19‐4.ワクチンの完成です



 感染症のワクチンは、日が暮れた頃に完成しました。

 準備完了の報告を受けたパトリシア副班長は、アルジャーノンさんとリッキーさんを従えて、すぐさまワクチン接種を始めます。




 現在、非常用の照明が点る医務室は、阿鼻叫喚に包まれていました。




「いい加減大人しくしなさい」



 パトリシア副班長は、逃げ出そうとする班員さんへ、釣り竿を振りかざします。素早く飛んでいった透明な糸と細い針は、班員さんの襟元へ引っ掛かると、その動きを一瞬で止めてしまいました。



 止まった班員さんを、アルジャーノンさんが背後から羽交い絞めにします。そのままリッキーさんが用意した椅子まで引きずっていき、強制的に座らせました。



「はーい、いらっしゃいませー」



 リッキーさんが、リモコンのボタンをぽちっと押せば、椅子の肘掛けと脚部分から、ベルトが飛び出します。班員さんの手足へ巻き付き、拘束しました。



「消毒するねー」



 班員さんの袖を捲り、アルコールを付けた脱脂綿で肌を拭いていきます。独特の冷たい感触からか、班員さんのお顔はどんどん青さを増していきました。血の気が引いた唇を戦慄かせ、呻き声と共に首を横へ振ります。

 けれど、そのようなことをした所で、何かが変わるわけではありません。



 ワクチンが注入された注射器を手に、アルジャーノンさんが近付いてきました。もがく班員さんの二の腕を片手で掴みつつ、注射器のお尻を軽く押し、中身を一・二滴零します。




 そして、一切の躊躇もなく、針を突き刺しました。




 空気を震わせる程の絶叫が、医務室中に轟き渡ります。恐らく、外の廊下や周りの部屋にも、よくよく響いたことでしょう。




「はい、お疲れ様でーす」



 リッキーさんは、リモコンのボタンをぽちっと押し、班員さんの拘束を解きます。けれど、班員さんは動きません。あまりのショックに、身じろぎ一つ出来ないようです。



「次が控えていますから、早く退いて下さい」



 そう言ってパトリシア副班長は、釣り竿を振りかぶりました。班員さんの襟首を吊り上げるや、医務室の隅にぽいっと捨てます。

 かと思えば、わたくしへ目配せをしました。

 行け、ということですね。分かりました。



 わたくしは、壁へぐったりと凭れて座る班員さんに、素早く歩み寄ります。お顔を覗き込みながら、声を掛けました。



『大丈夫ですか? ワクチン接種は、これにて終了です。お疲れ様でした』



 出来るだけ穏やかに微笑み掛ければ、呆然とした眼差しが、ゆっくりとわたくしの方へ移動します。未だ青みが消えぬ唇を動かし、声にならぬ声で、わたくしの名前を呟きました。



『はい、シロですよ。本日は、アルジャーノンさんの助手をさせて頂いています』



 わたくしは、現在着用しているナース服タイプのハーネスを主張するかのように、その場で一回転してみせます。それからお座りをし、ナース帽の乗った頭を、軽く傾けました。




 途端、班員さんのお顔が、くしゃりと歪みます。



 込み上げる涙と嗚咽を無視して、わたくしをかき抱きました。




『はいはい、怖かったですねー。もう大丈夫ですよー。よく頑張りましたねー。偉いですよー。流石は特別遊撃班の班員さんですねー。あなたの雄姿を、わたくしはちゃーんと見ていましたよー』



 先日のボーナス総取りトーナメントで鍛えられたわたくしのあやしスキルを、いかんなく発揮していきます。自慢の白くもふもふな毛で傷付いた心を癒し、柔らかな肉球と絶妙な力加減で、肩をぽんぽんと叩いていきます。

 時に共感し、時に慰め、ギアギアと相槌を打ちながら、全力でワクチン接種後のフォローに勤しみました。悲鳴と雄たけびが響く中、次々と送られてくる班員さん達を、わたくしは懸命に捌いていきます。




