24‐7.ケルベロスのお姉様方です
『あ、シロクマちゃん、おったわ』
『シルー、あの子ー?』
『はい、そうです姉上』
『オッケェ。ほな、後はお姉ちゃんらに任せときぃ』
わたくしに声を掛けて下さった子狼さんを置いて、残りの三名はこちらへやってきました。わたくしよりも二回り程大きいです。姉上、とおっしゃっていたことから、恐らくご姉弟なのでしょう。
『待たせてごめんな。もう大丈夫やで』
『よう頑張ったわー。偉いでー、シロクマちゃん』
『さぁさぁ、ちゃちゃっと済まそうなぁ』
お姉様方は、わたくしの首根っこをちょいっと咥えると、あっという間にトレーまで運んで下さいました。砂のような粒の上へ下ろされたかと思えば、背中を向けた子狼さん達に取り囲まれます。
『お姉ちゃんらが、こうやって壁になってあげるからな。今の内に用を足すんやで』
『安心しいやー。うちらシロクマちゃんよりでっかいから、しっかり隠せとるよー』
『誰かきても、お姉ちゃんらがちゃあんと追っ払ってあげるからなぁ。邪魔なんかさせへんわぁ』
ふさふさの尻尾で、わたくしの涙を拭うように、目元を一撫でしていきました。
『あ、シル。念の為、こっちに誰も来いひんよう、ちょっと見張っといて』
『もし誰かきたら、足止めよろしゅうなー』
『無理そうやったら、すぐ言うんよ。こっちでどうにかするからなぁ』
『はい、分かりました姉上』
どなたかの遠ざかる音が、子狼さん越しに聞こえます。ですがそれ以降は、目の前のお姉様方のお喋り以外、殆ど聞こえませんでした。人の気配も、ほぼ分かりません。視界に映るのは、銀色の毛並みのみです。
急な展開についていけず、わたくしは目を白黒させながら、お姉様方の背中を見つめました。
『ん? どないしたん、シロクマちゃん? 何か気になることでもあった?』
『あ、あれやないー? もしかしたら、今度はうちらのことが気になって、おしっこ出来ひんのやないー?』
『あぁ、あり得るわぁそれ。壁言うても、うちら生きとるからなぁ。緊張してまうのかもしれへんわぁ』
『んー、ごめんなシロクマちゃん。うちらも、こればっかりはどうにも出来ひんわ』
『その代わりって言うたらあれやけどー。シロクマちゃんがおしっこしてる間、うちら何も気付いてへんフリするわー』
『せやなぁ。そしたらシロクマちゃんも、ちょこっとだけ気が楽になるかもしれへんわぁ』
『任せとき、シロクマちゃん。うちら、周りを気にせんでお喋りすんの、めっちゃ得意やから』
『おっちゃん達にもよう言われるわー。“お前ら、全然話途切れんなぁ。ずーっとくっ付いとるし、こっから見たら、三つ首の犬みたいやわ”って』
『誰がケルベロスやねんっちゅう話やんなぁ。思わず突っ込んでしもたわぁ、全員一緒に』
『そしたら、“ほら、やっぱそうやんか。名前も似とるし、丁度ええわ”とか言うんやで? 女の子相手にえげつないと思わへん?』
『ほんまなー。いくらうちらの名前が、ケルンとベローナとスージーやからって、三匹合わせてケルベロスはないわなー』
『でもうち、自己紹介で使えるとこは、嫌いやないでぇ? 一発で覚えて貰えるし、掴みはオッケェな感じとか、案外悪くないと思うわぁ』
『まぁ、分からなくはないわな。これやろ? どうもーっ、ケルンでーすっ!』
『ベローナでーすっ!』
『スージーでーすっ!』
『『『三匹合わせて、ケルベロスでーすっ! …………決まったわぁー』』』
きゃらきゃらと姦しく笑うお姉様方。その陽気な空気と、わたくしを気遣って下さる言葉に、張り詰めていたものが、ふと、緩みました。
あぁ、もう大丈夫なのだ。安堵と共に、そんな実感がひしひしと体へ広がっていきます。
自ずとわたくしの目頭も、熱くなってきました。戦慄く唇を噛み締め、鼻を啜ります。
『うぅ、あ、ありがとうございます、お姉様方……助けて頂いて、本当に、ありがどうごじゃりまずぅ……っ』
『あらあら、泣かんでええんよ。うちら、大したことはなーんもしてへんのやし』
