13‐8.全力で誤魔化します



 このままでは、間違いなくお鼻をむぎゅっと摘ままれてしまいます。それだけでなく、お叱りも受けるかもしれません。下手すれば、またいつぞやのように、お尻を掃除機で吸われる可能性もございます。



『ど、どうしましょう、リッキーさん。どうにかこの状況を誤魔化せないでしょうか?』



 と、お隣でうつ伏せているリッキーさんを、振り返ります。




 けれどそこには、どなたもいません。




『あ、あら? リッキーさん? どちらにいらっしゃるのですか? リッキーさん?』



 わたくしは、慌てて辺りを見回します。

 すると背後から、コツン、と物音がしました。



 見れば、操縦室の屋根へと上がる際に使った階段に、足を踏み入れているリッキーさんの姿が。



 リッキーさんは、


「頑張れ☆」


 と言わんばかりのお顔でわたくしに微笑み掛けるや、階段の蓋を、音もなく閉めました。



 後には、シロクマの子供が一匹、取り残されます。




『………………え、えぇっ!? ちょ、ま、待って下さいリッキーさんっ! 何故わたくしを置いていくのですっ! 一人だけ逃げるなんてずるいではありませんかっ! まさか、わたくしが無理やりマッサージをしたから怒っているのですかっ? ならば謝りますよっ! 誠心誠意謝りますから、帰ってきて下さいリッキーさぁぁぁーんっ!』



 わたくしの声が、ギアーッ! ギアーッ! と辺りに響きます。ですが、リッキーさんは戻ってきてくれません。爽やかな風が通り抜けるのみです。



 そんなわたくしを眺め、レオン班長は、つと首を傾げました。



「……シロ。お前、もしかして降りれねぇのか?」



 その言葉に、わたくし、咄嗟に閃いてしまいます。



 今こそ、誤魔化すチャンスなのではないか、と。




『そ、そそそ、そうなのですレオン班長っ。わたくし、つい出来心で操縦室の屋根まで登ってみたは良いものの、降りることが出来なくなってしまったのですっ。決して、そう、決してっ、出歯亀をしていたわけではないのですよっ? えぇ、本当ですともっ。わたくしは嘘など吐きませんっ。ただただ己の不甲斐なさと高所特有の恐怖感に、打ち震えるばかりですっ』



 これ見よがしに体を震わせ、心細さに溢れた声で同情を誘います。この時、高速で瞬きをし、故意に潤ませた瞳でレオン班長を見つめることを忘れてはいけません。

 加護欲がそそられるよう、己のもてる可愛さを前面に押し出し、全力で憐れさを演出しました。



 すると、どうでしょう。レオン班長は、毛のない眉をぎゅむっと寄せ、それはそれは深い溜め息を吐きました。



 そして。



「ったく……しょうがねぇなぁ」



 と、徐に荷物を置き、両腕を広げてみせます。



「ほら、シロ」



 さぁ、俺の胸に飛び込んでこい、とばかりに、掌をひらひらと揺らしてみせます。



 こ、これは、誤魔化せたのではないでしょうか。まだ決定的な言葉は頂いておりませんが、しかし、わたくしを見る眼差しは、どことなく生温いと申しますか、木登りをして降りられなくなった子猫さんを見ているような色合いが籠っている風に思えます。



 しめしめ、と内心ほくそ笑んでいますと、つと、強烈な視線を感じました。




 パトリシア副班長が、ガスマスク越しに物凄い圧を放っています。



 まるで、てめぇ、なに嘘こいてんだこらぁ、とメンチを切っているかのようです。



 というか、恐らくメンチを切っています。でなければ、わたくしの毛がぶわわぁっと逆立つわけがありません。体も、本当に震えてきました。




「シロ、どうした。ほら、飛べ。ちゃんと受け止めてやるから」



 わたくしが慄いている間も、レオン班長は広げた両手を揺らしています。ついでに耳と尻尾も揺らし、一歩前へ進み出ました。操縦室の屋根に張り付くわたくしの、ほぼ真下までやってきます。

 う、こ、この状況で、降りなければならないのですか。



 パトリシア副班長の視線は、未だ強力です。わたくしが手の届く範囲にやってきた瞬間、お鼻をむぎゅっとしてきそうな気配が非常にします。



 いや、ですが、お鼻をむぎゅっとされる程度で出歯亀の件が許されると思えば、逆に良い気もしてきました。レオン班長がお傍にいれば、流石のパトリシア副班長も、わたくしのお尻を掃除機で吸ったりはしないでしょうし。



