18‐6.飼い主VSペットです



“――おぉっ。シロちゃんの先制攻撃が決まりましたっ。はんちょの腕を、これでもかと抱き締めてますっ”

『えいえいっ、このこのっ』

“――全身を使って右腕を揺さぶってますねっ。成程っ。恐らくああやってはんちょの腕を倒し、手の甲を机に押し付ける作戦なんでしょうっ”

“――だが、力の差が出ているのか、上手くいっていないようだ。レオンも、シロが身を捩る度、反対方向へ重心を動かし、右腕を持っていかれないようにしている”

『むむっ。ならば、こちらはどうですかっ。えいやぁっ』

“――あっとぉっ。ここでシロちゃん、はんちょの二の腕に狙いを変えたようですっ。前足でこれでもかと踏み締めてますっ”

『まだまだですよっ。よいしょっ、よいしょっ』

“――おぉぉぉっ。シロちゃんが、猛然とレオンはんちょの腕をよじ登ってますっ。こ、これはまさかっ。出るのかっ? 出るのか必殺のヘッドマッサージがぁっ!”



 盛り上がる実況と観客の声援に背中を押されながら、わたくしはレオン班長の肩までやってきました。強面なお顔の右半分に、張り付きます。



 これまでレオン班長にマッサージを施したことがないので、どこまで通用するのか分かりません。けれどリッキーさんを見る限り、全く効かないということはないでしょう。少しでも力が抜けてくれればこちらのものです。

 わたくしはレオン班長の頭皮をこねくり回すべく、鼻から気合の息を吐き出しました。



 しかし、いざ四肢を動かそうとした、その時。




『うぇ?』




 わたくしは、首根っこを掴まれ、引っ張られました。

 まるで子猫さんのように持ち上げられると、そのまま机へ戻されます。



 はて? と辺りを見回しますが、何度見ても机の上です。可笑しいですね、わたくし、確かにレオン班長の肩によじ登った筈ですが。

 不思議に思いながらも、わたくしは今一度、レオン班長の右腕を伝って、肩の上を目指しました。



 しかし、またしても首根っこを掴まれます。

 ひょいっと吊り上げられたかと思えば、机の上に逆戻りです。



 い、一体何が起こっているのでしょう? 訳が分からず、咄嗟にリッキーさんを振り返りました。




 ”――あぁぁぁーっ! な、何ということでしょうっ! 正に今、必殺技を繰り出そうとしたシロちゃんを、はんちょは右腕一本で軽々と持ち上げてしまいましたっ!”




 リッキーさんの説明に、わたくしははっとレオン班長を見上げます。



 レオン班長は、ライオンさんの耳と尻尾を、余裕綽々とばかりに揺らしていました。




“――ここにきて、まさか必殺技を封じられてしまうだなんてっ! シロちゃん絶対絶命のピンチですっ! しかしっ、しかしルール上は、全く問題ありませんっ! そうですよね、アルジャーノンさんっ?”

“――あぁ。今回のエキシビションマッチのルールでは、レオンは右腕一本で戦う、手の甲が机に付いたら負け、としか定義されていない。つまり、レオンが机から右肘を離そうが、シロの襟首を掴もうが、右腕だけを使い、且つ手の甲を机へ付けていない以上、何の問題もないということだ”



 そ、そんな……。

 驚きに耳をぴんと立ち上げ、わたくしは固まりました。周りから声援を送られますが、一体どう戦えば良いのか分からず、途方に暮れてしまいます。




“――さぁさぁ、どうするんだシロちゃんっ。制限時間終了まで、残り半分を切ってしまったぞっ。悩んでる時間も、立ち止まってる暇も残ってはいないっ”



 はっ、そ、そうです。リッキーさんの言う通りです。こうしている間にも、刻一刻と時間はなくなっていきます。ならば、あれこれ考えているよりも、まずは向かっていくべきでしょう。




『えいやぁぁぁーっ』



 わたくしは、レオン班長目掛けて飛び掛かりました。無策ながら、兎に角右腕を倒してやろうとしがみ付きます。そのまま二の腕へ座り込み、体重をこれでもかと掛けていきました。



“――シロちゃんがはんちょの右腕に伸し掛かったぁっ! 自分の体の重みを利用して、押し潰すつもりでしょうかっ!”

