29‐4.提案です
「こら、レオン。駄目だろう? 人の尻尾を引っ張ってはいけないと、子供の頃に教えた筈だぞ?」
「なにシロを連れていこうとしてんだ」
「お前だって、尻尾を無断で掴まれたら嫌だろう? 事実子供の頃、いきなり走り出したお前を止めようと、私が咄嗟に尻尾を踏み付けたら、それはもう怒っていたじゃないか」
「シロを返せ」
「その後、執拗に私の脛を狙ってきてな。あまりの的確な攻撃に、こいつは将来大物になると確信せざるを得なかったぞ」
「返せ」
「所で、レオン。お前、今日もなんて可愛いんだ。毎日見ている筈なのに、毎日違う可愛さを見せるだなんて、お前のポテンシャルの高さには脱帽する」
「返せ」
「あぁ、勿論シロも可愛いぞ。お前のような孫を持てて、私はなんて恵まれているんだろう。己の幸運が恐ろしい程だ」
そう言って、マティルダお婆様はわたくしの頭を撫でて下さいます。嬉しいのですが、大丈夫ですか、お婆様?
レオン班長が、腕の筋肉を隆起させながら尻尾を引っ張っておりますが。
「レオン、尻尾を引っ張るなと言っているだろう。私を引き止めたいのは分かるが、獣人にとって尻尾はデリケートな部分だからな。あまり刺激を与えてはいけないぞ」
「シロを置いてけばすぐに離してやる」
「む、それは困る。私もシロと一緒に飲みたいんだ。独り占めなんてずるいじゃないか」
「知るか」
「仕方ない。ならば、レオンも共にくるがいい。うちのテーブルに招待してやろう。お前はシロと私と共にいられるし、私もお前とシロと共にいられる。正に一石二鳥だな」
「どこがだ」
眦を尖らせて、レオン班長は一層腕へ力を込めます。マティルダお婆様は、困った子供の相手をするかのように、ライオンさんの耳を一つ揺らしました。
「ちょいちょいちょーい。お二人さーん。何やってるんですかー。喧嘩は駄目ですよー」
リッキーさんがすかさずやってきます。間に入り、宥めるように両手を振りました。
「喧嘩はしていないぞ、リッキー。ただ、レオンが私と離れたがらなくてな。困っていた所なんだ」
「あぁー、そうですかぁー。成程ぉー」
リッキーさんは、わたくしを見やり、わたくしが入っているカートへ手を掛けるお婆様を見やり、青筋を立てるレオン班長を見やり、力強く握られているお婆様の尻尾を見やった所で、ある程度状況を把握されたようです。どうやって穏便にこの場を納めようか、必死で考えているのが丸分かりなお顔をされています。
「よし、分かった。では、こうしよう」
マティルダお婆様が、耳をぴんと立たせて、微笑みました。
「ここは一つ、飲み比べで勝負だ」
……え? の、飲み比べ、ですか?
「私は、お前とシロを連れて自分のテーブルへ戻りたい。お前は、私とシロにここへいて欲しい。どちらも自分の主張を曲げるつもりはない。ならばもう、飲み比べるしかあるまい」
「え、ちょ、ちょーっと待って下さいよ、マティルダ隊長。言いたいことは、まぁ、分からなくはないですけど、何で飲み比べなんですか? もっと穏便な方法があるでしょう。じゃんけんとか、あみだくじとか」
「何を言っているんだ、リッキー。飲みの席での争いなのだから、当然酒で決着を付けるべきだろう」
さも当たり前なように、お婆様は言い切ります。
リッキーさんは、口角を引き攣らせていました。それはそうですよね。ただでさえ酔っ払っているお婆様に迎え酒など、させたくありませんよね。
「い、いやぁー。それは、どうですかねぇー。ね、ねぇ、はんちょ? 別に、飲む量で対決なんて、しなくてもいいよねぇ?」
そう振るも、レオン班長からの返事はありません。ですが、否定もありませんでした。ただただ厳つい造りのお顔を顰めて、お婆様の尻尾を握り締めているだけです。
恐らく、ですが。
レオン班長も、お婆様との飲み比べは、出来ればやりたくないのだと思います。
何故なら、ほぼ確実に負けるからです。
決してレオン班長が、お酒に弱いというわけではありません。ただ、マティルダお婆様が酒豪なのです。
わたくし、リビングでレオン班長やクライド隊長が潰されている姿を、何度となく見てきました。動かなくなったお二人を抱き寄せながら、ご機嫌にお酒を飲み続けるお婆様の姿も、よく見ます。しかも次の日、二日酔いには一切なりません。本当にお強いのです。
そんなマティルダお婆様との飲み比べ。既に結果が見えている勝負を、わざわざやりたいとは思わないでしょう。けれど、やらないと口に出すのも、何となく負けたような気がするのかもしれません。よってレオン班長は、黙り込んでいるのではないでしょうか。複雑な男心です。
「大丈夫だ、レオン。お前の不安は、ちゃんと分かっている」
つと、お婆様は、深く頷いてみせました。
「飲み比べで、お前は私に勝った試しがない。負けが確定しているものを、何故わざわざやらねばならないのか。そう考えているのだろう?」
レオン班長の耳が、ぴくりと動きます。眉間の皺もきつく寄りました。眼光も、どんどん鋭くなっています。
「結果が分かっているものをやった所で楽しくない。普段の私ならば、きっとそう言うだろう。それでも私は、お前と飲み比べがしたい。ならば一体どうしたらいいか? 私は考えた。そして、閃いてしまったんだ」
マティルダお婆様は、ゆったりと尻尾を揺らしました。目も細めて、徐にカートから手を離されます。
そして、料理やグラスが並ぶテーブルへ腕を伸ばしました。
「いい勝負が出来るように、ハンデをやればいいんだ、とな」
そう言って、お酒の入った瓶を二本、掴みます。
かと思えば、勢い良く飲み始めました。
仰け反らせた喉を、音を立てて上下させるお婆様に、わたくし、思わずカートから身を乗り出してしまいました。
レオン班長も、驚いてライオンさんの耳と尻尾を立ち上げます。特別遊撃班の班員さん達も、なんだなんだとこちらを窺いました。
「っぷはぁ。どうだ、レオン。予めこれだけ飲んでおけば、流石のお前でも善戦出来るだろう? それとも、もっとハンデが欲しいか? お前が欲しいだけくれてやるぞ?」
口元を拭い、マティルダお婆様は、更にテーブルへ置かれたお酒に手を伸ばします。
その腕を、レオン班長が押さえました。
抗争中に敵へ突撃する寸前のマフィアが如き形相で、お婆様を睨み付けます。
同時に、テーブルの上の酒瓶を、無言で掴み取りました。
そして天を仰ぎ、一気にお酒を呷ります。
『レ、レオン班長っ。何をされているのですかっ? そのような飲み方をしては駄目ですよっ』
しかし、レオン班長は止まりません。先程のお婆様同様、いえ、それ以上の速さで、飲み干しました。
ダンッ、と力強く空の瓶をテーブルへ叩き付けると、鼻を鳴らします。挑発的にお婆様を見やりました。
「……おい、リッキー」
「えっ? な、何、はんちょ……?」
恐々と窺うリッキーさんへ一切視線を向けずに、レオン班長は続けます。
「この店の酒、ありったけ持ってこい」
その瞬間、お二人を見守っていた班員さん達から、雄叫びめいた歓声が上がりました。
お婆様も、一層目を弓なりにします。ライオンさんの尻尾も、楽しそうに波打ちました。
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