22‐2.恋バナです?



「いいかー、これから俺が質問してくからなー。該当する奴は、目を瞑ったまま手を挙げるんだぞー。嘘を吐いたり誤魔化したりするなよー」



 腰に手を当て、リッキーさんははきはきと語ります。

 周りの班員さん達は、楽しげに返事をすると、言われた通り目を閉じます。レオン班長とアルジャーノンさんも、お顔を伏せました。わたくしも皆さんに倣います。



「目を瞑ったかー? 薄目を開けたり、こっそり窺ったりするんじゃないぞー。お前達がそんなことしないって、先生信じてるからなー」



 笑い声が、さざ波のように起こりました。どなたかが、ふざけて


「はーい、リッキー先生ー」


 と声を上げます。途端、また笑いが湧きました。




「では、そろそろ皆に質問したいと思う。何度も言うが、正直に答えるんだぞー。嘘を吐いたら、先生怒るからなー。いいなー」



 妙に威厳たっぷりな雰囲気で、リッキーさんは、また一つ咳払いをしました。



 そうして。




「この中で、自分、面白い恋愛エピソードを持ってますって奴、挙手ーっ」




 元気いっぱいに、そう言います。

 一体この中の何人が、今手を挙げているのでしょう? 想像するだけでわくわくします。

 周りの皆さんからも、至極楽しそうな空気が漂ってきました。恐らく、誰が手を挙げているのか、もしかしたらこの方だろうか、と各々予想しているのでしょう。



 因みに、レオン班長はどうなのでしょうか? 実は挙手をしていたりしないでしょうか? 一度そう考えてしまったら、気になって仕方がありません。




「じゃあ次ねー。次はー、好きな相手に告白した、もしくはされたっていう甘酸っぱいエピソードを持ってる奴、きょーしゅっ」



 わたくしは、誰にも気付かれないよう、そっと薄目を開きました。悪いことをしているとは重々承知です。ですが、飼い主の恋愛事情が、どうしても気になるのです。

 わたくしは、誰に言うでもなく言い訳をしつつ、レオン班長を窺い見ました。



 レオン班長は、リッキーさんの質問に手を挙げていませんでした。腕を組んだまま、ライオンさんの尻尾をうきうきと揺らすのみです。残念なような、ほっとしたような、何とも言えぬ気持ちが、わたくしの胸によぎります。




 ……因みに、なのですが。

 アルジャーノンさんは、どうなのでしょう? 




