23‐7.複雑な乙女心です



『それより、すまないね、シロ君』

『は、え、な、何がでしょうか?』

『先程、うちの隊員であるオリーヴが、少々暴走してしまっただろう?』



 オリーヴ、というお名前に、わたくしのお顔は引き攣ります。少々どころか大分暴走していたと思いますが、ロビン様にそう突っ込むのもなんだか気が引けたので、曖昧に笑うに留めておきました。



『彼女も悪い子ではないんだよ。ただ、小さくて可愛いものが好きなだけなんだ』

『小さくて可愛い、ですか』

『そう。シロ君のような、ね』



 ぱちり、とウィンクを送られ、わたくしの心臓へ、またしてもバキュンと衝撃が走ります。心なしか、お顔も熱を帯びてきました。



『ま、まぁ。ロビン様ったら、お上手なのですから』

『おや、心外だね。ボクはただ本心を言っただけなのに』

『や、止めて下さい。そのように褒められては、困ってしまいます』

『ふふ、照れているのかい? そんな君も愛らしいね』



 黒目がちな瞳が、わたくしを見つめます。その眼差しがあまりに甘く、また穏やかで、なんだか直視出来ません。失礼と知りながらも、わたくしはそっとお顔を逸らしました。



 すると、自分の前足が、視界に入り込みます。



 ……茶色いです。先程も思いましたが、すこぶる茶色さです。

 やはり満足に洗えていないから、汚れが落ち切っていないのでしょう。自慢に思っていた白い毛の無残さを改めて目の当たりにし、浮ついていた気分も滅入ってしまいます。




『……はっ』



 そこでわたくし、気付きました。




 わたくしは、このような野生のシロクマの如き風貌で、ロビン様とお話していたのだと。



 あれ程洗練された、美の化身もかくやの輝きを放つロビン様に、ずっと無様な姿を晒していたのだと。



 わたくし、今更ながら、気付いてしまったのです。





『………………ひえぇ……っ』





 ななな、何ということでしょうっ! このような醜態を晒してしまうだなんて……っ!



 わたくしは、咄嗟に流木の影へ隠れました。全身が燃えるように熱いです。耳と尻尾も、これでもかと項垂れました。あぁ、穴があったら入りたいです……っ。




『おや? どうしたんだい、シロ君?』



 わたくしの異変に、ロビン様は首を傾げます。足音がこちらへ近付いてきますが、今のわたくしにロビン様と対面する勇気などございません。出来る限り身を小さくして、そそくさと反対方向へ逃げました。



『も、申し訳ありません。わたくしは今、ロビン様の前へ出られるような姿をしていないのです。不躾で大変恐縮ですが、どうかわたくしのことは、このまま放っておいて下さい』

『何故だい? 顔を見てお喋り出来ないなんて、ボクは悲しいよ』

『本当に、本当にっ、申し訳ありませんっ。ですが、わたくしにも、羞恥心というものがあるのです。こんなに汚れている状態で、ロビン様の目に触れられたくはないのです。この複雑な乙女心を、どうか汲んで下さいお願いしますっ』

『困ったねぇ。可愛い乙女の願いは、ボクとしても叶えてあげたい所だけれど。しかし、それが見当違いな願いならば、その限りではないと思わないかい?』



 追い掛けてくるロビン様と、必死で逃げるわたくし。流木を中心に、ふたりでくるくる回ります。その際、流木の下に挟まっていたリードがピンと張り、わたくしの動きを阻害しました。ですが気にせず前進して、無理やりリードを引っ張り出します。普段のわたくしならば、力不足できっと成し遂げられなかったでしょう。火事場の馬鹿力とは、正にこのことです。




『うぅ、お願いですロビン様。後生ですから、わたくしを見ないで下さいぃ』



 お顔も耳も、かっかと熱を放っています。足取りも自ずと早くなりました。

 しかし、普段遊び呆けているわたくしが、航空保安部の一員として活躍なさっているロビン様を振り切るなど、出来るわけがございません。優雅な足音は、いつまでもいつまでも追ってきます。



『シロ君。君は、少し思い違いをしているようだね』



 息を切らし始めたわたくしに対し、ロビン様は一切呼吸を乱さず、平然と喋り始めます。



『シロ君は、自分が人前に出られない程汚れていると思っているようだけれど、ボクには全くそう映っていない。ボクの前にいるのは、美しいシロクマのレディだけだよ?』

『う、美しいだなんて、そんなの、嘘ですっ』

『嘘じゃないさ。ボクは嘘は吐かない主義だよ。素敵なレディの前では、尚更ね』



 それでもわたくしは、ロビン様の言葉を素直に受け入れられませんでした。

 だってわたくしの毛は、本当はもっと白いのですもの。毛並みだってもっともふもふで、わたくしの自慢だったのです。なのに、今は面影さえありません。これまで散々、淑女だ乙女だと自称してきたにも関わらず、この体たらく。恥ずかしさもひとしおです。



