29‐3.酔っ払いです



「どうした、レオン? そんな可愛い顔をして。もしや、私が抱き締めてくるのを、今か今かと待っていたのか?」

「違ぇ」

「そうか、それはすまなかったな。愛しい息子を悲しませるだなんて、私は母親失格だ。だが、別にお前を蔑ろにしていたわけではないんだぞ? そこの所はどうか分かっていて欲しい。そして私の愛を、どうか疑わないで欲しい」

「知るか」

「では、レオン。仲直りをしよう。お前の望み通り、これでもかと抱き締めてやる。いや、私が抱き締めたいんだ。心からお前を」

「断る」

「さぁ、遠慮なくこの胸に飛び込んでこい。お前を受け止める準備は、いつでも出来ているぞ」

「さっさと帰れ」



 両腕を広げてやってくるお婆様のお顔を、レオン班長は片手で鷲掴みます。そのまま押し退けようとしますが、獣人の力には勝てません。さくっと捻られ、わたくしごと熱い抱擁を受けることとなりました。



「よしよし、すまなかったなレオン。シロばかり構われて、寂しかったな」

「離せ」

「シロが羨ましかったが、中々言い出せなかったんだな。気が利かない母親ですまない。お前は昔から恥ずかしがり屋だったと、私は知っていた筈なのに」

「離せ」

「レオンは可愛いな。いつ見ても可愛いぞ。何故こんなに可愛いんだろうな。私は不思議で仕方ない」

「離せ」

「不思議と言えば、あれなんだ。うちの家族は、皆可愛いんだ。クライドを筆頭に、ラナとシロもそれはそれは可愛らしくてな。可愛い者達がこんなに集まるだなんて、最早奇跡としか言いようがないのではないかと私は常々考えるんだが、お前はどう思う?」

「離せ」

「そうか、お前もそう思うか。ならば、可愛いに囲まれながら生きていく権利を持つ私は、なんて幸せ者なんだろうか。前世で相当な徳を積んだに違いない。前世の己に感謝しなければいけないな」



 激しく抵抗するレオン班長を易々と押さえ付けて、マティルダお婆様は頬擦りをします。ちゅっちゅとキスも落としました。心なしか、先程と似たような内容を言っている気がします。これは相当酔いが回っていますよ。お陰でレオン班長の米神に、じわじわと青筋が浮かんできました。



『レ、レオン班長。落ち着いて下さい。怒鳴っては駄目ですよ。暴れても駄目です。リッキーさんのお姉さんに怒られてしまいますからね? まずは深呼吸でもして、心を鎮めましょう。はい、吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー』



 わたくしは、声に合わせて前足を動かしました。どうにか宥めようと、レオン班長のお胸を揉んでいきます。しかし、効果はありません。

 このままでは、本当に怒られてしまいます。一体どうしたら、とレオン班長とマティルダお婆様に挟まれながら、むむむと考えていますと。




「あのー、お二人さーん?」



 視界の端から、レインボーカラーに染められた髪が、そそっと近付いてきました。リッキーさんです。眉を下げ、上目でこちらを窺います。




「仲良く話すのは構わないんですけどぉ、もう少ぉーしだけテンション下げて貰ってもいいですかぁ? ほら、二人がいつものノリで戯れちゃうとぉ、場合によっては店の備品が壊れる恐れがあるんでぇ。そうしたらぁ、俺が姉ちゃんに怒られちゃうんでぇ。ここは一つ、穏便にやって下さいよ。ね?」



 この通り、とリッキーさんは両手を合わせて、頭を下げました。幼く見えるお顔には、これでもかと本気の懇願が浮かんでいます。お姉さんが本当に怖いのだなと、よくよく分かる姿です。



「それから、マティルダ隊長ぉ。そろそろご自分のテーブルに戻られた方がいいですよぉ? さっき、マティルダ隊長を探してる風な人を、というか、ルーファスさんをぉ、廊下でちらっと見掛けたんでぇ」



 と、外へと続く扉をリッキーさんは指差しました。マティルダお婆様も同じ方向を見やり、ふむ、と一つ唸ります。



「そうか、ルーファスが探しているのか。きっと私の姿が見えなくて、悲しくなってしまったんだな? 全く、仕方のない奴だ」



 お婆様は、満更でもないお顔で首を横へと振りました。



「だが、そこまで慕われるなんて、隊長冥利に尽きるというものでもある。よし、甘えん坊な部下の為、ここは一つ戻ってやるとするか」

「それがいいですよぉー。もうルーファスさんったら、本当に不安そうでしたもぉーん。きっとマティルダ隊長の帰りを、今か今かと待ってますよぉー」

「そうだな。そうに違いない」



 リッキーさんの全く心の籠っていない言葉に、マティルダお婆様は頷いています。何故か己の推理に確信を持っておられるようですが、恐らく違いますよ? ルーファスさんは、帰りの遅いお婆様を普通に探しているだけでしょうし、これっぽっちも寂しがっていないと思いますよ?