 悪いとは思いながらも、わたくし、好奇心を抑えられませんでした。

 そーっとそーっと、細心の注意を払って、お隣に座るアルジャーノンさんを確認します。




「じゃあねー、あれだな。いっそ面白さも甘酸っぱさもなくたっていいかなっ。兎に角、自分の恋愛エピソードをご披露してやろうじゃねぇかっていう奴、きょーっしゅっ」



 アルジャーノンさんも、手を挙げる様子はありません。口角を緩めて、誰が何を話すのかと、楽しげにされています。




『……あら?』




 アルジャーノンさん越しに、近くの班員さんの姿が視界の端へ映りました。

 その方も、楽しそうにお顔を伏せているだけで、挙手はしていません。

 そのお隣の方も、そのまたお隣の方も、更にお隣の方も、両手をお膝へ乗せたままです。




 と、申しますか。

 よくよく見れば、皆さん同じ姿勢です。



 誰一人、手を挙げてはいません。



 ただただ炎を囲んで、俯いて座っています。




 ……これは、つまり、あれでしょうか。

 皆さん、恥ずかしがって話さないのではなく、エピソードを持ち合わせていないので話せない、ということなのでしょうか。



 そんなまさか、と否定の言葉は浮かぶものの、更にそちらを否定する言葉が、わたくしの頭の中をすぐさま駆け巡ります。




 恐らく、司会を務めるリッキーさんも、わたくしと同じ気持ちなのでしょう。



 先程から、真顔で佇んでいらっしゃいます。






「………………よし分かったっ! 一旦恋バナ中止っ! 今日は、あれだっ! もっと別の話をしようっ! ねっ!」




 リッキーさんは、不自然な程爽やかな笑みを張り付けると、速やかにお話を終了させました。


「えー」

「おいおい、なんでだよー」

「恋バナ聞かせなよー」


 と野次が飛びますが、笑顔で受け流します。えぇ、それはもう笑顔で受け流していました。

 仲間の心を傷付けないよう、あえて道化を演じる姿に、わたくし、感動が止まりません。図らずとも涙が込み上げてきます。




「はいはいっ! じゃあ、えーと、次にいきましょうっ! 恋バナの次は、やっぱりあれじゃないですかっ? 怪談じゃないですかぁーっ?」



 そうリッキーさんが新たな話題を提供すれば、辺りからは


「えぇー」


 やら


「おぉー」


 やらといった声が上がります。見た限り、本気で嫌がっている方はいらっしゃらないようです。寧ろ、恋愛話の時と同じような盛り上がりを見せています。



「うんうん。皆、異議はないみたいだね。じゃあ早速行きましょうっ! 今回は、勝手に恋バナを中止したお詫びとして、俺が先陣を切りまーすっ!」



 ぴしっと真っすぐ手を挙げたリッキーさんに、拍手が送られます。応援の声も上がりました。



 リッキーさんは、一つ喉を鳴らすと、徐に班員さん達を見回します。声も潜め、どこか不気味な雰囲気を纏いました。




「これは、一年位前の話なんだけどね。その日は修理の仕事が立て込んでて、夜遅くまでラボで作業してたんだ。やってもやっても終わらなくてさ。眠いし疲れたし、あー、もう無理ーって思ったんで、一旦休憩を入れたんですよ。休憩用のマット出して、ぐだぐだ寝転んでさ」



 身振り手振りを交えて、ゆっくりと語っていきます。



「その時ふとね、ホットミルクが飲みたいなーって思ったんだ。ほら、疲れてると、温かいものとか甘いものとか食べたくなるじゃん。なんで、ラボに置いてある冷蔵庫から牛乳を取り出して、小鍋に一杯分注いだの。で、沸騰しないよう気を付けつつ、火に掛けていったわけ」



 所がですよ、とリッキーさんは、眉を下げました。



「いい感じに温まった牛乳をカップに移し、いざ飲もうとした、瞬間っ。いきなり船が、どーんと揺れたんだ。なんか、クジラにぶつかったみたいでさ。結構な衝撃がきたわけよ。さて、ここで問題です。ホットミルクを口へ運んでる最中に、予期せぬ振動に見舞われました。俺が持ってた牛乳は、一体どうなったでしょーうか?」



 そのようなクイズに、わたくしの頭の中へ、非常に嫌な答えが浮かびました。そしてそちらは、恐らく間違っていないでしょう。




「正解はぁ……カップから全部溢れ、俺の体に直撃した、でしたー」




 だろうな、という空気が、辺りに漂います。うへぇ、とお顔を顰める方もいらっしゃいました。分かりますよ、その気持ち。牛乳を体に零してしまうなど、不幸としか言いようがありませんもの。早く処理をしなければ、臭くなってしまいます。



「いやー、もう焦ったよぉ。幸い火傷はしなかったんだけど、でも牛乳を被ったわけじゃない? こりゃあ不味いって思って、急いでタオルで拭いて、つなぎを脱いで、床も掃除して、綺麗にしたのさ。で、どうにか全部終えた後、ふと思ったんだ。あ、この牛乳塗れのつなぎとタオル、どうしようって」



 まぁ、そうですよね。そのままにしておくのはもっての外ですが、しかし深夜に洗濯機を回すのも、音や振動で他の班員さん達の眠りを妨げる恐れがあります。そもそも、洗いたいのはたった一着のつなぎと一枚のタオルのみです。洗濯機を使うより、手で洗った方が寧ろ早いというものでしょう。



「ついでに、牛乳でべたべたする体も洗おうと思って、俺はつなぎとタオルを小脇に、早速シャワー室へと向かったんだ。一応周りに気を遣って、出来るだけ足音を立てないようにしてね。まぁ、仕事の疲れと眠気で、足元ふらっふらだったから、あんまり効果なかったかもしれないけど。それでも、自分なりに静かを意識しつつ、夜の廊下を一人で進んでいった」



 と、リッキーさんは、徐に目を伏せます。キャンプファイヤーの炎に照らされているからか、どこか憂鬱そうに見えました。




「そうしたらね……どこからともなく、足音が聞こえてきたんだ」




 それだけじゃない、とリッキーさんの声が、一段低くなります。




「不思議な音も、聞こえてきた」




 不思議な、とは、一体どのような音なのでしょう。

 わたくしだけでなく、周りの皆さんも、紡がれる言葉へ耳を傾けます。



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