26‐3.子狼さんの懸念です



『所で、シロさん。一つ質問があるんですが』

『質問ですか? 何でしょう?』

『先程、休憩していた時のこと、なんですが……』



 シルヴェスターさんは、何故か神妙な面持ちで、わたくしを見ています。




『……姉上達に、一体何をやらされていたんですか……?』




『え、何を、と申しますと?』

『いえ。私も離れていたので、はっきりとは分からなかったんですが、何というか、こう……随分と物騒な単語というか、あまりよろしくない言葉を、女性の皆さんが連呼していたように、思えたんですが……』



 一瞬考え、すぐさま思い当たります。



『あぁ。あれは、ケルベロスのお姉様方から、困ったお客様の対処法を習っていたのですよ』

『対処法、ですか』

『えぇ。全く難しくありませんし、すぐに実践出来そうなことばかりで、とても参考になりました』



 シルヴェスターさんは、軽く首を上下させると、居心地悪そうに身じろぎます。



『あの、因みに、なんですが……具体的に、どのような内容を……?』

『例えば、相手に手を出された際は、強く怒鳴ったり、激しく助けを求めたり、大げさに痛がったりして、相手を怯ませつつ、自分が被害者であると周りに印象付ける、などでしょうか』

『その為に……あのような言葉を?』

『そうですね』

『姉上達が、皆さんに言わせたと……』

『まぁ、そうですね』



 すると、シルヴェスターさんの耳は、しおしおと項垂れていきました。



『……申し訳ありません。私の姉が、失礼な真似をしまして……』

『いえ、そのようなことはありませんよ。先程も申しましたが、わたくしはとても助かりました。ケルベロスのお姉様方に教えて頂かなかったら、いざという時、どうしたら良いか分からず困っていたかもしれませんもの』

『ですが、それにしてももう少し穏便なやり方があったでしょう。いくら相手によく効くからと言って、わざわざ姉上達がやっている通りにやらせる必要はない筈です。せめて、もっと柔らかい表現にするとか、そういった気遣いがあってもいいと思います』



 シルヴェスターさんは眉間に皺を寄せ、地面を睨みます。思いの外憤慨されているようです。



『ご心配、ありがとうございます。ですが、わたくしはちっとも気にしておりませんよ。他の女性陣も同じです。有意義な時間を過ごせたと思っています』

『しかし……』

『どうかそのように気になさらないで下さい。わたくし達は大丈夫ですから』

『しかし……流石に女性に、このゲス野郎、とか、ゴミクズが、とか、尻の穴に前足突っ込んで奥歯がたがた言わせたろか、とかを言わせるのは……』



 まぁ、わたくしも多少は思いましたが。

 ですが、内心楽しかったのもまた事実です。そういった言葉をあれ程堂々と言う機会など、早々ありませんからね。ある種のストレス発散となりました。他の方も楽しまれていたので、問題はないでしょう。




『そういえば、シルヴェスターさん。わたくし、疑問に思っていたことがあるのですが』

『え、あ、は、はい。何でしょう?』

『お尻の穴に前足を突っ込んで奥歯をがたがた言わせる、というのは、一体何なのですか? 罵倒する内容だということは分かるのですが、具体的にどういう意味なのかと思いまして』

『あぁ、それは、その……それ位自分は怒っているんだぞ、ということを表すのに加え、そんなことをされてもいいのか、と相手を脅し付ける意味合いも籠っているのだと、思って頂ければ』



 成程。お尻に前足とは一体どういうことか、と不思議だったのですが、そのような意味があったのですね。



『ですが、所謂スラングですので、使うことはあまりおすすめしません。これ以外にも色々と教わったと思いますが、わざわざ強い言葉を使う必要もないと思いますよ。普段の言葉遣いで怒鳴るだけでも、十分相手に伝わりますから』

『そうですか?』

『えぇ。そもそも、私達の言葉は人間に聞こえていませんから。汚かろうが丁寧だろうが変わりません。寧ろ、使い慣れている言葉の方が、より自分の気持ちを相手へ伝えられるものです』



