23‐1.茶色いです



 白目を剥いて倒れた次の日から、わたくしは健康診断及び経過観察という名目で、外出禁止を言い渡されました。アルジャーノンさんに丁寧に診察して貰いつつ、医務室とレオン班長の自室を往復する日々です。



 その間、レオン班長は、付きっ切りでわたくしの相手をして下さいました。他の班員さん達も、暇を見つけてはお見舞いにきてくれます。お陰で退屈することはありませんでした。嬉しい反面、何かしらの病気で気絶したわけではないので、何だか申し訳なかったです。




 そうして、無事異常なしの太鼓判を頂いたわたくしは、現在、己の足で地面を踏み締めております。




 砂の冷たい感触に、何とも言えぬ懐かしさを覚えました。快い踏み心地と久しぶりの外出で、わたくしの胸はうきうきと高鳴っています。このまま気持ちに身を任せて、駆け出してしまおうかしら、なんて考えも、頭の片隅に過ぎりました。



 ですが、心とは裏腹に、わたくしの足は中々前へ進みません。



 アルジャーノンさんから、病み上がりなので加減をして遊ぶように、と言われているからではありません。体調が悪いわけでもありません。



 ただ、途轍もなく気になるのです。



 自分自身の、毛の色が。




『……わたくし、こんなに茶色かったでしょうか……?』




 前足を見つめ、それから、視界に入る全ての箇所の毛を確認します。

 何度見ても、まだらに茶色くなっていました。

 しかも、心なしか毛並みが乱れていると申しますか、こう、ぼさっとした印象を受けます。わたくしが自慢に思っていた白い毛は、見る影もありません。



 見た目の変化は、わたくしだけではありませんでした。他の班員さん達も、どことなく茶色さを増しています。着ているものも、汚れが落ち切っていないからか、くたびれた印象となっていました。



『やはり、シャンプーや洗剤で洗っていないのが、原因でしょうか……』



 流れ着いた無人島の環境を壊してはならないと、自然破壊に繋がるような化学薬品は、これまで使ってきませんでした。そちらだけが要因だとは思いませんが、少なからず関係していることは間違いないでしょう。



 だからと言って、今すぐシャンプーで洗って頂きたい、というわけでもありません。レオン班長を始めとした特別遊撃班の班員さん達が、一丸となって島の自然を守っているのです。わたくしだけが良い目を見るわけにも、我儘を言うわけにも参りません。

 子供と言えど、わたくしだって特別遊撃班の一員ですもの。例えシロクマからチャグマになろうとも、皆さんと一緒に最後まで我慢するのです。




 我慢と言えば、パトリシア副班長も相当我慢されています。

 なんせパトリシア副班長は、重度の潔癖症です。アルコール消毒などで誤魔化してはいるらしいですが、それでも心ゆくまで洗えないという状況に、日々苛立ちを募らせているようです。



 あまりのストレスからでしょうか。最近では、意味もなくどぎつい無茶ぶりをするようになりました。



 先日も、突然レオン班長に通信を入れたかと思えば。



『レオン班長。今から十秒以内に、一発芸をして下さい』



 と言ってきたのです。何事かと思いました。

 レオン班長も驚いたのか、ライオンさんの耳と尻尾をぴーんと立ち上げていました。それから、カウントダウンをするパトリシア副班長の声に、毛のない眉を顰めます。



 かと思えば。



「………………ギアー」



 わたくしの鳴き真似をされたのです。一応やるのですね。しかも案外お上手で、わたくしは半ば感心しながらレオン班長を見上げました。



 そんな頑張ったレオン班長に対する、パトリシア副班長の反応は。



『……ふん』



 鼻での一笑のみでした。直後に通信も切られ、何とも言えぬ空気が場に流れます。落ち込むレオン班長を慰めるのは、とても大変でした。




 まぁ、レオン班長の心が折れた件はさておき。

 遭難生活も長くなればなる程、わたくし達の姿はどんどん茶色くなっていきます。仕方がないこととは言え、乙女としては、身嗜みを満足に整えられないというのは、中々辛いものがございます。汚れそうな行動は、ついつい避けがちです。



