13‐7.全てのルーツです



「……ふん。まぁまぁですね」



 点検するように尻尾を見据えると、パトリシア副班長は、ルーファスさんの鞄へ手を突っ込みました。そちらから、霧吹きとブラシを取り出します。

 霧吹きの中身は、シャンプーの類でしょうか? パトリシア副班長が尻尾目掛けて噴射する度、リッキーさん特製のわたくし専用シャンプーと同じ香りが、風に乗ってこちらまでやってきます。



 パトリシア副班長は、毛をかき分けながら満遍なく霧吹きを掛けると、今度はブラシで丁寧に梳き始めました。

 ブラッシングして貰っているルーファスさんは、平然としたお顔をしながらも、纏う空気はどこか心地良さそうです。分かりますよ、その気持ち。わたくしも、毎日レオン班長に毛を梳いて頂いている身ですからね。全身を綺麗に整えられた時の爽快感は、最高としか言いようがありません。



 しかし、何故いきなりブラッシングを始めたのでしょう? もしや、リッキーさんが出歯亀しようとしていたのは、こちらの光景なのでしょうか?



 まぁ、あの潔癖症なパトリシア副班長が、ああして他人の尻尾を触るだなんて、確かに珍しいです。信じられないと言っても過言ではないレベルです。そういう意味では、見どころと言えば見どころなのかもしれません。



 なーんて、わたくしが油断していた、次の瞬間。



 パトリシア副班長が、徐にガスマスクを、上へとずらしました。



 金髪の色白美女が、お目見えします。




『なぁ……っ!?』



 な、なんということでしょう。あのパトリシア副班長が、あの潔癖の極みのような方が、このような屋外でガスマスクを外すだなんて……っ! 



 一体どうしたのでしょうか。天変地異の前触れですか? 記録的な大雪なり、未曽有の大災害なりが、襲い来るのでしょうか? 失礼なことを言っているとは重々承知ですが、それ程までにあり得ないのです。



 けれどパトリシア副班長は、更にわたくしの度肝を抜いてきます。



 なんと、ルーファスさんの尻尾を睨み付けたまま、ゆっくりと、身を屈めていくのです。



 ま、まさか、パトリシア副班長は……っ!




『ルーファスさんの尻尾へ、お顔を突き刺すおつもりですか……っ!?』




 そんな馬鹿な、と思う反面、そうとしか思えない自分がおります。なんせわたくしは、シロクマの匂いを堪能するパトリシア副班長を、何度となく盗み見しているのですから。

 あの体勢にあの表情、そしてあの雰囲気、間違いありません。やりますよ、パトリシア副班長は。ルーファスさんの尻尾へお顔を埋めてから、その場で深呼吸をし、これでもかと匂いを楽しまれるおつもりです。



 そこでわたくし、ピーンときてしまいました。




 パトリシア副班長の匂いフェチは、もしやルーファスさんから始まったのではないか、と。




 お二人は幼馴染です。幼い頃から交流がありました。ということは、パトリシア副班長が、何かの拍子にルーファスさんの尻尾の匂いを吸っていたとしても、可笑しくはありません。


 もふもふの匂いの虜となったパトリシア副班長は、きっとその後も度々ルーファスさんの尻尾の匂いを楽しまれていたのです。けれど、ご実家を離れ、特別遊撃班に所属し、ルーファスさんと離れ離れになってしまいました。匂いを嗅ぎたくとも、そう簡単には嗅げません。


 そんな時に現れたのが、わたくしです。


 手触り最高なもふもふ且つ、存分に匂いを嗅いでも文句を言いません。更には、どなたかに告げ口することもないのです。なんとも丁度良い存在ではありませんか。


 そうしてパトリシア副班長は、ルーファスさんの代わりに、わたくしの匂いを楽しまれていたのではないでしょうか。全てはわたくしの想像ですが、あながち間違っているとも思えません。