 念の為、高所からの生還に安堵するふりをしつつ、レオン班長にしがみ付いておきましょうか。抱かれたままでいれば、十中八九大丈夫な筈です。




『よ、よし……では、いざ……っ』



 腰を上げ、わたくしは屋根の縁を二度三度と踏み締めました。タイミングを計るようにお尻を揺らしつつ、足に力を込めていきます。



『ほいさぁっ!』



 力強く屋根を蹴り、わたくしは、宙へ身を投げ出しました。

 前足と後ろ足をぴんと延ばし、レオン班長目掛けて落ちていきます。



 全身を襲う浮遊感や恐怖心は、一瞬でした。すぐさま体へ軽い衝撃が走り、暖かなものに包まれます。



「大丈夫か、シロ?」



 レオン班長が、わたくしを抱え直します。己のお胸に凭れさせるようにして、わたくしのお顔を覗き込みました。マフィアもかくやの強面ですが、その眼差しは全く怖くありません。寧ろ、わたくしへの心配で一杯です。



『あ、ありがとうございます、レオン班長。助かりました。はぁー、怖かったです。レオン班長がいなければ、今頃どうなっていたことか。あぁ、思い出すだけで体がまた震えてきます』



 ひしとレオン班長にしがみ付き、これでもかとお顔をうりうり擦り付けます。ついでにぷるぷると怯えるように全身を震わせながら、甘えた声もギアーと零しておきました。



「ったく、次からは気を付けろよ」



 レオン班長は、ぺったりとくっ付くわたくしの背中を優しく叩いて下さいます。そうして、あやすようにわたくしを揺らしつつ、ゆっくりと撫でてくれました。

 見た限り、わたくしの演技に気付いた様子はありません。どうにかこのまま逃げ切れそうです。



 と、人知れず胸を撫で下ろしていますと。




「あっれぇー? どうしたのぉー?」




 不意に、わざとらしい声が割り込んできました。



 途端、わたくしのお顔から、すっと感情が消え失せます。

 近付いてくる足音を、ゆっくりと振り返りました。



 リッキーさんが、飄々とした態度で手を挙げています。

 あまりの爽やかさに、わたくしを操縦室の屋根の上へ置いていった犯人だとは、到底思えません。



「あ、シロちゃんじゃーん。どこ行ってたのさぁー。探したよぉー?」



 しかも、わたくしを置き去りにしただけでなく、出歯亀の一件もしらばっくれようとしています。最初に覗き見を始めたのはリッキーさんだというのに、全ての罪をわたくしに擦り付けるおつもりなようです。



 流石のわたくしも、カチンときてしまいました。



 なので、今度シロクマ式マッサージをする際は、目にもの見せてやろうと思います。




「ふん。久しぶりだな、レオン」



 わたくしが密かに誓いを立てていますと、いつの間にかルーファスさんが、近くまでやってきていました。心なしか、目が薄っすら潤んでいます。尻尾も未だ擦っている辺り、相当痛かったのだと窺えますね。



 因みに、パトリシア副班長は、もういらっしゃいませんでした。恐らく、わたくしがレオン班長にしがみ付いている間にでも、船内へと戻っていったのでしょう。

 内心、ほっとしました。これでお鼻をむぎゅっとされずに済みます。出歯亀の件も、きっとうやむやになったに違いありません。




「相変わらず無茶をしているそうじゃないか、レオン。特別遊撃班の噂は、陸上保安部まで聞こえてくるぞ」



 ルーファスさんは腕を組み、顎を持ち上げます。



「前々から言っているが、いい加減もっと周りを見たらどうなんだ。お前達がどう言われているか、知らないわけではあるまい。無駄に敵を作ることも、白い目で見られることも得策ではないと、普通は指摘されなくとも分かると思うんだがな」

「……煩ぇな。お前には関係ねぇだろう」

「直接はな。だが、お前が何かやらかすと、マティルダ隊長の元へまで苦情がくることがあるんだ。隊長の補佐官として、見過ごすわけにはいかない」



 紛うことなきお説教です。まるでクライド隊長のようですね。

 レオン班長もわたくしと同じように思っていらっしゃるのか、眉間へこれでもかと皺を作っています。今にも、


「あぁん?」


 と凄みそうな形相です。



 ですが、そんな迫力満点なお顔を前にしても、ルーファスさんは平然と佇んでいます。寧ろ、嬉しそうに尻尾を振っています。

 リッキーさんに言わせれば、構ってくれて喜んでいるとのことですが、こちらの状況だけを見ると、邪険にされればされる程興奮するタイプの上級者としか思えません。わたくしの目線は、自ずと生温くなっていきます。




「――特に、なんだそいつは」




 不意に、ルーファスさんの視線が、下がりました。



 レオン班長に抱かれるわたくしを、見下ろしています。



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