16‐3.諦めません
「シロ、大丈夫か……?」
『だ、大、へぶぅ、丈夫、です。はぁ、はぁ』
わたくしの体をタオルで拭いながら、レオン班長は気遣わしげに毛のない眉を寄せました。未だ息を荒げるわたくしを落ち着かせるように、背中を何度も撫でて下さいます。
『お、驚かせてしまい、大変、申し訳ありません。わたくし、少々、己の力を見誤っておりました。泳ぐという行為は、わたくしが思っている以上に、力強く行わなければ、ならないのですね』
多少なりとも浮力があるからと、油断しておりました。また、ライフジャケットからハーネスに変わり、水の抵抗が強くなったのも原因でしょう。思うように動けない分、余計に力を発揮出来なかったのかもしれません。
『で、ですが、これで大分感覚は掴めてきましたよ。要は、より力強く水をかけば良いと、ただそれだけなのですからね』
淑女としては、出来れば優雅な姿を保ちたかったのですが、そうも言っていられません。なんせ、泳げるようにならなければ、命に関わってくるのですから。
乙女らしからぬ形相で、なりふり構わず足を動かすのです。一時の恥がなんだというのですか。恥をかいて命が助かるのならば、わたくしは喜んで無様な姿を晒しましょうとも。
わたくしは、鼻に入った海水ごと、やる気の息をふんっと吹き出します。そうして、足を解すように揺らすと、今一度、水槽へ飛び込む体勢に入りました。
「シロ」
しかし、レオン班長の腕が、すぐさまわたくしを止めます。
これでもかと眉間へ皺を寄せ、こちらを見下ろしていました。
厳めしい強面には、わたくしへの心配しか浮かんでおりません。
周りにいらっしゃる班員さん達も、似たような面持ちをされています。
「ねぇシロちゃん。一回休憩した方がいいんじゃないかなぁ?」
“その間、体調に変化はないか、念の為調べておいた方がいいかもしれないな”
「無理はしねぇ方がいいぞシロッ」
「根を詰めすぎるのも良くねぇからなぁ」
「あんたは頑張ったよ。今日はもう終わりにしときな。ね?」
やんちゃな見た目にそぐわぬ、優しさと労わりに満ち溢れた声で、わたくしに話し掛けてくれます。
そんな皆さんへ、わたくしは、微笑み掛けました。
『ありがとうございます。心配して下さって、とても嬉しいです。ですが、どうかご安心を。この程度で諦める程、わたくしは柔ではございません。これでも海上保安部の問題児が集まる特別遊撃班の一員ですので。これしきの挫折、屁でもありませんね』
強がりと思われるかもしませんが、紛うことなきわたくしの本心です。
確かに、思うように泳げず、また苦しい思いもして、多少落ち込んでいる部分はございます。
ですが、それが何だというのです。
例え今すぐ出来ずとも、何度も挑戦し、何度も食らい付いて、そうして最後に笑った者が勝ちなのです。いくら時間が掛かろうと、どれだけ無様を晒そうと、習得してしまえば全てが帳消しとなります。わたくしは知っているのです。
『ですので、わたくしはまだまだ諦めませんよ。ここで止めては、特別遊撃班の名折れですもの。皆さんの気持ちは、十二分に届いております。ですが、お願いです。どうかわたくしの我儘を、聞いては頂けないでしょうか?』
ギアーと語り掛けるも、皆さんの顔色は優れません。まぁ、無理もないでしょう。なんせ、傍から見れば、シロクマの子供が二度も溺れているのですもの。このまま水泳訓練を続けて大丈夫なのか、不安になるのも頷けます。
……仕方ありません。
皆さんが、どうしても止めろと言うのならば。その時は、わたくしもこれ以上抵抗しません。大人しく本日の訓練を中止します。
わたくしは、皆さんを悲しませてまでやりたいわけではないのです。わたくしが従うことで笑って頂けるのならば、喜んで自分の意思を曲げましょう。
『ですので、せめて止めろと言われるまでは、足掻かせて下さいね』