 その言葉に、わたくしは納得の相槌を打ちます。

 確かに、わたくしが強い言葉を使うと、どうにも迫力が足りないと申しますか、慣れていない感が丸分かりで、相手への威嚇効果が低いよう感じていたのです。

 ケルベロスのお姉様方にも言われました。


『シロちゃんは怒る系より、痛がる系の方が向いとるかもな』


 と。傍から見ても、やはり適正はあまりないようです。



『分かりました。では、もしもの時は、わたくしの言葉で対応してみたいと思います』

『それがいいと思います。えぇ、はい』



 と、シルヴェスターさんは、それはもう大きく頷かれました。それ程ですか。それ程わたくしはやらない方がよろしいのですか。

 わ、わたくしだって、やれば出来るのですからね。なんせシロクマですもの。肉食獣なのですから、ケルベロスのお姉様方のような、それはそれはドスの利いた声で怒ることだって、出来るのですからね。



 何となくいじけた気持ちで地面を突いていると、わたくしの思いを察して下さったのか、シルヴェスターさんは苦笑気味に耳を一つ揺らします。




『別に、シロさんを侮っているわけではありませんよ。ただ私が、あまり品のない言葉を女性に使って欲しくないだけですから。気にしないで下さい』



 でも、とシルヴェスターさんの目が、わたくしをじっと見据えました。



『対処法を使う使わない以前に、そもそも巻き込まれないようにすることが一番大切です。危機回避も、軍用動物には必要な能力ですから。逃げられるのならば、手を出される前に逃げるべきだと、私は思います』



 はっと、わたくしは息を飲みます。



『先日シロさんは、荒事があまり得意ではないとおっしゃっていました。私も、シロさんには向いていないと思います。仮に適正があったとしても、だから危険なことに首を突っ込んでいい、というわけではありません。慎重すぎる位慎重な行動こそが、我々の身の安全を守る術であり、ひいては他の方の安全にも繋がってくるのではないでしょうか』



 シルヴェスターさんは、淀みなく続けました。



『逃げることは、決して恥ではありません。戦略的撤退という言葉がある位です。無暗に相手へ噛み付くことが、全て正しいわけではないと私は思います。時には、笑われても尻尾を巻いて逃走した方が、結果的に周りへ迷惑を掛けないことだってある。何を優先すべきか、判断を見誤っては、いつか取り返しの付かないことになりますよ』



 静かに語られる言葉に、わたくしの肩へ自ずと力が籠っていきます。同時に、目から鱗が落ちるような感覚も覚えました。己の不甲斐なさと申しますか、視野の狭さも、まざまざと見せられた気分です。



 シルヴェスターさんは、決して意地悪で止めた方が良いとおっしゃっていたわけではありません。わたくしの勘違いを訂正する為に、あえて止めて下さったのです。



 対処法を知ったからと言って、わたくしが強くなったわけではございません。ですのに、出来るつもりになっていました。止められて、ムキにもなってしまいました。本質を見誤っているのは、わたくしだというのに。



 情けないです。恥ずかしささえ覚えます。

 シロクマの耳と尻尾が、自ずと垂れていきました。お顔も下がっていきます。




 そんなわたくしの耳へ、つと入ってきた、明るい声。




『まぁ、つまり、何が言いたいのかというと』



 シルヴェスターさんが、空気を切り替えるように、口角を持ち上げていました。




『無理はせず、シロさんはシロさんらしくあればいいのではないか。私はそう考えていると、そういうことです』




 目を細め、首を少し傾げます。

 その眼差しは、あまりに優しく、穏やかでした。



 シルヴェスターさんは、遠回しに諭して下さったのです。わたくしが、きちんと己の思い上がりを気付けるように。しかも、あくまで自分がそう考えているだけなのだと、わたくしがどうこうというわけではないのだと、フォローさえして下さいます。

 手厚い気遣いと心配りに、感謝の念しか覚えません。心なしか、目頭も熱くなってきたような気がします。けれど、ここで泣いては余計な心配を掛けてしまいます。

 ですので、わたくしは瞬きで涙を引っ込ませると、シルヴェスターさんへ微笑んでみせました。そうして、お礼を言おうと、口を開きます。



 しかし。




『『『見ぃーちゃったぁー♪』』』




 わたくしの声は、シルヴェスターさんの後ろから現れた三つの子狼さんの頭に、遮られました。



 ケルベロスのお姉様方です。



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