18‐7.勝敗が決まりました
“――あぁぁぁっ! シ、シロちゃんがっ! はんちょのテクニックにメロメロですっ! 見る間に戦意を喪失していきますっ!”
“――シロどころか、レオンも戦う意志を失くしている。お陰でやっていることは、普段の触れ合いと大差ない”
“――本当ですねぇ。おーい、お二人さーん。一応これ、エキシビションマッチなんで、戦って貰ってもいいですかー?”
はっ、そうでした。わたくし、戦っているのでした。いけません。あまりの心地良さに、つい忘れてしまいました。
『ですがぁ、抗いがたいですぅ』
耳ごと頭を撫でられ、自ずとお顔は蕩けていきます。もしわたくしが猫さんだったら、きっとご機嫌に喉を鳴らしていたことでしょう。
”――あー、駄目ですねぇ。全然聞いてませんねぇ。最早俺達は、仲良し親子の戯れを見てるしかないのでしょうか、アルジャーノンさん?”
“――可能性は否めないが、しかし時間はまだ三十秒ある。その間にどうにか事態が変わることを祈るしかない。例え変わらなくとも、残り時間は三十秒しかないんだ。それ位ならば、レオンとシロの触れ合いを眺めているのも悪くないだろう”
“――まぁ、確かにそうですねぇ。じゃ、お二人さん。思う存分じゃれ合って下さい。でも出来れば試合も忘れないでね。観客諸君は適当にやってて。よろしくー”
投げやりな実況に、ブーイングと笑いが起こります。それでも、ノリの良い皆さんです。わたくしを応援したり、レオン班長を囃し立てたりと、各々楽しそうにされています。もう戦うどころでなくなってしまった身としては、ありがたい限りです。
皆さんのご好意に甘え、ここは一つ、制限時間いっぱいまで、レオン班長の手を堪能しようと思います。
わたくしは、レオン班長の手をもう一度抱き締めました。撫でて下さる指先の動きを楽しみながら、お顔を擦り付けます。
するとレオン班長は、くっと喉を鳴らしました。かと思えば、わたくしが抱えている右手を、引き抜こうとするではありませんか。
『あ、駄目ですレオン班長ぉ。離れては嫌ですよぉ』
わたくしは、後ろ足も使ってレオン班長にしがみ付きました。やだやだと言うように暴れる腕に合わせ、わたくしの体も右へ左へ転がります。
『駄ー目ーでーすぅー。逃ーげーなーいーでーくーだーさーいぃー』
けれど、わたくしのお口は、どうにも緩んでしまいます。抗議の声を上げつつも、実際はレオン班長との戯れが、楽しくて仕方ありません。乙女心は複雑なのです。
『もうもう、こうなったらわたくしも本気を出しますよぉ? レオン班長の腕をぉ、ぎゅーっとしてしまいますからねぇ?』
えいやぁー、とレオン班長の右腕を、殊更強く抱き締めました。前足と後ろ足で、これでもかと締め上げます。
ですが、所詮は子シロクマの力です。レオン班長にとっては屁でもないようで、止めろ止めろとばかりにわたくしの両頬をむにっと摘まみます。中央に寄せられて、お口がタコさんのようになってしまいました。なのでわたくしも、止めろ止めろと首を振り、ついでに体も横へ揺らします。
『むひー、止めへくらはいおぅー。わはふひ、変なおはおになっへひまいまふぅー』
しかし、レオン班長は止めてくれません。当然です。なんせこちらは、所謂ふりというものなのですから。
止めろ止めろは、もっとやって欲しいという意味なのです。なのでレオン班長は、わたくしのお顔をむにむにしては、楽しそうに口角を持ち上げます。わたくしも、抵抗しているかのように、ころりころりと揺れる幅を、段々と大きくしていきました。
揺れて揺れて、どんどん体を左右へ動かし、そういう玩具のように転がりまくります。
やがて、勢いが付きすぎたのでしょう。
『あら?』
ころりんと、半回転を決めます。抱き締めていたレオン班長の右腕へ、跨ってしまいました。
ですがまぁ、これはこれで、とわたくしは気にせず、レオン班長の腕にぎゅーっと四肢を絡み付かせ、お顔をうりうり擦り付けます。
途端、鋭い鐘の音が、カンカンカンカーンッ! と響き渡りました。
夢見心地だったわたくしの意識も、一瞬ではっきりとします。体もびくりと跳ね、思わず辺りを見回しました。
すると、リッキーさんとアルジャーノンさんと、目が合います。
お二人は、それはそれは大きく目を見開き、マイクを握り締めていました。
“――な……何と言うことでしょうか……っ! まさかっ、ここにきての大どんでん返しっ! シロちゃんの戦略がっ、見事決まりましたぁっ!”
