29‐2.乱入です



『駄目ですよ、レオン班長。きちんとルールは守らないと。リッキーさんのお姉さんに怒られてしまいますよ? 良いのですか? パトリシア副班長よりも怖いらしいですよ?』



 ギアギアと説得を試みるも、わたくしを抱き締める腕の力は緩みません。

 こうなったレオン班長は、かなり手ごわいのです。わたくしが一時でも傍を離れようとする度、阻止してくるのですよ? まぁ、それだけ愛されているということなのかもしれませんが、しかし、困るのもまた事実です。落ち着いてお手洗いもいけません。




 さて、どうしましょうか。わたくしは、はふんと溜め息を吐き出します。

 こちらの様子を気に留めている方は、見た限りいらっしゃいません。リッキーさんも、班員さん達が羽目を外しすぎないよう注意するのに忙しいらしく、レオン班長のルール違反に気付いていません。アルジャーノンさんも手酌でお酒を飲み始めてしまい、助けは期待出来なさそうです。

 そもそも、ノリの良さに定評のある方々しかおりませんから、例え気付いて下さったとしても、止めてくれるかはまた別の話になるでしょうね。



 それでも、どうにかしなければなりません。わたくしは、レオン班長の腕から逃れるべく、身を捩りました。気合いと共に、カートへ前足も伸ばします。

 けれど、わたくしの抵抗など、赤子の手を捻るようにレオン班長はいなしました。



“――えー、当店ではただ今、二十名様以上で個室をご予約頂くと、団体割引として合計から十パーセントオフさせて頂きまーす。更に会員カードを作って頂くと、お得な特典が複数付いてきますので、ご興味のある方は店員までお気軽にお問合せ下さーい”



 個室の外から聞こえる軽快なアナウンスを受け流しつつ、わたくしは己の持てる限りの力を駆使して、レオン班長の腕力に挑みます。

 結果は惨敗です。

 ぴくりとも動かないどころか、いっそわたくしと遊んでいる位の極々軽い態度です。時折わたくしをひっくり返し、お腹の毛をかき混ぜたりもされました。最早勝てる気がしません。




『もーっ、レオン班長困りますよっ。わたくしがカートから出ている所をリッキーさんのお姉さんに見られたら、何と言われるか分かりませんからねっ。良いのですかっ? 良い年をした大人が、他所様のお姉さんに激怒されても良いのですかっ? ペットの前で情けない姿を晒すおつもりなのですかっ?』



 ギアーと力強くわたくしは語り掛けます。それでもレオン班長は、わたくしを解放しません。もう万事休すです。

 ここまできたら、いっそ諦めた方が良いのでは。そんな考えがわたくしの頭を過ぎった、その時。



 何の前触れもなく、個室の扉が開きました。



 遂にリッキーさんのお姉さんがやってきたのかと、わたくし、恐る恐る振り返ります。



 しかし、扉の前にいたのは、リッキーさんのお姉さんではありませんでした。他の店員さんでもありません。




「失礼するぞ」




 現れたのは、ライオンさんの尻尾を揺らす、わたくしの大好きな獣人の女性です。




『まぁ、マティルダお婆様っ!』



 シロクマの耳が、ぴんと立ち上がります。口角も緩みました。

 レオン班長を何とかして下さりそうな方の登場に、わたくしの尻尾は自ずと揺れてしまいます。



 しかし、何故お婆様がこちらへいらっしゃるのでしょうか?




「あれー? マティルダ隊長じゃないですかー。こんばんはー」

「あぁ、こんばんはリッキー。いきなり邪魔をしてすまないな」

「いえいえー、全然大丈夫ですよー。けど、一体どうしたんですかー? 何かありましたー?」

「いやなに。同じ部署の奴らと共に、アマフェスの打ち上げにきていたんだが、店内でアルジャーノンの姿を見付けてな。もしやレオン達もいるのではと思い、こうして探しにきたんだ。そうしたら、この個室からシロの鳴き声が聞こえるじゃないか。ここだと当たりを付けて扉を開いたら、案の定発見したと、そういうわけだ」