『わたくしは、今の自分が素敵なレディだとは思えませんっ。そのような自信、これっぽっちもないのですぅぅぅっ』



 どんどんお顔が歪んでいきます。己の不甲斐なさを誤魔化すように、茶色い前足を一生懸命動かしました。




『ふぅむ、そうか。それは困ったねぇ』



 不意に、背後から溜め息が聞こえます。どうしたものか、とばかりの音色に、わたくしの胸へ不安が広がりました。

 呆れられたでしょうか。失望されたでしょうか。致し方ないことです。分かっています。それでも惨めな気持ちは、後から後から湧き上がりました。唇を噛み締め、どんどん下がっていく気持ちと共に、項垂れます。





『うわ……っ!』





 そんなわたくしの耳へ、つと、ロビン様の悲鳴めいた声が、入ってきました。




 直後、何かが勢い良く倒れる音も、辺りに響きます。




 わたくしは思わず立ち止まり、振り返りました。

 目に飛び込んできた光景に、息を飲みます。




『ロ、ロビン様……?』



 ロビン様が、地面に蹲っていました。固く閉じたくちばしから、苦しげな呻き声が零れます。お顔も歪めて、青と緑の羽ごと体を小刻みに震わせました。



『だ、大丈夫ですかっ? どこか痛いのですかっ?』



 わたくしは、慌てて駆け寄ります。ロビン様の周りを彷徨いながら、何度も声を掛けました。けれど、お返事はありません。只管苦しまれています。

 た、大変です。もしかしたら、倒れた拍子にどこかを痛めてしまったのかもしれません。ですがこういった場合、一体どうしたら良いのでしょうか。



『っ、そ、そうですっ。ロビン様。わたくし、アルジャーノンさんを呼んできますね。アルジャーノンさんは、特別遊撃班の医官さんです。きっとロビン様の怪我も治して下さいます。すぐに戻ってきますので、少々お待ち下さいっ』



 そうと決まれば、とわたくしは踵を返しました。少しでも早くアルジャーノンさんを連れてくるべく、力強く地面を蹴ります。




 しかし、わたくしが一歩足を進めた瞬間。

 目の前に、青と緑の何かが、突如立ち塞がります。




 ぶつかる。頭よりも先に、体がそう気付きました。

 けれど、わたくしが止まるよりも先に、何だかよく分からない青と緑の物体は、こちらへと迫ってきます。



 ダンッ、と鈍い音が上がりました。

 同時に、わたくしのお顔へ青と緑がぶつかります。

 思わず後ろへよろけると、お尻に何かが当たりました。恐らく傍にあった流木でしょう。そちらに寄り掛かりつつ、わたくしは遅ればせながら目を瞑りました。身も竦ませ、そのままじっとすること、数秒。



『……あら?』



 何も起こりません。何かがぶつかったお顔も、特に痛みを覚えませんでした。

 寧ろ、つやつやとした良い匂いの何かに埋もれて、心地良い位です。



 わたくしは、恐る恐る瞼を開きました。



 最初に目に飛び込んできたのは、視界を埋め尽くす青と緑です。



 光を反射する程艶やかなそちらは、沢山の羽でした。ふんわりと柔らかく、程良い温もりと共にわたくしのお顔を包み込んでいます。



 こちらは……鳥さんのお胸、ですか……?




『ふふ』



 目を白黒させるわたくしの頭上から、ふと、笑い声が落ちてきました。同時に、お胸の羽も僅かに揺れます。



 わたくしは、ゆっくりと視線を持ち上げました。



 そこにあったのは。





『捕まえたよ、シロ君』





 ロビン様の、麗しいお顔でした。わたくしの瞳を覗き込むようにして、頭を下げています。




 眼前に広がる光景に、思わず固まってしまいました。





『………………はっ。ロ、ロロロ、ロビ、ロビン様っ?』

『ふふ、そうさ。ロビンだよ。すまないね、騙すような真似をしてしまって』



 小首を傾げるロビン様に、わたくしの毛はぶわわぁっと膨れます。咄嗟に離れようとしますが、背後の流木とロビン様のお胸で挟まれている為、身動きが取れません。



 しかもよくよく見れば、ロビン様のおみ足が、流木をドンと蹴っているではありませんか。




 足ドンです。

 壁ドンならぬ、足ドンをされています。




 因みに反対の足では、わたくしのハーネスに繋がっているリードを踏んでいました。完全に逃げ道を塞がれています。今のわたくしに出来るのは、至近距離で見つめられながら、はわわと慌てることだけです。



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