20‐4.仲間外れ



「ねぇー、お父さんったら聞いてるー? ニンニクどこー?」

「あ? ニ、ニンニク? それなら、ねぇぞっ」



 クライドの二の腕が膨れ上がる。毛のない眉にも力を籠め、どうにかマティルダから距離を取ろうとした。

 だが、結果は芳しくない。



「えー、ないの? 今日の夕飯に使ったの?」

「いやっ、使って、ねぇ、け、どぉ……っ」



 マティルダは、クライドの肩から手を退けない。機嫌良く喉を鳴らし、じゃれる子猫でも愛でるかのような眼差しで、クライドを見つめている。



「えぇー、なんでないのー。今日はニンニクのがっつり利いた奴を、口いっぱいかっ食らいたい気分だったのにー」

「いや……っ、知らねぇよっ、こ、の、野、郎……っ」



 いい加減離れろ。そんな気持ちを込めて、クライドはマティルダを睨む。しかし、全く効果はない。それどころか、自分の膝へクライドを抱え上げようとする始末。



「おまっ、本当っ、ふざけんな……っ」

「ふざけてなどいないさ。私はいつでも、本気でクライドを愛しているぞ?」

「そういう話をしてんじゃねぇよっ。いいからさっさと――」




「ねぇねぇ、お父さーん」




 不意に、ラナの気配が、台所からリビングへと移動し始めた。



「私、今度は明後日にこっち帰ってくるんだけどさぁ。その時に、ニンニクもりもりに使ってる料理作ってよ。アヒージョとか、ペペロンチーノとかさぁ」



 と、言いながら、リビングへひょっこりと顔を出す。手には、夕飯の残りを集めたプレートと、コーヒーが握られていた。




「あ、あーっ、そういやぁラナッ」



 クライドは、瞬時に立ち上がった。マティルダの手を振り払い、そそくさと向かい側のソファーへ移動する。


「む、逃げられたか。全く、クライドは奥ゆかしいな。そんな所も魅力的だが」


 などと笑うマティルダを視界から追い出し、只管娘だけを見つめた。



「お前、あれだ。レオンとは、最近話してんのか? ん?」

「お兄ちゃんと? うん、話したよ。遭難したって聞いてすぐ位に」



 あの野郎。

 クライドは、米神に青筋を立てた。



「あれ? もしかしてお父さん、まだお兄ちゃんと連絡取れてないの?」



 マティルダの隣へ座り、ラナはフォークを構える。



「……おぅ」

「うっそ。あはは、流石お兄ちゃん」

「あ? なにが流石だよ」

「いやー、だってさ。こんな時でもぶれないなんて、流石としか言いようがなくない? 遭難してるんだよ? なのに、お父さんが面倒臭いから通信受けないとか。私なら絶対出来ないだろうなーって」



 あっけらかんと言い放つ娘を、クライドは睨め付ける。ただでさえ厳めしい顔が、より迫力を増した。その眼差しは、誰が面倒臭いだ、と言わんばかりに鋭い。



「ま、大丈夫だって。お父さんが心配するのも分かるけどさぁ。でもお兄ちゃんって、お母さんに似て図太いじゃん? 遭難位じゃ動じない動じない。この前通信した時だって、いつもと全然変わりなかったし」

「おや。私とレオンが似ているだなんて、嬉しいことを言ってくれるな、ラナ。私はてっきり、レオンはクライド似だと思っていたんだが」

「見た目は完全にお父さん似だけどねぇ。でも中身は、どっちかっていうとお母さんに似てるよ。ほら、お兄ちゃんって、お父さんみたいに細かくないし」

「確かに、レオンはクライド程の繊細さは持ち合わせていないな。そういう点で言えば、私に似ていると言えなくもないか。とすると、ラナは見た目が私で、中身はクライドか?」

「いやー、違うでしょ。私の場合は、見た目が父方のお祖母ちゃん似で、中身は母方のお祖母ちゃん似だと思うなぁ」

「ふむ、隔世遺伝か。少々残念だな。しかし、例え私達夫婦に似ていなくとも、お前が愛しい娘だという事実は変わらない。愛しているぞ、ラナ。今までもこれからもな」

「あはは、ありがとう。私もお母さんが大好きだよー。あ、お父さんもね?」



 俺はついでかよ。クライドの口が、むっすりと曲がっていく。眉間にも皺が寄り、まるで親の仇と言わんばかりにコーヒーを啜った。



「ちょっとー、お父さーん。そんな裏社会の元締めみたいな顔しないでよー。何? お兄ちゃんが相手してくれないから拗ねてるの?」

「……拗ねてねぇよ。つーか、裏社会の元締めってなんだよ」

「え、言葉のままだけど?」

「なに心底不思議そうな顔してんだ、こら」

「そうだぞラナ。こんなに愛らしいクライドを前にして、よくそんな酷いことを言えるな」

「いや、愛らしくもねぇよ」



 と、クライドが睨むも、マティルダは微笑ましげにライオンの尻尾を波打たせるのみ。本心から愛らしいと思っている眼差しに、クライドの溜め息は止まらない。



「あー、はいはい、ごめんごめん。じゃあ、あれよ。お詫びにさ、私がお兄ちゃんに連絡取ってあげるから。それで許してよ。ね?」



 そう言うや、ラナはフォークを咥えたまま、プライベート用の通信機を取り出した。レオンのシグナル番号を入力し、耳へ当てる。しかし、コール音が響くばかりで、一向に繋がらない。



「んー……出ないなぁ。寝てるのかな?」

「どうせ、さっき俺が連絡入れたから、警戒してるんだろうよ」

「あー、成程ねぇ。なら、軍用の通信機に掛けてみるかなぁ」

「言っておくが、軍用の方も出ねぇからな、あいつ」

「そっちも駄目かぁ。じゃあ、『あっち』にしよ」

「……あっち?」



 あっちって、どっちだ? とクライドが片眉を持ち上げる中、ラナは別のシグナル番号を入力し、また通信機を耳へと当てた。



 数回コール音が響き、かと思えば、途切れる。



「あ、もしもーし。ラナでーす。やっほー。元気ー? 今大丈夫ー?」



 繋がった通信に、クライドは一層怪訝な顔をする。



「おい、マティルダ」

「ん? なんだクライド」

「ラナは今、誰と喋ってんだ? 特別遊撃班の班員か?」

「いや、レオンだぞ。ほら、聞こえないか? クライドによく似た可愛らしい声が」



 可愛らしいかはさておき。ラナの通信機から漏れ聞こえる声は、確かにレオンのものだった。

 しかし、ラナはレオン個人の通信機にも、軍用の方にも掛けていない筈。ならば、一体誰の通信機に連絡を入れたのか?




「おや、知らないのか、クライド? レオンは、プライベート用の通信機を、二つ持っているんだぞ」




「……は?」



 初耳な情報に、クライドは目を丸く見開く。



「メインで使っている方が通じないのだから、ラナはサブの通信機に連絡をしたんだろう。そちらの方が繋がりやすいのだろうか? ならば私も、しばらくはそちらに掛けるとするか」




 ゆったりと揺らめくライオンの尻尾に、クライドは言葉が出てこない。



 だが、じわじわと状況を理解していくごとに、眦は吊り上がっていった。



 そのまま、無言で立ち上がる。




「む? どうした、クライド? トイレか?」



 マティルダの声に、クライドの返事はない。




 ただ、通信機の向こうにいる息子へ思いの丈をぶつけるべく、呑気に喋る娘の元へ、速足で近付いていったのだった。



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