「では、申し訳ないが、少しばかり席を外させて貰う。なに、安心しろ。ルーファスや他の奴らに顔を見せたら、またすぐ戻ってくる」

「こなくていい」

「名残惜しいが、しばしの別れだ。私がいない間、泣くんじゃないぞ? 寂しくとも、外へ探しにいこうとせず、ここでじっと待っていてくれ。行き違いになったら大変だからな。約束だぞ?」

「泣かねぇし、約束もしねぇ」

「さぁ、最後に抱き締めさせてくれ。お前達の温もりと共に、私は旅立つとしよう」

「さっさと帰れ」



 お婆様は、まるで今生の別れとばかりに、熱い熱い抱擁をレオン班長へと贈ります。息子の反抗などないかのように頬擦りし、頭や耳へちゅっちゅとキスを落としました。

 わたくしへも、それはそれは激しいキスが、ちゅぅぅぅぅぅーっと向けられます。いっそ吸っていると言っても過言ではない勢いです。ついでに、喉もごろごろと景気良く鳴らしています。



「あ、そうそうはんちょ。シロちゃん抱っこしてたいのは分かるけど、駄目だよぉ? 店のルールだから、ちゃんと専用のカートに入れてあげてねぇ?」



 マティルダお婆様の背後から、リッキーさんがカートを押してやってきます。かと思えば、レオン班長の助けを求める視線など気付いていないかのような笑顔で、


「よろしくー」


 と去っていきました。

 恨みがましくリッキーさんを睨むレオン班長は、正に憎い仇に逃げられたマフィアの如き形相です。歯噛みしすぎて、ぎちぎち音を立てています。



“――いらっしゃいませいらっしゃいませー。本日も『森の中のドワーフ亭』にご来店頂きまして、誠にありがとうございまーす。当店では、毎月五の付く日はファミリー割引を行っておりまーす。ご家族でご来店頂きますと、お会計から最大十五パーセントオフとなりますので、是非ご利用下さーい”



 リッキーさんのお姉さんの陽気な声が、廊下から聞こえてきました。あぁ、こちらのお店は色々なサービスを行っているのですねぇ、とわたくしは、お婆様に頬を食まれつつ、個室の扉を眺めます。

 そのまま半ば現実逃避をしていますと、不意に、きつい拘束が緩和されました。




「さて、レオン」



 散々愛を表現して気が済んだのか、マティルダお婆様は満足そうなお顔で、レオン班長へ巻き付けていた腕を解きます。途端離れていく息子を、優しく見つめました。



「私も帰ることだし、リッキーが言っていた通り、シロをカートへ戻してやれ。お前が注意されるのは自業自得だが、そのせいでシロが店から追い出されたらどうするんだ。ひとり寂しく過ごさせるのも可哀そうだろう?」



 レオン班長の毛のない眉に、ぐぐっと力が籠ります。口も不満げにひん曲げておりますが、しかし、反論はないようです。わたくしを二度三度撫でると、緩慢も緩慢な動きで、カートの中へ下ろしてくれました。



『ありがとうございます、レオン班長。マティルダお婆様も、諭して下さってありがとうございました』



 ギアーと笑顔でお礼を伝えれば、お婆様も目を細めます。ライオンさんの尻尾を揺らして、レオン班長を振り返りました。




「ではな、レオン。また後で」

「……二度とくるな」

「照れるな照れるな」

「照れてねぇ」



 レオン班長の堂に入ったメンチ切りも気にせず、お婆様は踵を返します。周りの班員さん達にも一声掛けてから、個室の扉へと向かいました。




 わたくしが乗ったカートを、手で押しながら。




「待て」



 目にも止まらぬ速さで、レオン班長はマティルダお婆様の尻尾を鷲掴みます。



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