22‐10.偶然に決まっています



『………………い、いえ。これは、きっと、あれです。ぐ、偶然ですよ。そうです。ここまで全て、偶然アルジャーノンさんが語った怪談と似通っていたのですから、今回も、偶然で、た、たまたまなのですよっ。そうに決まっていますっ』



 明らかに上擦った声で、それでもわたくしは、どうにか笑顔を保ちます。お胸を前足で揉みながら、硬直するレオン班長の心を鼓舞しました。



 しかし、レオン班長からのお返事はありません。ぴーんと立ち上げたライオンさんの耳を、ゆっくりと伏せていくのみです。



 かと思えば、徐に、毛布を掴みました。扉を見つめたまま、静かに、且つ手早く、体へ巻き付け直します。

 特に、わたくしが潜り込んでいる上半身の辺りを、厳重に包みました。

 更にその上から、ご自分の腕でわたくしを抱き締めます。




 ……これは、わたくし、庇われていませんか?




 わたくしを守る為に、毛布を鎧代わりに使っておりませんか?




『……え、ちょ、ま、待って下さいレオン班長。守って下さるのは嬉しいのですが、わたくし、これから襲われる危険性があるのですか? そんな危ない状況に晒されているのですかわたくしはっ。どうなのですかレオン班長っ。ねぇっ、ちょっとっ』



 目の前のお胸を揺さぶって問い質しますが、レオン班長の逞しい腕によってあっさり押さえ込まれてしまいました。扉を警戒しながら、


「しー」


 と注意もされます。

 これまで見たどの戦闘時よりも研ぎ澄まされた空気に、わたくしの不安は余計に煽られました。



 え、え、わたくし、本当に、危ないのですか? そんなわけ、あ、ありませんよね? だって、外にいるのは、班員さんのどなたかで、たまたまアルジャーノンさんの怪談と似たシチュエーションになっているだけなのですもの。そうですよね?

 それに、あれです。例え、その、ラ、ランプ上官がやってきたとしても、あの方は、ただランプを片手に部屋へ入ってくるだけではないですか。アルジャーノンさんのお話でもそうでした。無断で部屋の扉を開け、中へ侵入したかと思えば、アルジャーノンさんのお兄さんの前に佇んだのです。ただそれだけです。何かされたとは聞いておりませんから、きっと大丈夫――




『――あら?』




 そこでふと、気が付いてしまいました。




 よくよく考えてみれば、わたくし、怪談の途中で、白目を剥いて気絶してしまったのでしたっけ。



 つまり、ランプ上官が現れた所から先は、聞いていないのです。



 聞いていないのですから、当然この後に起こること、所謂オチというものを、知りません。




 と、いうことは、ですよ?




『……わたくし、もしかしてこの後……ランプ上官に、襲われてしまったり、するのでしょうか……?』




 自分が知らぬだけで、実はそうなるオチが控えていて、だからレオン班長は、これ程警戒していると、そういうことなのですか……?



 そんな未来が訪れる可能性に気付いた瞬間。




 わたくしの毛は、一層ぶわわぁっと膨れ上がりました。




『たたた、大変ですっ。ど、どうしましょうレオン班長っ。わたくし、嫌ですよっ。幽霊に襲われてしまうだなんて嫌ですっ』



 と、申しますか、もしわたくしが襲われるのだとしたら、一緒にいるレオン班長も危険なのではありませんかっ?

 も、もしそうだとしたら、非常に不味いですよこの状況は……っ。



『は、早く逃げましょうレオン班長っ。この場に留まっていても、何も事態は好転しませんっ。かと言って迎え撃つのも下策ですっ。だって相手は幽霊ですよっ? 攻撃が通じるかも怪しいですしっ、そもそも生きているわたくし達が勝てるわけがありませんっ。ここは戦略的撤退ですっ。きっとこの部屋のどこかに、リッキーさんが作った避難経路の入口がある筈ですから、そちらを使って脱出しましょうっ。ねっ、それが良いですよっ』



 わたくしは、必死でレオン班長の説得を試みました。ですがレオン班長は、一歩も引きません。毛布でわたくしを一層包み、鳴き声を誤魔化そうとするばかりです。

 わたくしを守ろうとして下さるのは本当に嬉しいですし、ペット冥利に尽きると申しますか、これぞ飼い主の鑑と申しますか、レオン班長は本当に素晴らしい方だと思います。



 思いは、しますよ?



 ですが、そのようにライオンさんの耳と尻尾を伏せさせている位ならば、無理に立ち向かわずとも良いのではないかと、わたくしは考えずにいられません。



 何故戦う姿勢を崩さないのでしょうか。軍人的に、逃げるは恥なのですか? それとも男のプライドが許さないのですか? わたくし、ただのシロクマですので、その辺りはよく分かりません。ただただ、レオン班長と己の身の安全を願うばかりです。




『レオン班長、お願いです。お願いですから、今すぐこの部屋から逃げましょう? ことは一刻を争います。時間が経てば経つ程、逃げ果せられる確率は下がっていくのです。ですから、速やかにわたくしと逃げて下さい。それがどうしても嫌だと言うのならば、せめて隠れましょう。ほら、こちらのベッドの下へ潜り込めば、レオン班長とわたくしの姿は外から見えなくなりますよ。ね、そうしましょう? それが良いですよ。ね? ねっ? どうかうんと言って下さいお願いしますレオン班長ぉっ』



 ぎゅっと身を縮め、わたくしはレオン班長にしがみ付きます。どうにか考え直して貰おうと、懸命に言い募りました。




 そんなわたくしをあざ笑うかのように、引っかく音が、唐突に途絶えます。




 辺りに静寂が広がり、波と風のざわめきだけが、小さく響きました。



 かと思えば、一拍置いて、ギィ、という音が、落とされます。



 扉の開く音でした。




 わたくしの背筋へ、ぞくりと寒いものが走ります。心臓も、どんどん早くなっていきました。




 込み上げた唾を、ゆっくりと飲み込みます。そうしてわたくしは、ぎこちなく、首を動かしました。レオン班長の寝間着の首元から、そーっと外を覗きます。



 扉は、まるでわたくし達を嬲るように、至極のんびりと動いていました。



 ギィィィー、と軋む音を立てながら、扉の奥から現れたのは。




『ひぃ……っ』




 煌々と灯る、ランプの明かりでした。




 それも、一つではございません。




 何十もの炎が、オレンジ色に輝く体を、くゆらせていたのです。




 その光景は、まるで現世をさ迷う亡霊達が、救いを求めて嘆き歩いているかのようで――



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