 成程ー、と頷くリッキーさん。お婆様も深く頷くと、部屋の中を見渡しました。そうしてわたくしを見つけるや、目を細めます。



「あぁ、そこにいたのか」



 マティルダお婆様は、こちらへ歩み寄ってきました。すれ違い様に班員さん達と挨拶を交わしつつ、ライオンさんの耳と尻尾をご機嫌に揺らします。



「やぁ、レオン、シロ。こんばんは。打ち上げ会場が同じだなんて、凄い偶然だな」

『こんばんは、マティルダお婆様。本当に偶然ですね。わたくし、気付きませんでした』

「しかも、シロも一緒だなんて知らなかったぞ。言ってくれれば、もっと早くお前達に会いにきたというのに。いや、いっそ合同で打ち上げをすれば良かったな。残念だ」



 お婆様は、レオン班長のお膝の上から、わたくしをひょいっと抱え上げました。両腕で抱き締め、うりうりと頬擦りをしてきます。



「可愛いな、シロ。お前はいつ見ても可愛いぞ。何故こんなに可愛いんだろうな。私は不思議で仕方がない」

『ありがとうございます。そこまで褒めて頂けるなんて、光栄です』

「不思議と言えば、シロ。うちの家族は、皆可愛いんだ。クライドを筆頭に、レオンとラナもそれはそれは可愛らしくてな。可愛い者達がこんなに集まるだなんて、最早奇跡としか言いようがないのではないかと私は常々考えるんだが、お前はどう思う?」

『そうですね。少なくとも、わたくしがお婆様の孫になれたのは、奇跡のようなものだったと思いますよ』

「そうか、お前もそう思うか。ならば、可愛いに囲まれながら生きていく権利を持つ私は、なんて幸せ者なんだろうか。前世で相当な徳を積んだに違いない。前世の己に感謝しなければいけないな」



 何度も深く頷き、お婆様は一層わたくしに頬を寄せました。更には、額にちゅっちゅとキスを送ってきます。心なしか、いつもの数倍雰囲気も甘いです。




 その際、お口からふんわりとお酒の香りが漂ってきました。




『……マティルダお婆様』



 さては、もう出来上がっていますね?



 確信を持って問い掛ければ、お婆様は一層目を弓なりにしました。そうしてお返事代わりに、わたくしの脳天へちゅうぅっと長めのキスを落とします。




 マティルダお婆様は、お酒を飲むと非常に陽気になるのです。それだけでなく、愛情表現も普段の三割増しで豊かになります。

 お口を開けば褒め言葉しか出てこず、手を動かせばこれでもかと抱き締め、頬擦りしてきたかと思えば、合間合間にキスの雨を降らせるという、甘さに甘さを重ねた態度で接してくるのです。



 しかも、場合によっては、耳や頬を食まれます。所謂、食べちゃいたい位可愛い、という奴だそうです。

 まぁ、はむりとやられる位ならば、わたくしも構わないのですが、お願いですから頭を丸ごと頬張るのは止めて下さい。流石にわたくしも怖いですし、レオン班長も驚いてしまいますので。



『知っていますか、お婆様? 大口を開けたお婆様は、それはそれは迫力満点なのですよ? 真正面から迫るライオンさんの歯に、本能的な恐怖を感じると申しますか、体が勝手に震えると申しますか、こう、毛がぶわわぁっと膨れ上がってしまうのです。愛情表現の一つだと分かっていますが、それはそれとして自重して頂けるとありがたいですよ』



 ギアギアーと語り掛けるわたくしに、マティルダお婆様は何度も相槌を打って下さいます。わたくしの頭も、若干熱を帯び始める程に撫で擦り、キスの合間にシロクマの耳をはむはむと唇で挟んでいきました。これはいよいよ酔っ払っていますね。



 どことなく目もとろりと緩んでおりますし、このまま放っておくと、周りにいる方々を侍らせ始めかねません。お家でお酒を飲む際も、よくわたくしとラナさんをお膝に乗せ、クライド隊長とレオン班長を両脇に座らせては、ハーレムを築いていますもの。

 曰く、愛する家族に囲まれながら飲むお酒が一番美味しいとのことですが、しかし、そちらをお外でやるのはいかがなものかと思いますよ? クライド隊長も、


「頼むから外では大人しく飲めよ。俺を呼び出させるなよ」


 とおっしゃっていたではありませんか。



 さて、どうやって宥めたら良いのやら。そう頭を捻っていますと。




『あら?』




 不意に、体が宙へ浮きました。

 かと思えば、お婆様の腕から、別の腕へと移動します。



 この安定感のある抱き方と、程良い弾力の胸筋は。




『レオン班長』



 仰ぎ見れば、見慣れた強面が、一層厳つくなっておりました。

 毛のない眉をこれでもかと寄せ、ドンの仇と対峙したマフィアが如き形相で、マティルダお婆様を睨んでいます。



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