わたくしは、皆さんが黙り込んでいる隙に、泳ぎのシミュレーションをします。レオン班長に当たらぬよう、理想の軌道を描きながら、前足を
『えっさ、ほいさ』
と動かしました。
「……シロ」
すると、わたくしの前足を、レオン班長が優しく掴みます。
眉間に皺を寄せたままわたくしを見下ろすと、黙り込みました。
本日は、ここまででしょうか。
わたくしが断念し掛けた、その時。
「……足の動きは、こうだ」
と、わたくしの前足を、大きくゆっくり、動かしてみせます。
二度三度と水をかく仕草をすると、分かったか? とばかりに、わたくしを見やりました。
『レ、レオン班長……っ』
目の前が明るくなったような気がします。レオン班長の背中に、後光さえ見えました。
レオン班長は、わたくしの意思を尊重して下さるようです。
本心としては、もう練習は中止したいと思っていらっしゃるのでしょう。けれど、そのようなことは一言も言わず、代わりにわたくしが無事に泳げるよう、アドバイスをしてくれます。わたくしの体を下から支えつつ、練習にも付き合って下さいました。
他の班員さんも、同様です。
「うんうん、いいよーシロちゃん。もっと後ろ足は蹴り出す感じで、そうそう」
“先程よりも、勢いが増してきたな。息継ぎも、上手くなってきているぞ”
諦めぬわたくしを褒め、時に問題点を指摘しては、また褒めて下さいます。皆さん一丸となって、わたくしに力を貸してくれました。本当にありがたいことです。ここまでお世話になっては、わたくしも結果を出さぬわけにはまいりません。
改良点を必死で飲み込み、実践し、改善して、そうして、一時間程がすぎた頃。
「シロ。準備はいいか?」
本日の総仕上げとばかりに、レオン班長はわたくしを海水の中へと入れました。下からわたくしを支えつつ、見下ろします。
「頑張ってね、シロちゃん。大丈夫だよ、きっと出来るよ」
“ここまでやってきたことを、そのままやれば大丈夫だからな”
水槽の周りに集まった皆さんも、祈るように手を握り合わせています。
そんな視線を見つめ返すと、わたくしは前足を構えました。後ろ足も、いつでも蹴り出せるよう、力を籠めます。
今度こそ、やってやりますよ。わたくしは、気合十分な鼻息を、ふんと吐き出しました。
それを受け、レオン班長は一つ頷きます。両腕を伸ばし、自分の体からわたくしを離しました。
「じゃあ、行くぞ」
『はい、いつでもどうぞ』
わたくしは、大きく息を吸い込みました。そうして口を閉ざし、この数時間行ってきた練習内容や、泳ぎのポイントとなるあれこれ、皆さんから頂いたアドバイスなどを、頭に思い浮かべます。皆さんの声援を受けながら、わたくしは、水面を睨み付けました。
では……いざっ。
『えいやぁぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく』
「シッ、シロォォォッ!」
「シロちゃぁぁぁぁぁーんっ!」
ハーネスが体に食い込む程の力で、引っ張り上げられました。水中から出たと同時に、わたくしは目の前にあったレオン班長の体に抱き着きます。最早、縋り付くといっても過言ではありません。
『がっほがっほっ、うぐぅぅぅっ、ぶふんっ、お、おえぇっ』
「落ち着け、シロ。もう大丈夫だからな」
『ふびぃ、レ、レボンばんぢょ、レボンばんぢょおぉ……っ、ぶえぇぇぇんっ』
「ゆっくり息を吸うんだ。大丈夫だから」
咳込み、えずき、涙を流し、ついでに涎と鼻水も垂らすという、淑女にあるまじき形相で、レオン班長にあやされます。
恥ずかしいと思う余裕はありません。ただただ、レオン班長の温もりと優しさを求めるのみです。
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