 しかし……そうですか。全てのルーツは、ルーファスさんにあったのですか……。




『……ぷふ』



 おっと、いけません。

 うっかり笑みが零れてしまいました。



 わたくしは、うにうにと蠢くお口を固く結びつつ、リッキーさんの紫色をした頭から降ります。途中聞こえた


「はぁん……っ」


 という艶やかな吐息を無視し、身を低くしました。どなたにも気付かれぬよう、けれど、出来るだけ前へのめり、デッキにいるお二人を凝視します。



 ルーファスさんは、相変わらず平然としたお顔でその場に佇んでいました。尻尾も、これまでのようにばるんばるんと振ってはいません。



 ですが、耳だけは、まるでスキップでもしているかのように、大はしゃぎしています。己の匂いを吸われることに、全く抵抗はないようです。



 しかも、背後を一切見ていません。ただ腕を組み、遠くを眺めるのみです。

 恐らく、パトリシア副班長への配慮からでしょう。パトリシア副班長は、もふもふの匂いを堪能している姿を見られるのがお嫌いですからね。わたくしも、何度か盗み見ていると気付かれ、お鼻をむぎゅっと摘ままれましたもの。ルーファスさんも、きっとお叱りを受けているに違いありません。だからこそ、あのように知らん顔をしているのです。



 そのような気遣いが功をそうしたのか。パトリシア副班長は、先程からルーファスさんの尻尾を睨み付けるように、じーっと見つめていらっしゃいます。



 美しいお顔を顰め、なんとも気難しい表情をされています。しかし、髪の隙間から覗く尖った耳は、うっすらと赤みを帯びていました。尻尾とお顔の距離も、じわじわと近付いています。



 わくわくと高鳴る心臓と共に、わたくしは息を潜めました。もどかしさのあまり、思わずギアーと声を出してしまいそうですが、いけません。そのようなことをしようものなら、あっという間にパトリシア副班長に気付かれます。見つかったら最後、きつい眼差しで睨まれた挙句、お鼻をむぎゅっとされるでしょう。ですので懸命にお口を結び、その時を待つのです。




 そうして妙な緊張感に包まれる中、待つこと、しばし。



 ふと、パトリシア副班長の動きが、止まります。




 くる。

 直観的に分かりました。

 わたくしは一層身を乗り出し、鼻から息を噴射します。



 すると、ほぼ同時に、パトリシア副班長の上半身が、傾きました。



 金髪を僅かに靡かせながら、遂にお顔を、ぽふんと突き刺し――








「……あ? 何やってんだ、パトリシア?」








 ――た、と見せ掛け、ルーファスさんの尻尾を、勢い良く捻り上げます。



 続けて、尻尾の毛を、景気良く毟り取りました。




 辺りに、痛々しい音と、ルーファスさんの悲鳴、そして崩れ落ちる音が、響き渡ります。




「……本当、何してんだよ、お前ら……」



 タイミング悪く戻ってきたレオン班長が、ドン引きしたお顔でパトリシア副班長とルーファスさんを見下ろしています。

 けれど、ルーファスさんからのお返事はありません。蹲ったまま、己の尻尾を抱き締めるのみです。



「……戻ってきたのですか、レオン班長」



 パトリシア副班長は、素早くガスマスクを装着すると、何事もなかったかのようにレオン班長を振り返ります。その際、無理やり抜いたルーファスさんの毛は、きちんと麻袋へ仕舞っていました。



「頼んでおいた備品は、無事買えましたか?」

「あ? あぁ、それは買えたけどよ」



 と、抱えた荷物を軽く持ち上げてみせます。



「ならば、速やかに船内へ運んで下さい。そうして、次の品の調達をお願いします」

「……ルーファスは」

「気にしなくて結構です。すぐに帰りますので」



 有無を言わせず、パトリシア副班長は畳み掛けました。

 レオン班長は、ライオンさんの耳をぴくりと揺らします。しかし、何も言いません。お顔は物言いたげですが、これ以上突っ込むな、と言わんばかりのパトリシア副班長のオーラに、何かしらを察したのでしょう。ルーファスさんへ不憫そうな一瞥を送ると、荷物片手に辺りを見回しました。

 かと思えば、徐に視線を上げます。



 わたくしと、ばっちり目が合ってしまいました。



「……お前、何でそんなとこにいるんだ?」



 毛のない眉を寄せつつ、操縦室の屋根の上で腹ばいとなるわたくしへ、近付いてきます。そうしますと、必然的にパトリシア副班長の視線も、わたくしへと向きました。




 途端、パトリシア副班長の纏う空気が、厳しくなります。




 いけません。

 出歯亀しているとバレてしまいました。



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