20‐3.その頃、第一番隊隊長は




     ◆   ◆   ◆




 深夜と言うには、少し早い時間。ドラモンズ国軍海上保安部の第一番隊で隊長を務めているクライドは、自宅のリビングで貧乏揺すりをしていた。毛のない眉を盛大に顰めつつ、プライベート用の通信機へ耳を当てている。



「…………くそっ、出ねぇっ」



 舌打ちをし、少々乱暴に通信を切った。間髪入れずに通話ボタンを押し、同じ相手へ掛け直す。しかし、聞こえてくるのはコール音だけ。

 ここ数日の間で何度も何度も聞いた音に、クライドはもう一つ舌打ちを零した。溜め息も吐き出し、元々厳めしい造りの顔へ、一層の迫力を漲らせる。足の揺れも激しさを増した。それに合わせて、クライドが座っているソファーは、小さく軋む。




「まだレオンと連絡が付かないのか、クライド?」



 クライドの妻であるマティルダが、台所からやってくる。手にはコーヒーカップが二つ握られており、クライドの隣へ座ると、苛立つ夫へ片方のカップを差し出した。



 クライドは、


「あぁ」


 と吐き捨てるように返事をし、マティルダからカップを受け取る。自分好みの甘さと温度になっているコーヒーを、一口啜った。ミルクのまろやかさと砂糖の甘みが、疲れた体によく沁みる。思わず深く息を吐くと、クライドはソファーの背へ凭れた。体を預け、皺のきつく寄った眉間を、指で揉み解していく。



「可笑しいな。私が昨日連絡を入れた時には、問題なく繋がったんだが。もしや、遭難先で壊れでもしたんだろうか?」

「違ぇよ。あいつは、相手が俺だと分かった上で、わざと出ねぇんだ」

「わざと? 何故だ?」

「どうせ俺にどやされんのが面倒臭ぇんだろ。事実、軍用の通信機にも、副班長しか出ねぇしよ」

「そうか、レオンも勿体ないことをするな。私ならば、例え会議中だろうと戦闘中だろうと、クライドからの通信が入ろうものなら喜んで取るというのに」

「……いや、会議中と戦闘中は控えろよ」

「なにを言う。愛しい夫からの用事だぞ? 何よりも優先されるべきだろう」

「いや、後で掛け直せよ」



 しかし、マティルダが気にする様子はない。ライオンの尻尾をゆったりと揺らして、自分のコーヒーカップを傾ける。

 クライドは盛大な溜め息を吐き、もう一口コーヒーを啜った。




「あぁ、そうだ。昨日レオンから聞いたんだが、どうやらここ最近は、連日シロと共に流れ着いた島を散策しているらしいぞ」

「はぁ? 散策だぁ?」

「あぁ。調査の結果、島には脅威になるようなものはなく、気候も穏やかで、食料も豊富な過ごしやすい場所であると判明したらしくてな。シロを遊ばせるにはぴったりだと、嬉しそうにしていたぞ」



 遊ばせるとは、一体どういうことだ。クライドは頭を抱えた。



 確かに、嵐に巻き込まれて船が動かなくなったのだから、救援がくるまでやることなどほぼない。それは分かる。

 しかし、だからと言って、国軍に所属する軍人が、勤務中に堂々とペットを遊ばせていると言ってしまうのは、いかがなものだろうか。



「因みに昨日は、浜辺を散歩した後、休憩を挟みつつ、浜で出来る遊びをこれでもかと満喫したらしい。海にも入ったそうだが、シロは水泳が苦手らしくてな。波に飲まれて心が折れたのか、泣きながらレオンにしがみ付いていたそうだ。可愛らしいな。レオン達が次にこちらへ戻ってきた時には、是非とも私が泳ぎを教えてやりたいものだ」



 はっはと笑うマティルダを、クライドはじろりと睨んだ。



「……おい、マティルダ。お前、その話を聞いて、ちゃんとレオンに注意したんだろうな?」

「あぁ、勿論だとも。『海へ入った後は、念入りにシロを洗ってやらないと、後で毛が大変なことになるぞ』と、それはもうしっかり注意しておいた」

「そこじゃねぇよっ。俺が聞いてんのはっ、『遊んでるんじゃねぇ』ってお前がちゃんと叱ってやったのか否かなんだよっ」

「そうだったのか。だが私としては、レオンを叱るよりも、入海後のケアの大切さをきちんと説いておきたかったんだ。私もシロと同じく、全身毛塗れだからな。適当に濯ごうものなら、それはもう悲惨なことになる。獣人ならば、誰もが一度は通る道だな」



 しみじみと語るマティルダに、クライドの瞼はどんどん下がっていく。毛のない眉も寄り、半目状態で己の妻を見た。




「ただーいまーっと」




 不意に、玄関の開く音がする。

 軽い歩調が近付いてきたかと思えば、リビングの出入り口から、娘のラナがひょっこり顔を出した。



「あ、ただいまー。久しぶりー」

「あぁ、お帰りラナ。十日ぶりだな。会いたかったぞ」

「あはは、ありがとう。私もお母さんと会いたかったよ。所で夕飯残ってる?」

「あるとも。今日もクライドの作った飯はとても美味かったぞ。こんなに料理上手な夫と結婚出来て、私は本当に幸せな女だ。ラナも結婚するなら、クライドのような男を選ぶんだぞ? レオンのようでもいいぞ。あいつもクライドに似て、中々いい男だからな」

「あー、そうしたいのは山々なんだけどねぇ。仕事柄難しいんですよぉ、これが」



 と、口を動かしながら、ラナはリビングの隣にある台所へと入っていく。



「む、そうか? 私は仕事先でクライドを捕まえたから、さして難しいとは思わなかったが」

「まぁ、私の場合は王宮務めだからさぁ。それも王族の護衛だから、まず身元がしっかりしてる相手じゃないと、駄目なんだよねぇ。ほら、敵国のスパイとかテロ組織の一員が、素性を隠して近衛隊員に取り入るー、とかあり得るわけだし」

「ふむ、俗に言うハニートラップという奴だな。だが、例えスパイやテロ組織でなくとも、ハニートラップを仕掛けてくる相手はいるぞ。現に私も、クライドからのハニートラップに毎日引っ掛かっている」

「いや、掛けてねぇよ」

「これ程私の心をかき乱すだなんて。全く。クライドは罪作りな男だ」

「いや、冤罪だからな」



 クライドの肩を抱き、頭へ頬を擦り付けてくるマティルダ。その顔面を、クライドは押し返す。



「む、なんだクライド。さては、ラナがいるから遠慮しているのか? 相変わらず照れ屋だな、お前は」

「照れてねぇよ」

「そんな所も愛いぞ」

「だから、照れてねぇっつってんだろうが」



「ねーぇ、お父さーん」



 不意に、台所にいるラナから、声が掛かった。



 瞬間、マティルダを押すクライドの腕に、一層力が籠る。上半身も、明らかに外側へと反らした。



「ニンニクってどこにあるー?」



 けれど、人間が獣人に、力で勝てるわけがない。



 マティルダの顔は一向に遠ざからず、寧ろ、じわじわと近付いてくる。



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