19‐7.引きずり出されます



『――レオン班長に告げます。全身ピンクの成人男性が、先程シロクマに痴漢行為を働きました。すぐさまアルジャーノン医官が締め上げましたが、反省の色はなく、再犯の可能性が大いにあります。シロクマをこれ以上被害に合わせたくなければ、早急に医務室まできて下さい。ついでにワクチンも接種していくように』



 リッキーさんの悲鳴と命乞いが聞こえてきますが、無視です、無視。犯罪者に手を差し伸べる程、わたくしも優しくはないのです。




 つーん、とお澄まし顔で蹲ること、数分。

 トンネルの外が、大分静かになってきたなと思い始めた、その時。




『あら?』



 前方に、トンネルの入り口を覗き込むアルジャーノンさんが、現れました。わたくしと目が合うや、トンネルの中へ片腕を入れます。どうやらわたくしを捕まえようとしているようです。

 しかし、腕を目一杯伸ばし、指を開閉させた所で、わたくしの前足の毛にも掠りません。反対側の入り口からも確認されましたが、やはりアルジャーノンさんの手は、わたくしまで届きませんでした。




「どうですか、アルジャーノン医官?」



 パトリシア副班長の声に、アルジャーノンさんは、駄目だ、と言わんばかりに、首を横へ振ってみせます。

 かと思えば、今度は手を伸ばすことなく、わたくしのお尻をじーっと眺め始めました。



『――レオン班長に告げます。現在シロクマは、身動きの取れない状態で、尻フェチの成人男性にこれでもかと尻を鑑賞されています。いっそ視姦と言っても過言ではないでしょう。良いのですか? シロクマが、立て続けに性被害に合っていますよ? 飼い主として、助けなくて良いのですか?』



 そんな悪意しかない全体放送が聞こえてきました。

 ですが、パトリシア副班長。レオン班長は、恐らく誘き出せないと思いますよ。だってアルジャーノンさんは、ほぼ毎日わたくしのお尻に注目しているのですから。スケッチもされています。時には、レオン班長の前で堂々と座り込みながらです。なので、これしきのことでは効果がないかと。




「……きませんね」



 パトリシア副班長の声が、ぽつりと落とされました。トンネルの入り口はアルジャーノンさんに塞がれているので、どのような様子なのか、分かりません。苛立っていることは間違いないでしょう。なんせ、こちらへ漂ってくる気配が、怒りに満ち溢れているのですもの。




『さて……』



 これからどうしましょうか。わたくしは、トンネル内に蹲ったまま、考え込みます。

 籠城の体勢は整えたものの、このままでは間違いなくわたくしが負けてしまいます。何故なら、食料がないのです。子供の体では、耐えても二日が限界でしょう。

 仮に食料があったとしても、わたくしに勝ち目があるかと聞かれたら、そういうわけでもありません。いくらトンネルに籠った所で、救援がないのですから。頑張っても、精々引き分けが関の山です。わたくし、分かっているのです。



 けれど、それはそれとして、注射は嫌なのです。



 例えこのまま餓死しようとも、注射だけは、注射だけはどうしても嫌なのです……っ。



 これではレオン班長のことを言えませんねぇ、と内心苦笑していると、不意にお尻の方から、何やらガサゴソと聞こえてきました。

 何か動きでもあったのかしら、と、わたくしは、徐に後ろを振り返ります。




 すると、わたくしのお尻へ、何かが触りました。



 ほぼ同時に、トンネル内へ、ガオーン、という音が響き渡ります。



 直後、お尻が勢い良く引っ張られました。



 いえ。

 引っ張られるというよりは、吸い寄せられると言った方が正しいでしょう。




『こ、この感覚……それに、この音……っ! まさか……っ!』



 嫌な予感に、慌てて足を前へ踏み出しました。

 しかし、思うように進めません。




 強くなったガオーンという掃除機の音と共に、後退するばかりです。




『ぎゃあぁぁぁぁぁーっ! ちょっ、パ、パトリシア副班長っ! 何をするのですっ! わたくしのお尻を掃除機で吸わないで下さいっ! 酷いではありませんかっ!』



 わたくしの抗議の声と、ガオーンガオーンというけたたましい吸引音が、入り混じります。

 ノズルに吸われる勢いで、わたくしの体は勝手に後ろへ下がっていきました。逃れようともがきますが、シロクマの子供の力では、リッキーさんお手製の強力な掃除機には太刀打ち出来ません。あっという間に、トンネルの外へと引きずり出されしまいました。



