29‐5.飲み比べ対決です



「ちょっ、待って待ってっ! 何でそうなるのっ? 穏便にってお願いしたじゃんっ!」

「……うるせぇ」

「うるせぇじゃないよっ! 俺、何度も言ったよねっ? 姉ちゃんに怒られるから大人しくしてってっ! なのに、何で飲み比べなんか受けて立っちゃうのさっ!」

「……うるせぇ」

「黙って欲しかったらどうにかしてよこの状況っ! どう考えたってバカ騒ぎになるじゃんっ! てゆーか既になってるじゃんっ! こんなの絶対怒られるじゃぁんっ!」



 レオン班長の胸倉を掴み、リッキーさんは景気良く揺さぶります。

 あの、お気持ちは分かりますが、もう少し手加減して頂いてもよろしいですか? 先程お酒を一気飲みしたからか、レオン班長の顔色が、若干悪くなってきています。



 そして、そんなお二人を他所に、特別遊撃班の皆さんは、飲み比べ対決の舞台を着々と整えていました。

 お酒が入っているせいか、いつもより心なしかノリがよろしいと申しますか、やっちまえ感が強いと申しますか、こう、ブレーキが利かない? そのような空気をひしひしと感じます。




「失礼しまーす」



 不意に、ノック音が響きました。リッキーさんが勢い良く振り返ったと同時に、個室の扉が開きます。

 ひょっこりと現れたお姉さんの姿に、わたくしとリッキーさんは、お顔を引き攣らせました。



「どうかされましたかー? 先程こちらの部屋から、なんだか大きな声が聞こえた気がしたんですがー?」

「な、ななな、何でもないよ姉ちゃんっ! 気にしないでっ! もう本っ当、何でもないからっ!」

「あぁ、店員さん。いい所にきてくれた」



 慌てふためくリッキーさんを遮り、マティルダお婆様はにっこりと微笑みます。




「何でもいいから酒を、そうだな。取り敢えず、四十杯持ってきて貰えるか?」




「……はい?」



 とんでもない注文に、お姉さんは目を丸くしました。



「これから息子と飲み比べをやるんだ。私も負けるつもりはないし、店の酒を全て飲み尽くす気持ちで臨むが、まずは小手調べということで、取り敢えず四十杯頼む。その次は瓶で注文するつもりだから、今の内に在庫を調べておいてくれ」



 ふぅーっ! かっこいいーっ! とばかりの声を上げて、班員さん達は盛り上がっています。

 明らかに酔っ払いのノリで騒ぎ、動く皆さんに、リッキーさんのお姉さんは、呆然とその場に立ち尽くしました。



 かと思えば、ゆーっくりと、振り返ります。




「………………リッキー?」




 弟を見つめながら、小首を傾げました。




 静か且つ穏やかな催促が、逆に恐ろしいです。




「い、いや、実は、そのぉ……あ、あそこの、一番奥に座ってる獣人さんがね? はんちょとシロちゃんを、自分がいたテーブルに連れていきたいみたいなんだ。でも、はんちょがそれに抵抗して、で、何でか分かんないけど、気付いたら、飲み比べで勝負することになってまして」



 リッキーさんは、口と共に、手を忙しなく動かしました。



「俺も、すぐに間に入ったし、止めようとしたんだよ? でも、皆、中々言うこと聞いてくれなくって。いや、別に言い訳するつもりじゃないんだけど。と、兎に角っ、すぐに、すぐに止めさせるからっ。本当すぐだからっ。だから、ちょっとだけ待っ――」



 つと、リッキーさんの肩へ、お姉さんの手がぽんと乗ります。



 リッキーさんは、思わず言葉を止め、お顔を青褪めさせました。



「ね、姉、ちゃん……?」



 恐る恐る窺うも、お返事はありません。沈黙が、余計に恐怖を助長させていきます。なんだかわたくしもどきどきして参りました。ほんの数拍の間さえ、心臓に悪いです。



 これから一体どうなってしまうのか。不安しか覚えない中、話の行方を大人しく見守っていますと、不意にお姉さんが、深く息を吸い込みました。

 次いで、リッキーさんの肩から手を離し、徐にエプロンのポケットの中を弄ります。



 そして、その場で素早く身を翻しました。

 


 何故か、個室の扉を、勢い良く開け放ちます。




“――いらっしゃいませいらっしゃいませーっ! 本日も『森の中のドワーフ亭』にご来店頂きまして、誠にありがとうございまーすっ!”




