13‐9.当然の権利です



「別に、お前の趣味をどうこう言うつもりはない。百歩譲って、シロクマを飼うのも構わない。だが、何故仕事場に連れてきているんだ。せめて家で飼え、家で」



 眉間へ皺を寄せ、ルーファスさんは、本格的にクライド隊長のようなことを言い始めました。



「大体、分かっているのか? シロクマは成長すると、お前よりも遥かに大きくなるんだぞ。三メートル級の生き物を飼えるスペースが、この船内にあるのか? 食糧もきちんと確保出来るのか? 暑い地域へ遠征に行く際はどうするんだ? シロクマが快適に過ごせる設備は整っているのか? ただ可愛いからという理由だけでは、生き物を育てることなど出来ないんだぞ」



 ふんと鼻を鳴らし、ルーファスさんは尻尾を跳ねさせました。



「お前は昔から、どうにも詰めが甘いからな。それに、他人の感情に機敏ではない。誰かに言われなければ気付かない。だからこそ、同期である私がわざわざ口にしているんだ。いいか。何度も言うが、シロクマを飼うなとは言わない。だが扱いにはもっと気を配れ。でなければ、特別遊撃班の評判は一層悪くなり、今以上に厄介な立場となる可能性もあるんだぞ、レオン。お前も班の長を名乗るのならば、その程度は把握していろ」



 ばるんと尻尾を揺らしながらおっしゃられる内容は、至極正論です。



「それから、シロクマの躾はきちんとしているのか? 人懐っこいのは結構だが、相手が必ずしも動物好きとは限らない。苦手だという者もいるだろう。そういう相手と対峙した際、お前はシロクマをしっかり制御しなければならない。理由は言わなくとも分かるな? シロクマが何かやらかしたら、飼い主たるお前が責任を取らなければならないからだ。だからこそ、もっと危機感を持つべきだと、私は言っているんだ」



 正論、なのですが……何故でしょう。



 どうにも素直に聞き入れることが出来ません。



 上から目線で言われる度に、こう、いらっとすると申しますか、反抗心がこれでもかと込み上げてきます。

 レオン班長も、面倒臭そうに毛のない眉を顰めました。ライオンさんの尻尾も、かったるいなぁ、と言わんばかりの緩慢さで動いています。




「はんちょ、はーんちょ」



 ふと、リッキーさんがレオン班長へ近付きます。背伸びをして、何やらこしょこしょと耳打ちしました。



 レオン班長は、ライオンさんの耳を一つ揺らすと、徐にルーファスさんを見つめます。



「……ルーファス」

「なんだ? 同期たる私の指摘で、ようやく反省したか?」



「……取り敢えず、触るか?」



 妙に淡々とした口調で、わたくしを優しく抱え直してみせました。




 途端、ルーファスさんの尻尾が、ぴたりと止まります。




「そこまでシロが気になるなら、触ってもいいぞ」



 ほら、とわたくしを差し出すように、レオン班長は一歩前へ出ました。



 ルーファスさんの視線が、これでもかとわたくしに注がれます。




『何ですか。不躾に乙女を眺めるなど、失礼ですよ』



 と、わたくしが、ギアーと抗議をしましたら。




 ルーファスさんの尻尾が、ぶわっと一気に膨らみます。




「ふ、ふんっ。何故私が、シロクマを触らなければならないんだっ。全く理解出来ないなっ」



 つんとそっぽを向くも、尻尾は落ち着きなく踊っています。耳も、あちらこちらとはためきました。もし効果音を付けるとしたら、うきうきるんるん、辺りがお似合いでしょう。



「だが、そうだな。他でもない、同期のお前がどうしてもと言うのならば、まぁ、撫でてやらなくもないがなっ」



 ちらっちらっとレオン班長へ視線を向けるルーファスさん。尻尾と耳も、どうなの? どうなのよ? とばかりに、レオン班長を窺っています。



 そんなルーファスさんを、レオン班長は非常に生温い眼差しで眺めています。リッキーさんも、半笑いでレオン班長へ耳打ちを続けました。



「……あぁ、どうしてもだ。お前に撫でて貰ったら、きっとシロも喜ぶだろうな」



 淡々を通り越して、最早棒読みです。どう考えても、頭が紫色をしたまっピンクの黒子さんに言わされています。



 これだけあからさまでは、流石にルーファスさんも気付くのではないでしょうか。わたくしは、さり気なくルーファスさんを仰ぎました。




 ルーファスさんは、若干目を丸くしつつ、固まっています。犬さんの耳と尻尾が、まるで驚いているかのように、ぴんと立ち上がりました。



 直後、盛大にはしゃぎ始めます。




「ふっ、そうか。まぁ、そこまで言われては仕方ない。パトリシアへの用事も済んだことだし、ここは一つ、撫でてやろうじゃないか」



 大仰に首を上下させると、ルーファスさんは、一つ咳払いをしました。そうして、渋々感を出しながら、わたくしへと手を伸ばしてきます。



 わたくしは、レオン班長に抱っこされたまま、ルーファスさんの掌を確認させて頂きました。先程までパトリシア副班長と対峙していただけあり、清潔そのものです。こちらならば、わたくし自慢の白い毛も、汚れることはないでしょう。