『せやせやー。寧ろ、こんなんで感謝して貰うて嬉しいわー。こちらこそ、ありがとー』
『偉いなぁ、シロクマちゃん。ちゃんとお礼言えて。うちらがこん位ちっこい時は、そんなん出来ひんかったよなぁ?』
『出来ひん出来ひん。文句ばっか垂れてたわ』
『あれ嫌ー、これ嫌ー、言うてなー。もう毎日お母ちゃんに怒られとったわー』
『でも、全然反省しいひんかったなぁ。逆に口答えして、逃げ回ってたわぁ』
あー、あったあった、と思い出話に花を咲かせ始めます。一見お姉様方だけで盛り上がっているようですが、その実、わたくしが視線を気にせず用を足せるように、という配慮が所々に見え隠れしていました。それがまたありがたくて、涙が込み上げてきます。
こうしてわたくしは、お姉様方のご厚意によって、無事お手洗いを済ませられたのでした。しかもその後、わたくしが泣き止むまで話し相手になって下さったのです。本当に温かい方々です。何度お礼を言っても足りません。
……そういえば。
最初にわたくしへ声を掛けて下さった子狼さんは、一体どちらへ行ってしまったのでしょうか? 出来ればあの方にもお礼をお伝えしたいのですが、いかんせんお名前を知りません。分かっているのは、シルというあだ名と、ケルベロスのお姉様方の弟さんらしい、ということだけです。
はてさて。この手掛かりだけで、あの子狼さんを見つけられるのでしょうか?
と、不安に思っていたのですが。
『あぁ。それ、シルヴェスター君じゃない?』
『うん。多分シルヴェスターだぞ、それ』
あっさりと、見つかりました。
あまりのあっさり具合に、わたくしの口から、思わず間の抜けた声が零れます。
『え、えっと……それは、本当でしょうか? 本当に、わたくしが探しているのは、その、シルヴェスターさん? なのでしょうか……?』
信じられない、とまでは申しませんが、流石にここまで早く見つかるわけがない、という思いから、休憩用の広場で寛いでいたティファニーママさんの養い子達に、再度問い掛けます。
しかし、返ってきた答えは、やはり同じです。
『だと思うよっ。狼で、シルって呼ばれてて、ケルベロスのお姉ちゃん達の弟なんでしょっ?』
『だったら、シルヴェスター君しかいないよね』
子鳥さんと子鼠さんが、テンポ良く教えてくれます。
『ま、そもそもケルベロスの姉ちゃん達が、シルって呼んでる狼って、あいつしかいないよな』
『ケルベロスの姉ちゃん達を、姉上って呼ぶ狼も、シルヴェスター位だしな』
『と、特徴とかも、聞いた感じだと、シルヴェスター君っぽいよね』
子狐さんと子狸さん、子豚さんも、お顔を見合わせて頷きました。
『はぁ、そ、そうなのですか……』
わたくしは、曖昧に相槌を打ちながら、息を吐きます。
なんでしょう。それらしき方が見つかったのは嬉しいのですが、やや拍子抜けと申しますか、探偵の如く聞き込みをするつもりでいたので、少々がっかりと申しますか。いえ、良いのですけれどね。
『まっ、でもさっ。可能性が高いってだけで、絶対にそうって決まったわけじゃないからっ』
『これで違ってたら、ちょっと恥ずかしいよね。声掛ける前に、本当にシルヴェスター君だったのか、一回確認しといた方がいいんじゃないかなぁ?』
『そう、ですね。わたくしも、いらぬ恥をかきたくありませんし、事前にお顔を拝見したいです』
『じゃあ、今から会いにいくか? シルヴェスターに』
『いや、今は無理だぞ。あいつ、俺らと入れ違いで休憩入ってたから』
『じゃ、じゃあ、ボク達の休憩が終わったら、わくわくふれあい広場で、シルヴェスター君を探そうよ。も、もし違ってたとしても、ボク、シルヴェスター君に、シロちゃんを紹介したいな。どうかな?』
さんせーい、と皆さんは声を上げました。わたくしも、お断りする理由などございませんので、すぐさま了承しました。
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