戦略? 身に覚えのない言葉に、わたくしの頭の中は、はてなマークでいっぱいとなります。
そんなわたくしを余所に、周りは大盛り上がりです。わたくしの名を呼び、称えるような拍手も下さいました。
一体どういうことでしょう? と首を傾げるわたくしの耳に、入ってきたのは。
“――勝者っ、シィィィロォォォーッ!”
力強く叫ばれた己の名前と、興奮に満ちた歓声です。
……え?
わ、わたくし、勝ってしまったのですか?
“――いやー、凄かったですねぇアルジャーノンさん。まさか、ラスト五秒であんな展開が待ち受けてたとは。すっかり無効試合だと油断してましたよ”
“――私も同じだ。こんなことになろうとは、誰も予想していなかっただろう。きっとレオンもそうだったに違いない。だからこそ、ああして一瞬の隙を突かれたんだ”
“――本当に驚きましたねぇ。これぞまさしく下剋上、といった試合でした。エキシビションマッチにふさわしい一戦だったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか皆さーんっ”
答えるような声と拍手が、沸き起こります。リッキーさんは、満足そうに何度も頷きました。
反対にわたくしは、ギアー……と困惑の声を上げます。ふさわしい一戦、と言われましても、全く心当たりがないのですが……。
どうしたら良いものかと、わたくしは、抱き締めていたレオン班長の腕へ、思わず頬を寄せました。
『……あら?』
そこで、つと気付きます。
わたくしは、転がった拍子にレオン班長の右腕へ乗り上げました。ということは、当然レオン班長の腕は、わたくしの下にあります。
そんな右腕をよく見れば、掌が上を向いているではありませんか。
つまり、手の甲が、机と接触している状態です。
……どうやらわたくし、図らずとも、ラッキーパンチを決めてしまったようです。
『あの、レオン班長。なんだか、申し訳ありません。このような結果を招いてしまいまして』
おずおずと、レオン班長を窺い見ます。
レオン班長も、わたくしへ視線を向けました。毛のない眉を寄せ、無言でこちらを見つめます。
かと思えば、徐に、ライオンさんの耳を揺らしました。
それから、わたくしを抱き上げます。
「……やるじゃねぇか、シロ」
口角を片方吊り上げると、ぽん、とわたくしの頭へ、手を置きました。
撫でられる感触に、わたくしの体から力が抜けていきます。ぺたりとレオン班長に凭れ、自ずと甘えた声が込み上げました。
“――ではここで、ヒーローインタビューに移りたいと思います。現場のアルジャーノンさーん?”
リッキーさんがそう呼び掛けると、いつの間にか机へ近寄っていたアルジャーノンさんが、わたくしを見下ろしました。
“――シロ、おめでとう。勝利の喜びを、一言貰えるか?”
マイクを差し出され、わたくしは、レオン班長を仰ぎ見ます。
レオン班長は、頷くようにライオンさんの耳を振りました。一発かましてやれ、とでも言っているかのようです。
なのでわたくしは、大きく息を吸い込み、前足を持ち上げました。
“――わたくし、勝ちましたよぉぉぉーっ!”
ギアァァァァーッ! と勝利の雄たけびが響き、リング外からも歓声が上がります。
誰もが笑顔を浮かべてくれ、わたくしもついつい笑みが溢れます。レオン班長も、迫力満点に笑っていました。そうして、わたくしを頭上へと掲げてみせます。
途端、一層大きな声と拍手を頂きました。
『ありがとうございます皆さんっ! 皆さんの応援のお陰で、勝利を掴むことが出来ましたっ! 本当にありがとうございますっ!』
喜びに、尻尾の動きが止まりません。
こうしてわたくしは、興奮と幸せに包まれながら、エキシビションマッチを終えたのでした。
その後、わたくしとの闘いが着火剤となったのか。レオン班長は順調に勝ち抜けていき、見事優勝を果たしました。今期のボーナス全員分と、強者の栄光を同時に手に入れ、至極満足そうにライオンさんの尻尾を揺らしています。
ですが、何故でしょうか。
優勝したにも関わらず、レオン班長は現在、消毒液の刑に処されています。
過去最高に凄い顔で呻くレオン班長に、皆さん大爆笑です。
『はいはい、もう大丈夫ですよー。もう痛くないですからねー。折角優勝したのに消毒液を掛けられて、散々でしたねー。でも優勝おめでとうございますー。わたくし、とっても嬉しいですよー』
レオン班長に無言で抱き締めらながら、わたくしは撤収作業に入る皆さんを横目に、慰め続けるのでした。
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