 エプロンから取り出したマイクを片手に、指をぱちんと鳴らしました。



 どこからともなく、店員さん達が集まってきます。




“――当店ではこれより、特別イベントを行いたいと思いますっ! 名付けて、『どちらが沢山飲めるのかっ!? 飲み比べ対決ぅぅぅーっ!』”




 景気良く拳を突き上げるお姉さんに、他のお客様達は、なんだなんだとテーブルからお顔を出しました。わたくし達も、何がなんだが分からず、ぽかんと口を半開きにします。



 その間、集まった店員の皆さんは、なんと個室の壁を撤去し始めたのです。

 どうやらこちらの個室。正確には個室ではなく、壁となる仕切りを置いて作った個室のような空間だったようです。そちらがどんどん解体され、自ずと中の様子も丸見えとなりました。




“――対戦者は、奥の席に座っているお二人でーすっ! こちらの方々、なんとドラモンズ国軍に所属する軍人さん同士となっていますっ! 果たしてどんな戦いっぷりを、いやっ、飲みっぷりを見せてくれるのかっ! 非常に楽しみですねー皆さーんっ!”



 お姉さんがそう問い掛ければ、周りのお客様達は、答えるように拍手をします。リッキーさんのお姉さんなだけあり、人を楽しませる実況が非常にお上手です。



“――さてっ! そんな楽しいイベントがこれから始まるのですがっ! ただ見ているだけではつまらないですよねーっ? そこでっ、こんなものを用意してみましたーっ!”



 お姉さんが手を差し向けた先には、レオン班長らしき人相の悪い男性の絵と、お婆様らしきライオンさんの獣人の絵が描かれたホワイトボードが設置されていました。



“――勝者予想投票ボードでーすっ! こちらはその名の通り、どちらが勝つかをお客様に予想して頂く為のボードとなっておりますっ! 是非とも参加してみて下さいっ! 見事当てたお客様には、当店で使えるお食事券をプレゼントだぁーっ!”



 ばばーんっ! と効果音を付けて、お姉さんは店名と数字が書き込まれた紙束を、これ見よがしに掲げてみせます。

 途端、おぉーっ! という声が響きました。



“――更に更にっ! 飲み比べということですのでっ、本日は大盤振る舞いしちゃいますっ! ただいまより当店のアルコール類っ! 全品っ! なんとなんとぉっ! 半額にさせて頂きまーすっ!”



 店内に、一層大きなどよめきが広がります。

 心なしか、お客様方の瞳に輝きが増しました。



“――但しっ! 半額なのは、飲み比べ対決の決着がつくまでですっ! それまでは、何を頼んでも半額っ! アルコールなら、どれを選んでも半額となりますっ! この機会を、是非ご利用下さーいっ!”



 そう言って、リッキーさんのお姉さんが頭を下げると、拍手と歓声が湧き上がります。次いで、其処彼処から店員さんを呼ぶ声が掛かりました。メニュー表片手に、次々とアルコールの注文が入ります。




「……リッキー」



 一つ息を吐くと、お姉さんは徐に振り返りました。呆けている弟へ、持っていたマイクを突き付けます。




「後は頼んだわよ」




 にこりと微笑むや、お姉さんは飛び出していきました。手を挙げるお客様の元へ、


「はいただいまーっ!」


 と駆け寄ります。



 嬉々として注文を取っていく姉の背中を、リッキーさんは未だ固まりながら見送りました。手には、押し付けられたマイクがきちんと握られています。




『あの……リッキーさん? 大丈夫ですか?』



 思わず声を掛けるも、お返事はありません。それはそうですよね。このような展開になるだなんて、わたくしも思っていませんでした。飲み比べ対決も店内イベントとして扱われておりますし、お酒の入ったグラスも着々と運ばれています。もう止めることは出来ないでしょう。



 困りましたねぇ。

 そんな気持ちで、リッキーさんを見上げれば、リッキーさんは、深く息を吸い込んでいました。マイクを持つ指へ力を込めると、徐に、歩き出します。



 そして。




“――はいっ! それではここでっ、本日の対戦者の紹介をしたいと思いまーすっ!”




 レインボーカラーの髪を靡かせつつ、元気良くアナウンスを始めました。



 それはもう、生き生きとされています。




“――こちらのお二人、実は親子なんでーすっ! 今回の対決は、息子とペットを侍らせてお酒が飲みたい母と、絶対にお断りな息子の、親子喧嘩が発端となっていまーすっ! なので皆さん、どうぞお気楽に観戦してって下さーいっ!”



 親子喧嘩、という所で、店内から笑い声がさざめきました。拍手も湧き、お客様の肩から一段と力が抜けたような気がします。

 あっという間にリラックスムードを作り上げる手腕は、流石リッキーさんですね。



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