「……リッキー整備士」



 逃げようとしていた班員さんを、無事椅子へ拘束し終えると、パトリシア副班長は、徐にリッキーさんを振り返りました。



「現在捕獲済みの班員は、これで全部ですか?」

「うん、そうだねぇ。後は、まだ船の中を逃げ続けてる奴がぁ、えーっとぉ……六人かな。うん、六人いる感じでーす」



 リッキーさんは、掌サイズのレーダーを見ながら、相手の位置を確認していきます。



「六名、ですか……」



 心なしか、パトリシア副班長からの圧が強くなった気がします。




 かと思えば、どこからともなく、マイクを取り出しました。




『――未だ船内を逃げ回っている六名に告げます。速やかに医務室まで投降して下さい。でなければ、一番太くて痛い針でワクチンを接種させますよ』



 全体放送を掛けると、パトリシア副班長はアルジャーノンさんへ、顎をしゃくってみせます。

 アルジャーノンさんは頷くや、明らかに太さが違う注射器片手に、拘束されている班員さんへと近付いていきました。



 班員さんの口から、臨場感溢れる声が止まりません。

 恐怖に彩られた声はどんどん大きく、悲痛さを増していき、遂には断末魔もかくやの絶叫が辺りへ轟き渡りました。




『――聞こえましたね? このような目に会いたくなければ、自らの意思でワクチン接種をしにきて下さい。今から五分以内に現れたのならば、温情として通常の針で許してあげましょう。ですが、五分を過ぎても医務室へやってこなかった場合は……』



 ガスマスクの奥から、ぐっと圧が掛かります。



『――……覚悟することですね』



 ふん、と最後に鼻を鳴らし、パトリシア副班長はマイクのスイッチを切りました。時計を一瞥し、その場に待機します。アルジャーノンさんとリッキーさんも、しばし休憩に入りました。

 時計が時を刻む音と、運悪く一番太くて痛い注射器の餌食となった方の啜り泣く声、そしてそちらを慰めるわたくしの鳴き声が、辺りに小さく響きます。




 そんな中へ混ざる、別の音。




 どなたかの足音が、廊下から聞こえてきました。段々と大きくなっていくその音は、医務室の前で、つと途切れます。

 数拍の間を置いてから、扉が開きました。




 班員さんが一人、全身をぶるぶると震わせながら、立っています。



 今にも泣き出しそうなお顔で、パトリシア副班長を窺っていました。


 


「……そちらの椅子に座って下さい」



 くいっと顎で促され、班員さんは、ぎくしゃくと医務室へ足を踏み入れます。あまりの顔色の悪さと悲壮感から、まるで死刑台を上る囚人を彷彿とさせました。椅子に拘束される姿など、これから刑に処される感が否めません。



「あなたは、きちんと五分以内にやってきました。よって、通常の針でのワクチン接種で許してあげましょう」



 パトリシア副班長から、慈悲の言葉が掛けられます。

 班員さんは、非常にほっとしたお顔をされていました。それはそうでしょうとも。なんせ相手はパトリシア副班長です。何がどうなるか、分かったものではありません。




「――ですが」




 ……え? 『ですが』?




「あなたが逃亡したことは、紛うことなき事実です。よって、無駄な手間を掛けさせた報いは、きちんと受けて貰います」




 ガスマスク越しに、怒りのオーラが溢れ出ます。

 あまりの刺々しさに、わたくし、睨まれているわけでもないのに、自慢の毛がぶわわぁっと逆立ちました。



「アルジャーノン医官」



 アルジャーノンさんは一つ頷くと、注射器片手に班員さんへ近付いていきます。最早痙攣している班員さんの腕を、掴みました。




「通常よりも、深めに針を刺してあげて下さい」




 パトリシア副班長の指示は、果たして実行されました。



 躊躇のない突き刺しっぷりに、わたくしも震えが止まりません。




『あの……だ、大丈夫ですか……?』



 深めに針を突き刺された班員さんに、そーっと近付きます。

 班員さんは、床に倒れたままぴくりとも動きません。白目を剥くそのお顔は、絶望と涙と鼻水で彩られていました。

 わたくしは、心の中でご冥福を祈りつつ、聖母の如き優しさで頭を抱き締めて差し上げます。




 その後、もう一人投降してきた方へ深々と針を刺した所で、パトリシア副班長は時計を確認しました。




「……五分が経過しましたね」



 そう呟くと、徐にリッキーさんを振り返ります。



「リッキー整備士。お願いします」



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