19‐3.釣り上げられます



「ふん」



 パトリシア副班長は、釣り竿のリールを、無言でキチキチと巻き始めます。

 途端、わたくしの体が、ゆっくりと持ち上がっていきました。どうやら、パトリシア副班長に釣り上げられているようです。全く訳の分からぬ状況に、わたくしの疑問は絶えません。



 しかし、例えわたくしが混乱していようとも、パトリシア副班長は気にしません。わたくしの体が完全にレオン班長から離れたのを確認すると、今度はリールを反対方向にキチキチと回しました。

 糸で吊り上げられていたわたくしは、当然下りていきます。




 レオン班長の、お膝の上へと。




「うぐ……っ!」



 悶絶するレオン班長を余所に、パトリシア副班長は、ガスマスクを装着したお顔を満足げに上下させます。



「ありがとうございます、アルジャーノン医官。では、あなたはワクチン作りの方へ向かって下さい。私はもう少々、こちらで話し合いを進めておきますので」



 そう言って、リールをまたキチキチと回しました。

 自ずとわたくしの体も、宙へと持ち上がっていきます。



「では、話の続きをしていきましょうか」



 と、パトリシア副班長は、浜辺で正座している皆さんを、見渡しました。



「今後は、救援が到着するまで、こちらの孤島で生活をしていきます。生活拠点は、この浜辺周辺で良いでしょう。島の調査もしていく予定ですが、その前に、アルジャーノン医官が作ったワクチンを全員接種して貰います。拒否権はありません」



 つと、釣り糸の動きが止まりました。わたくしは、レオン班長のお顔の高さまでやってきます。



 すると、狙撃でもされたのかしら、と勘違いしてしまいそうな形相のレオン班長と、目が合いました。



「拒否権など、ある筈がないのです。何故なら、ワクチン接種をせざるを得ない状況を作ったのは、他ならぬあなた達なのですから」



 ぷらんと四肢を垂らしながら、わたくしはレオン班長を見つめます。

 レオン班長も、わたくしから目を逸らしません。恐らくですが、わたくしを凝視することで、足を襲う痺れから意識を逸らそうとしているのではないでしょうか。



「あなた達が、船の一部を壊した時点で正直に報告していれば、このように遭難することも、正座をさせられることも、ワクチンを打たれることもなかったのです」



 ぷらりぷらりと揺れていたかと思えば、徐に、レオン班長が遠のいていきました。



 わたくしの体が、下がっているのです。



 この後に何が起こるのか、誰もが察しました。レオン班長のお顔も、どんどん大変なことになっていきます。



 けれど残念ながら、わたくしにはどうすることも出来ません。




「つまりは、自業自得なのです」




 ただただ、パトリシア副班長の胸先三寸で、上げ下げされるのみです。




「ぐっ、うぅ……っ、がぁぁ……っ!」



 レオン班長の苦しげな声が、何度も上がります。その度に、わたくしは宙を舞い、着地するという動きを繰り返しました。

 周りの皆さんは、レオン班長のあまりの苦しみっぷりにおののいています。最早、パトリシア副班長のお説教など、聞こえてはいません。




 しばらくすると、レオン班長が静かになりました。

 もううんともすんとも言いません。




『あの……レオン班長? 大丈夫ですか? 生きていますか?』



 返事は、ありませんでした。けれど、お胸がしっかりと上下しているので、命に別状はないようです。

 良かった。そう安堵するわたくしの体が、また浮き上がります。



『う、嘘でしょうパトリシア副班長っ。このような状態のレオン班長へ、更なる追撃を加えるおつもりなのですか……!?』



 わたくしは戦慄しました。自慢の白い毛が、ぶわわぁっと逆立ちます。



 ですが、わたくしが想像していた惨劇は、起こりませんでした。



 代わりに、釣り糸で吊るされたまま、右へと並行移動していきます。




 そうしてわたくしは、レオン班長の右隣で正座をしていた班員さんと、目が合いました。




 ……まさか……。



 わたくしと班員の皆さんの気持ちは、この時、間違いなく一致したことでしょう。




「――さて。ではこれより、海上保安部の軍人としての、また特別遊撃班の班員としての、必要不可欠な心得を、改めて説明していきたいと思います」




 パトリシア副班長の声と共に、わたくしは、レオン班長のお隣にいた班員さんのお膝の上へと、下ろされました。




 悲鳴が、砂浜一杯に、響き渡ります。




「そこ、煩いですよ。静かにしなさい」



 すぐさまパトリシア副班長からの叱咤が飛びました。ですが、煩くさせている張本人に言われても、全く説得力がありません。

 そう思ったのは、きっとわたくしだけではないでしょう。ですが、誰も何も言いません。言おうものなら最後、確実にわたくしをけしかけられると察しているのでしょう。なので、じっと気配を殺し、次の標的に選ばれませんように、と祈りながら、何も言わないのです。



 しかし、わたくしは思います。



 いくら願った所で、恐らく皆さん、パトリシア副班長の餌食になると思いますよ? だって、あれだけ怒っていたのですもの。全員に罰を受けさせなければ、パトリシア副班長も気が納まらないのではないでしょうか。



 そもそも、と、わたくしは、パトリシア副班長を窺いました。




『……楽しそうですねぇ』




 ガスマスク越しでも分かる程に、生き生きとされています。これ程ご機嫌にリールを回すパトリシア副班長を見るのは、初めてかもしれません。



 ああなっては、例え怒っていなくとも止めはしないでしょう。少々加虐的だと思わなくはありませんが、しかし、元を正せば皆さんが原因です。ここは大人しく、パトリシア副班長からの洗礼を受けて下さい。

 大丈夫。死にはしません。



 そう心の中で思いつつ、わたくしは、またゆっくりと吊り上げられていくのでした。



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