長に意識の大半を持っていかれています。わたくしを気にして下さりそうな様子は、ありません。
さて、困りました。どうにかこの勝負を終了させたいのですが、しかし、非力な淑女に一体何が出来るというのでしょう。精々、テーブルの上を無邪気に駆け回り、数本瓶を倒しつつ、話をうやむやにする程度しか思いつきません。
ですが、そちらをやろうものなら、当然リッキーさんのお姉さんは怒るでしょうし、レオン班長達にもご迷惑をお掛けしてしまいます。ペットの躾けも出来ない飼い主、というレッテルを貼らせるわけには参りません。
はてさて、どうしましょうか。
わたくしは、カートの縁に前足を乗せつつ、ふむぅ、と頭を悩ませます。
「……何をしているのですか、皆さん……」
つと、この場にそぐわないと申しますか、妙に冷めていると申しますか、こう、現状に引いているような声が、耳に入ってきました。
大きくないにも関わらず、やけに際立って聞こえたその声を、わたくしは反射的に振り返ります。
次いで、非常に見覚えのある端正なお顔と、犬さんの耳に、思わず眉間へ皺を寄せてしまいました。
すると、相手もわたくしに気付くや、眉を顰めます。
「……お前……何故このような場所にいる」
それはこちらの台詞ですよ、ルーファスさん。
そんな気持ちを瞳に込めてみましたら、ルーファスさんは一層お顔を歪めました。けれど、尻尾はばるんと元気良く揺れているので、不快に思っているわけではないようです。寧ろ、嬉しそうに跳ねています。
「というか、何なんだこれは。何故行方不明になっていたマティルダ隊長が、レオンと酒の飲み比べなんぞやっている」
『わたくしも、何故このようなことになったのか、とても不思議に思っています。いえ、一応理由は分かっているのですが、それはそれとして分かりません』
「しかも、共にマティルダ隊長の捜索をしていた筈の方々まで、何故楽しそうに応援しながら、ここで酒を飲んでいるんだ」
『そちらに関しては、わたくしも首を傾げるばかりです。強いて言うならば、酔った勢いというものではありませんか?』
「……そもそも、いつマティルダ隊長は見つかったんだ。もっと早く連絡を貰えれば、私も店の外まで探しに行かなかったのに」
『それは、ご愁傷様でした。如何せん、こちらも酔っ払いしかおりませんから。報連相は期待しない方がよろしいかと』
ギアギアと相槌を打って差し上げますと、ルーファスさんは、ちらとこちらを一瞥しました。そうして、深く息を吐かれます。
お疲れ様です。マティルダお婆様に振り回されて、大変だったのですね。しかし、レディのお顔を見てから溜め息を吐くのは、些か失礼だと思いますよ。
『大体ルーファスさんは、マティルダお婆様に振り回された所で、別に困りはしないのでしょう?』
わたくし、知っているのですよ。ルーファスさんが、被虐趣味疑惑のある上級者予備軍なのだと。
確証がないので予備軍と称していますが、わたくしの本心としては、真正の上級者だと思っております。あれだけ嫌そうな表情をするわりに、尻尾は常にばるんばるんと大はしゃぎしているのですもの。上級者でなければ何なのだと言うのですか。
「……おい、シロクマ」
『何ですか、犬さんの獣人とエルフのハーフさん?』
「その腹の立つ顔でこちらを見るのは止めろ。不愉快だ」
『わたくしだって、好きでルーファスさんを見たわけではございません。あなたが話し掛けてくるから、わざわざ見て差し上げたのではありませんか。嫌ならばどこかへ移動して下さい。わたくし、こちらの専用カートから出られませんので。動きたくとも動けませんので』
鼻を天へ向け、つーんと言い放ちます。
するとルーファスさんは、片眉をぴくりと揺らして、わたくしを睨み下ろしました。握った拳も震わせて、
「このシロクマめ……っ」
と歯噛みします。
今にも叩いてきそうな雰囲気ですが、わたくし、全くもって怖くありません。
何故なら、ルーファスさんの尻尾が、これでもかと右へ左へ振られているからです。
うきうきるんるんというオノマトペが聞こえてきそうな程の浮かれっぷりに、あぁ、この方は一見すると怒っていますが、実はシロクマの子供に冷たくされて喜んでいらっしゃるのですね、と、何とも言えぬ気持ちとなります。わたくしの眼差しも、自ずと生温くなっていきました。
『まぁ、そもそもわたくし、これまで一度もルーファスさんに危害を加えられたことなどございませんからね。その点は信用していますよ』
人間性的には、どうにも反りが合わないと申しますか、何となく気に食わないですが。そんな気持ちを込めて、はふんと鼻息を吐いてみせました。
ルーファスさんの米神に、筋が浮き上がっていきます。同時に、尻尾も大喜びで動きました。そのちぐはぐ具合が、全くもって面倒な方です。
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