“――悪くない作戦だとは思うが、レオンのあの落ち着きを見るに、そこまで効いていないようだ。次の手を考えていかなければ、シロの勝利は難しいのではないだろうか”



 うぅ。やはり、そうですよね。わたくしも察してはいるのです。闇雲に伸し掛かった所で、どうにかなるものではないと。

 それでも、やらないよりはましです。

 やりながら、一生懸命次の手を考えるのです。



 うーんうーんと唸りながら、レオン班長の右腕へ全体重を掛けていると。



 不意に、視界がくるりと反転しました。



 かと思えば体が傾き、右腕越しにレオン班長と目が合います。

 同時に、右腕へしがみ付く四肢が、僅かにずり下がりました。




 気付けばわたくし、レオン班長の腕にくっ付いたまま、宙へと浮いておりました。



 俗に言う、豚さんの丸焼きスタイルです。




“――な、なんとなんとぉっ! ここではんちょが攻撃を仕掛けましたっ! 右腕を持ち上げ、シロちゃんをぶら下げ始めますっ! もしやシロちゃんの体力を消耗させる作戦かぁっ!?”



 な、なんですって……っ!?

 わたくしは、レオン班長を仰ぎ見ました。



 レオン班長は、口角を片方持ち上げながら、わたくしを見下ろしています。ライオンさんの耳を振り、どこか意地悪な目付きです。しかも、わたくしがしがみ付く右腕を、軽く左右へ揺らしたりもするのです。



『ちょ、レ、レオン班長、止めて下さいっ。あまり動かされると、落ちてしまうではありませんかっ』



 ギアギアーッ、と抗議するも、レオン班長は聞いてくれません。ほれほれー、どうだどうだー、とばかりに、わたくしを甚振ってきます。



『い、いくら戦っているとは言え、ものには限度というものがあると思いますよレオン班長っ。子シロクマ相手に恥ずかしくないのですかっ? 大人の男性として、それでよろしいのですかあわわわわっ』



 横揺れに加え、縦揺れまで繰り出してきました。予想していなかった方向からの攻撃に、わたくし、慌てて足に力を入れます。



 で、ですが、もうそろそろ限界です……っ。




『うひゃぁっ』



 つるんと肉球が滑ったかと思えば、わたくしの体はあっさりと落下しました。背中から机へと不時着します。

 幸い、大した高さからではなかったので、痛みも怪我もございません。ですが、わたくしの心は非常に大きな傷を負います。



 悔しさとやるせなさに、むぐぐと歯を食い縛っていますと、仰向けに転がるわたくしへ、レオン班長の右手が迫りました。




 瞬き一つしている間に、なんとお腹を押さえられてしまったではありませんか。




“――な、なんということだぁっ! シロちゃんが、はんちょに捕まえられてしまったぁっ!”

『そ、そんなっ。は、離して下さいレオン班長っ。えいえいっ、このこのっ』



 体を捩り、足も一生懸命振り、どうにか逃れようともがきます。

 けれど、レオン班長の手は一向に離れません。

 それどころか、妙な動きを見せています。



“――いや、待て。違うぞリッキー。あれは、捕まえているんじゃない”

“――えっ? じゃ、じゃあ、一体はんちょは何を……っ?”

“――いいか。あれはだな……”



 アルジャーノンさんが、ドラゴンさんの瞳を、ゆっくりと細めました。




 ”――……ただ、シロを撫でているだけだ”




 その言葉とほぼ同時に、レオン班長の指が、わたくしの喉元をわしわしと撫で始めました。




『あっ、何をするのですかレオン班長っ。止めて下さいっ。今は戦っているのですよっ。そんな、いつものように撫でられては困りますっ』



 えいえいと前足で叩きますが、レオン班長の手はびくともしません。それどころか、わたくしの前足を揉んだり、頬をこしょこしょと擽ったりと、非常に心地良く撫でていきます。




『もうっ、止めて下さいと言っているでしょうレオン班長っ。戦うつもりはあるのですかっ? そんな風にされたら、わたくし、うふふ、困ってしまいますよ本当に。もうもう』



 思わず、レオン班長の手をぎゅーっと抱き締めてしまいました。掌にお顔をうりうりと擦り付ければ、レオン班長は口角を片方持ち上げ、わたくしの眉間を指で優しくかいてくれます。

 わたくしのツボを的確に押さえた指使いに、思わずうっとりとした溜め息を吐いてしまいました。



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