一周年記念番外編 もしもシロがシロクマの獣人だったら②



「ちょっとーっ、もっと静かに入ってきてよぉっ。お前らの走ってくる振動で、シロちゃん倒れちゃったじゃーんっ」



 リッキーさんが頬を膨らませると、皆さんは素直に謝りました。そうして、今度は足を忍ばせながらこちらへやってきます。柵を囲うようにして、お座りするわたくしを見下ろしました。



「……シロ」



 最前列でしゃがみ込むレオン班長が、ライオンさんの尻尾を一つ振ります。



「もう一回、立ってみろ」

「そうだよー、シロちゃん。さっきやったことを、こいつらにも見せてあげてね。大丈夫、シロちゃんなら出来るよぉ」



 そうだそうだ、頑張れシロ、という激励が、四方八方から送られます。はなからご披露するつもりでしたが、このように応援されますと俄然やる気が出てきますね。



 わたくしは、今一度気合の鼻息を吐きました。両手を伸ばし、柵を掴みます。皆さんの視線を受けつつ、足に力を入れました。持ち上げたお尻をえいやと突き出して、バランスを取ります。



 辺りから、おぉっ、と小さく歓声が上がりました。ですが、ここで終わりではないと分かっていらっしゃるのでしょう。わたくしの邪魔にならないよう、お口を押さえたり、拳を握ったりして、心の中で声援を送ってくれます。



 因みに、アルジャーノンさんからは、応援代わりに鉛筆の走る音を送られました。どうやら、お尻を突き出しているわたくしを、スケッチしているようです。

 こんな時までブレぬあたり、本当に上級者なのですね。半ば感心してしまいます。




 よいしょ、こらしょ、とばかりに喃語なんごをあぶあぶ発しながら、柵を掴む手を、少しずつ上へと移動させていきます。膝も伸ばし、わたくしは、己の足で堂々と立ってみせました。



 途端、拍手と称賛の嵐です。

 後ろの方にいる班員さんなど、スタンディングオベーションでわたくしを称えて下さいます。



「凄ぇじゃねぇかシロッ! よくやったっ!」

「ハイハイが出来るようになったかと思えば、もう立つようになっちまったのかぁ」

「ちょっと前まで、こーんなにちっちゃかったのにねぇ。全く、子供の成長は早いもんだよ」



 手放しにこれでもかと褒められ、わたくしも思わず笑みを零してしまいます。耳と尻尾も、喜びにぴこぴこと揺れました。



 レオン班長も、ライオンさんの耳と尻尾を、ご機嫌に振っています。何もおっしゃいませんが、しかし、わたくしを見つめる眼差しは、誰よりも雄弁に喜んで下さっています。一番見たかった表情に、わたくしも嬉しくなってきました。




 ですが、こちらで終わりではございませんよ。




 うふふ、と密かにほくそ笑みつつ、わたくしは、今一度足へ力を入れ直しました。バランスもしっかり整えてから、ゆっくりとレオン班長を仰ぎ見ます。



 そうして、


「ふやぁ」


 と声を上げながら、片手を柵から離しました。

 一瞬体が揺らぐも、ハイハイで鍛えた脚力を駆使して、踏ん張ります。重心もしっかり落とし、そのまま空いた手を、レオン班長へと伸ばしました。



 レオン班長は、ライオンさんの耳を一つ振ります。口角を片方だけ持ち上げ、まるで悪だくみをしているマフィアのような表情を浮かべました。ですが実際は、わたくしの成長を喜んでいらっしゃるだけなのです。その証拠に、わたくしへ大きな手をそっと差し出して下さいました。身を屈めて、わたくしと視線を合わせようともしてくれます。優しい方なのです。

 そんな養い親の為、わたくしは頑張りますよ。



 ふむん、と気合を改めて入れ、わたくしは、近付いてくるレオン班長の掌を見つめます。距離を測りながら、タイミングを窺いました。



 そうして、柵を握っていたもう片方の手も、離します。



 途端、ぐらりと傾く体。

 前へのめるわたくしに、レオン班長は目を見開きました。



「っ、シロ……ッ」



 レオン班長は、わたくしを抱き止めようと、素早く腕を伸ばします。



 ですが、その手に支えられる前に、わたくしは、両手を突き出しました。



 そのまま、右足を一歩、踏み出します。




「は……っ?」




 レオン班長の腕が、ぴたりと止まりました。ライオンさんの耳がぴーんと立ち、目をこれでもかと丸くします。

 周りの班員さん達からも、ざわめきが起こりました。ですが、今のわたくしには、反応を返す余裕などございません。両手を揺らしてバランスを取りつつ、今度は左足をえいやと前へ出しました。



 倒れそうになる度、足を進めてどうにかこうにか堪えます。

 そうこうしている内に、レオン班長の元まで到着しました。中途半端な位置で止まっている腕を、倒れ込むように掴みます。額を押し付け、足の裏に力を入れ、そうしてバランスを改めて整えました。

 体が安定してきた所で、わたくしは、ゆっくりとお顔を上げます。



 レオン班長と、目が合いました。



 凄い形相です。まるで、数十年探し続けてきた仇を見つけたマフィアの如き迫力です。



 周りの皆さんも、これでもかと目をかっ開いて、わたくしを見つめています。




 静寂が流れること、しばし。




「…………シ……シロちゃんが……」



 ぽつりと、リッキーさんの震えた呟きが、落とされました。






「シロちゃんがぁ……歩いた……っ。シロちゃんがっ、歩いたぁぁぁぁぁーっ!」






 悲鳴染みた叫び声が、一斉に上がります。

 ですが、悲痛な響きは一切ありません。ただただ、歓喜と驚愕に満ちていました。

 笑顔も、次々に湧き上がります。



「す、凄ぇっ! やるじゃねぇかシロッ!」

「まさか、歩いちまうとはなぁ。はぁー、流石に予想してなかったわぁ」

「立ったと思ったら、もう歩き出すだなんて。本当に子供はあっという間に育っちまうねぇ」



 興奮気味に頬を赤らめ、皆さんきゃっきゃとはしゃいでいます。わたくしの成長をそこまで喜んで下さるだなんて、ありがたい限りです。わたくしのお顔も、図らずともにこにこ笑ってしまいます。




「……シロ……」



 不意に、上から聞き慣れた声が落ちてきました。

 レオン班長が、わたくしをじーっと見つめています。

 わたくしも、レオン班長の腕に抱き着いたまま、お返事代わりにじーっと見つめ返しました。



 すると、ライオンさんの耳が、徐に一つ揺れます。

 かと思えば、レオン班長は、わたくしを抱き上げました。

 掲げるように持ち上げると、つと、唇へ弧を描きます。




「やるじゃねぇか」




 よくやった、とわたくしをご自分の片腕に座らせ、頭を目一杯撫でて下さいました。穏やかな手付きと眼差しに、わたくしの口から思わず喜びめいた喃語が飛び出ます。



 はしゃぐわたくしに、皆さんのお顔は一層優しく緩みました。四方八方から手が伸び、わたくしを称えるかの如く撫でてくれます。わたくしのタッチ&あんよ記念の宴の打ち合わせも始まりました。本日の夕食は、いつもより豪華なものとなるようです。まぁ、わたくしはミルクですので、特に変わりばえもしませんが。




 ですが、どうせ宴をするのならば、もう一つ花を添えて差し上げようではありませんか。




 わたくしは、二度三度と喉を唸らせました。唇も、解すように蠢かせます。



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