16‐4.屈辱です



 ぐずぐず泣くわたくしに、続行不可能と判断したのか。本日の訓練はここまでとなりました。

 わたくしは、タオルに包まれながら運ばれていきます。皆さんからの優しい言葉が、胸に沁みて沁みて、仕方ありません。



『うぅ、も、申し訳ありません、皆さん。あれ程熱心に教えて頂いたのに、応えることが出来ずぅ……っ』

「大丈夫だよー、シロちゃん。今日は本格的な練習の初日なんだから。出来なくたって当然だよぉ」

“そうだぞ、シロ。これから練習していけば、きっと上手くなるからな”



 頭を撫でて下さる手と、向けられた笑顔が、また涙を誘います。泣きに泣き濡れるわたくしには、只管感謝を述べるしかありませんでした。




 その後も、わたくしの水泳訓練は続きます。




 次の日も。




『そいやぁぁごばごばごばごばごばごば』

「シロォォォォォッ!」

「シロちゃぁぁぁぁぁーんっ!」




 その次の日も。




『せいやぁぁぁがぶがぶがぶがぶがぶがぶがぶがぶ』

「シロォォォォォォォォッ!」

「シロちゃぁぁぁぁぁぁぁぁーんっ!」




 そのまた次の日も。




『よいしょぉぉぉぉぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこぼこ』

「シロォォォォォォォォォォッ!」

「シロちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーんっ!」





 そして、訓練が始まって、三十日目。





『あっぷっ、あっぷっ』

「いいぞシロッ! そのまま水面から顔を出し続けるんだっ!」

『は、はいレオン班長っ! わたくし、頑張りまぶぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ』

「シロォォォォォォォォォォォォォォォーッ!」

「シロちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーんっ!」






 本日も、レオン班長とリッキーさんの叫びが、デッキに響き渡ります。






“なぁ、レオン”



 アルジャーノンさんが、水槽から出てきたレオン班長へと、スケッチブックを見せました。

 レオン班長は、泣き震えるわたくしをあやしながら、視線だけ振り返ります。



“ずっと目を背けてきたんだが、やはり、そうとしか思えないんだ”

「……何がだ」




“シロは、俗に言う『金づち』という奴なのではないかと”




 途端、辺りは静まり返りました。

 わたくしを見守って下さっていた皆さんが、一斉に明後日の方向を向きます。




『うぅ、ぐず……や、やはり、そうなのでしょうか……』



 そんなことはないと、必死で自分に言い聞かせてきましたが、もう誤魔化せない所まできてしまったようです。




「な、なに言ってるのさアルノォンッ。シロちゃんはぁ、もう、ぜーんぜん金づちなんかじゃないってぇっ」

「そ、そうだぞシロッ。お前は、その、あれだ。その……ちょ、ちょっとばかし、不器用なんだよっ」

「それに、ほらっ。シロはまだ、子供だからなっ。中々上手く出来なくとも、し、仕方ねぇよっ。なぁっ」

「だ、誰にでもねぇっ、苦手なものはあるんだよっ。あたいだって、泳ぐのはあんまり得意じゃないんだからっ。気にすることはないよっ」



 皆さんのフォローが、胸に痛いです。しかも、遠回しにわたくしは泳ぎが下手だとおっしゃっていますし。



『な、何故でしょう……わたくし、シロクマですのに……一生懸命、頑張ってきましたのにぃ……っ』



 ずびっ、ずびっ、と込み上げた涙ごと鼻水を啜っていると、レオン班長が、タオルでわたくしのお顔を拭って下さいます。



『レ、レオン班長……わたくし、こ、このまま、一生泳げないのでしょうか……?』



 するとレオン班長は、わたくしの頭を、穏やかに撫でました。



「……大丈夫だ、シロ」



 目元と唇を、優しく緩めます。



「練習を続けていけば、いつかは泳げるようになる」

『そ、そうでしょうか……わたくし、自信がありません……』



 お顔と共に、尻尾もしょんぼりと項垂れてしまいます。

 しかしレオン班長は、わたくしを励ますように、何度も背中をぽんぽんと叩いてくれました。その後もずっとわたくしを抱えて、甘やかしてくれます。他の班員の皆さんも、わたくしを気遣い、勇気付けるように笑い掛けて下さいました。



 皆さんの優しさに、涙腺が刺激されて仕方ありません。

 あぁ、わたくしは、とても恵まれているのですね。仲間の大切さを、しみじみと感じ入りました。零れる涙もこっそり拭い、精一杯笑っておやすみのご挨拶をします。



『明日には、またいつものわたくしに戻っておりますので、その時は一緒に遊んで下さいね。それと、わたくしはまだまだ諦めません。これからも何度となく溺れ、泣き、落ち込むでしょうけれど、それでも、いつかシロクマらしく泳げるよう、精一杯頑張らせて頂きますので、どうぞご指導ご鞭撻の程を、よろしくお願い申し上げます……っ』



 皆さんへ向かい、深く頭を下げました。すると皆さんは、また温かい言葉と笑顔を、わたくしへと贈ってくれます。

 もう、これ以上わたくしを泣かせてどうするおつもりなのですか。ギアーと抗議しつつ、わたくしは涙を止めることが出来ません。笑みも、勝手に浮かんでしまいます。





 そうして、幸せに包まれながら眠りについたわたくしを、翌日待っていたのは。





「シロ。今日は、この新しいハーネスを使って、水泳の練習をするぞ」





 前面が、ライフジャケットと同じ素材で作られている、ハーネスでした。




 素材が同じなだけあり、浮力は抜群です。





「うわぁーっ。シロちゃん、上手だねぇっ。ちゃんと泳げてるねぇっ」

“もう少し頭を上げてみろ。そうだ、いいぞ”

「おっ、シロッ。今日はいつもより長く浮けてるなっ。凄いぞっ」

「昨日とは見違えたなぁシロ。一かき一かきが、力強くなってるじゃねぇか」

「そのまま水槽の端から端まで泳いでごらん。今のあんたなら、必ず出来るよ」



 皆さんの声援が、止めどなく上がります。



 ですがどなたも、わたくしが装着しているハーネスの素材について、何もおっしゃいません。



 ただただ、わたくしを温かく見守って下さるのみです。




 ……皆さんの優しさに、違う意味で泣けてきます。




『ぐす、べ、別に、良いですもん。わたくしは、まだ子供ですから。大きくなったら、このような浮力満載のハーネスなど付けずとも、きちんと泳げるようになるのですもん……っ』



 ぼやける視界の中、それでもわたくしは歯を食い縛り、いつか華麗に泳ぐ日を夢見て、一生懸命水を蹴り付けるのでした。



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