「……どうした、シロ?」



 レオン班長が、立ち尽くすわたくしを見下ろします。ハーネスに繋げられたリードをつんつんと引っ張り、歩くよう促しもしました。

 けれど、わたくしは一向に動かず、比例して、毛のない眉へどんどん力が籠っていきます。



 レオン班長は、徐にしゃがみ込みました。わたくしを抱き上げるや、じーっと観察し始めます。



「……どっか体が可笑しいのか?」

『いえ、そういうわけではございません。また白目を剥く事態にもなりませんので、どうかご安心を』



 ギアーと答えますが、レオン班長の眉間の皺はなくなりません。寧ろ、わたくしの呼吸や心臓の動きを確認すると、一層深く刻み込まれました。お口もきつくひん曲げると、耳に付けているカフス型通信機を、指で弄ります。



 数回コール音が響き、つと途切れました。

 次いで、カツカツ、と何かを指で叩く音が聞こえてきます。



「……レオンだ。アルジャーノン、シロの様子が可笑しい」

『え、あ、いや、大丈夫ですレオン班長。わたくしは元気ですよ』

「呼吸も心臓も、問題なく動いてると思う。足に異変がある感じもしない。だが、歩き回る素振りを見せない」

『それは、単にこれ以上汚れたくないだけです。体調は何の問題もありませんので、アルジャーノンさんに通信をせずとも』

「何かあるのかもしれないから、念の為もう一回診てくれ。今からそっちに連れて行く」



 すると通信機から、了解、と言わんばかりの、カツカツ、という音が聞こえました。

 レオン班長は、ライオンさんの耳を一つ振り、通信を切ります。わたくしを抱えたまま、特別遊撃班の専用船へと引き返していきました。




『あの、レオン班長。本当に、大丈夫ですよ? わたくし、心身共に健康ですので。アルジャーノンさんに改めて診察して頂く必要はございません』



 そもそも、初めから異常などないのですから、いくら再検査をした所で、何かが出てくるわけないのです。

 しかし、わたくしの訴えも空しく、レオン班長の足は止まりません。船へと上るタラップ目指し、着々と歩みを進めています。



 仕方ありません。ここは一つ、レオン班長の希望通り、医務室へ向かうとしましょう。

 別に嫌なわけではないのです。室内ならば、これ以上毛が汚れる心配はございませんし、医務室にはわたくし専用のアスレチックがあります。そちらで遊べば、運動不足にもなりません。なんなら、わたくしの健康っぷりをアピールすることも出来ます。そうすれば、レオン班長も安心して下さるのではないでしょうか。



 そうと決まれば、とわたくしは抵抗することなく、レオン班長に運ばれていきます。

 揺られながら、本日はもう見納めになるかもしれない空を眺めました。雲一つない晴天です。爽やかな風が吹き抜け、遠くの方ではカモメさん達が、気持ち良さそうに飛んでいます。




『……あら?』




 ふと目に留まった色に、わたくしは目を瞬かせました。



 飛び交うカモメさん達の中に、ひとりだけ、違う色の鳥さんがいらっしゃいます。体格も遥かに大きく、お尻に生えている長い飾り羽を、優雅に靡かせていました。




『あちらは……孔雀さん、でしょうか?』




 少々距離が離れているので、定かではありませんが、しかし、色鮮やかな羽と全体のシルエットから、恐らく孔雀さんだと思われます。



 しかも、よくよく見れば、背中に何かを乗せているではありませんか。

 一体何を背負っているのやら。




『……え……人、です……?』




 最初は、見間違いかと思いました。

 ですが、何度見ても人間です。



 見覚えのある軍服を着た方が、孔雀さんの背に跨っています。



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