 うむ、と内心頷き、わたくしは、頭へと近付いてきたルーファスさんの手を――





 ――首の動きのみで、華麗に避けて差し上げました。





「……ん?」



 ルーファスさんの眉が、僅かに跳ねます。手も、中途半端な位置で止まりました。



 静寂が、しばし辺りに流れます。



 かと思えば、またルーファスさんは、わたくしへと腕を伸ばしました。



 そちらも、軽やかにかわします。



 わたくしを追ってくる掌も、続けてかわしました。



 更にかわし、かわし、かわした所で反対側からもう片方の手が迫ってきたので、素早く前足で叩き落とします。




 途端、この場に吹き出す音が、二つ上がりました。




「……おい、レオン」

「な、何だよ」

「このシロクマ、今私の手を叩き払ったぞ」

「……たまたまじゃねぇか」

「本当にたまたまだと思うなら、私の目を見ながら言え」

「……たまたまじゃねぇかぶほぉ」



 レオン班長は、勢い良く顔を背けました。腕に抱えるわたくしごと、小刻みに震えています。リッキーさんに至っては、無言で蹲っていました。わたくしの位置からではお顔が見えませんが、気配は完全に笑っています。



 そんなお二人を一瞥すると、ルーファスさんは、尻尾をばるんと揺らしました。そうして、わたくしを見下ろします。

 わたくしも、ルーファスさんを見上げました。淑女らしく、にこりと微笑んでみせます。




 そのまま、改めて伸ばされたルーファスさんの手を、前足で叩き落としました。




「おいっ。こいつ、やっぱり私の手を払ったぞっ。偶然じゃないじゃないかっ」

『煩いですねぇ。たかがシロクマの子供を撫でられない位で、いちいち騒がないで下さい、なっ』

「また払った……っ。さっきはあれだけ纏わり付いてきた癖に、何で今は嫌がるんだっ。可笑しいだろうっ」

『何をおっしゃいますか。乙女心は複雑なのです。嫌がられれば悪戯をしたくなりますし、近付かれたらつれない態度を取りたくなるものなのです、よっ』

「くっ、このシロクマめっ。私の手を叩き払うだなんて、いい度胸じゃないかっ。このっ」

『あっ、ちょっとっ、何をするのですかっ。前足を掴むなんて卑怯ですよっ。離しなさいっ。えいえいっ』

「こらっ、暴れるなっ。撫でるだけなんだから大人しくしろっ」

『大人しくしろと言われて、はいそうですかと従うとでも思っているのですかっ。甘く見ないで下さいっ。わたくしはこれでも、特別遊撃班の班員なのですよっ? 反抗心だけは、熊一倍あるのですっ。えいやぁっ』

「だからっ、何でそんなに嫌がるんだっ。前足で押し返さなくたっていいだろうっ」

『誰かぁぁぁーっ! 助けて下さぁぁぁーいっ! 変質者が乙女の体をまさぐろうとしていまぁぁぁーすっ!』

「く……っ、こいつ、後ろ足まで使い始めたぞ……っ!」




 ルーファスさんの怒鳴り声と、シロクマのギアァァァァァーッ! という鳴き声が、辺りに響き渡ります。



 小競り合いを繰り広げるわたくし達を、レオン班長はにやにやと楽しそうに眺めていました。リッキーさんなど、取り出した小型撮影機を構え、笑いながらシャッターを切り続けます。どちらも、わたくし達を止める様子も、宥める様子も、全く見受けられません。




「本当に何なんだお前はっ! 折角私が撫でてやろうというのに、生意気な熊だなっ!」

『誰が生意気ですかっ! わたくしはただ、当然の権利を行使しているだけですっ! シロクマにだって、撫でられる相手を選ぶ権利はあるのですからねっ!』



 己の四肢を駆使し、徹底的にルーファスさんの手を拒否してやります。我ながら、ルーファスさんの扱いが酷すぎると思わなくもありません。



 ですが、良いのです。ルーファスさんは、このような感じで。




 だって、犬さんの尻尾が、これでもかとばるんばるんしているのですもの。




 お口と表情では怒っていますが、実際は思いの外喜んでいらっしゃるようです。なのでわたくしも、ルーファスさんの為に、えぇ、あくまでもルーファスさんの為に、思い切り拒否の姿勢を見せていくのです。



 もしやこの方、本当に邪険にされればされる程興奮するタイプの上級者なのかしら? と心の片隅で思いながら。



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