『だ、誰かぁっ! 誰か助けて下さいっ! このままではわたくし、注射をされるだけでなく、お尻がたるんたるんになってしまいますっ! それでもよろしいのですかアルジャーノンさんっ! あなたが愛したお尻が、だらしなくたるんたるんしてしまうのですよっ? 一大事だとは思いませんいぎゃあぁぁぁぁぁーっ! い、いきなり掃除機の出力を上げないで下さいやぁぁぁぁぁーっ!』



 激しさを増した吸引力と、お尻の皮の引っ張られ具合に、普段出さない声が飛び出ます。恐らくですが、お顔も淑女らしからぬ形相となっていることでしょう。

 ですが、恥ずかしいと思う余裕はありません。

 ただただ必死で床に爪を立てるのみです。



『――レオン班長に告げます。ただいまシロクマを捕獲しました。激しい抵抗をしてきたので、少々手荒な方法を取らせて貰いました。お陰で酷く鳴き喚いています。煩くて仕方がありません』

『う、煩いと思うのならばっ、即刻掃除機のスイッチを切って下さいっ! そうすればわたくしも静かにしますよっ! えぇっ、それはもう静かにしますともっ! いるかどうかも分からない位に存在感を消してみせますっ! なので、どうかわたくしのお尻を吸うのは止めて下さいってばぁぁぁぁーっ!』



 ずるずると引きずられながら、わたくしは懸命に叫びます。ついでに助けを求める視線も、パトリシア副班長とアルジャーノンさんへ送りました。

 しかし、お二人の反応は芳しくありません。パトリシア副班長には完全に無視をされましたし、アルジャーノンさんは一つ頷いたかと思えば、さっさと注射器の準備に向かってしまいました。どう考えても、わたくしへワクチンを注入する気満々です。



『い、嫌ですっ! わたくしは絶対に注射などしませんよっ! 金属製の異物を当人の許可もなく体内に突き刺すなど、犯罪ですっ! 動物虐待ですっ! 出る所に出れば、わたくしが勝つのですからねっ! そこの所分かっているのですかっ!』

『――レオン班長に告げます。シロクマのワクチン接種の時が、刻一刻と近付いています。聞こえますか? このシロクマの悲痛な叫びが。ついでに顔も凄いことになっていますよ。見せてあげられないのが残念です』

『お顔が凄いことになっているとは失礼なっ! わたくしだって、好きで凄いお顔をしているわけではありませんっ! いくら淑女と言えど、取り繕えない時もあるのですっ! なのにからかうなど、酷いですよパトリシア副班長っ! 謝罪の代わりにワクチン接種の中止を要求しますあびゃあぁぁぁぁぁーっ! 止めてぇぇぇぇぇーっ! 掃除機の出力を上げないで下さあぁぁぁぁぁーっ!』



 お尻の毛と皮が、だばばばと靡いているのが分かります。掃除機のノズルに集まっていくのも分かりました。何とも言えぬ感覚に、わたくしの口からは雄たけびが止まりません。



『あっ! リッキーさんっ! リッキーさん助けて下さいっ! あなたが女として見ているシロクマのお尻が、大変なことになっていますよっ!』



 トンネルの脇で正座をさせられているリッキーさんへ、懸命に声を掛けました。前足も伸ばします。

 けれど、リッキーさんはぴくりとも動きません。『私は女性の尻を触った変態です』と書かれたプレートを首からぶら下げて、赤い髪ごと頭を項垂れさせるばかりです。

 そのように反省している暇があるのならば、償い代わりに助けて下されば良いものを。颯爽とわたくしを連れ出して下さるのならば、リッキーさんのことを見直すだけでなく、今回の一件も帳消しにして差し上げてもよろしいのに。



『ですからっ、一刻も早くわたくしを救出して下さいお願いしますひぎゃあぁぁぁぁぁーっ!』



 わたくしの悲鳴と掃除機の吸引音が入り交ざる中、パトリシア副班長は、数々の班員さんを恐怖のどん底に叩き落してきた拘束用椅子へと、着実に近付いていきます。その分、床にはわたくしの爪痕が長く刻まれていきました。嫌だ嫌だと必死で抵抗するも、ノズルのヘッド部分が、お尻と共に左右へ揺れるだけです。




 そうこうしている内に、わたくしは、椅子の肘掛けの上へと乗せられました。

 途端、ベルトが伸びてきて、わたくしのお腹に巻き付きます。

 完全に、体を固定されてしまいました。



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