13‐4.面白いものです



 リッキーさんが連絡を入れてから、既に五分以上経過しています。パトリシア副班長がいた執務室からデッキまでの距離を考えると、どんなに遅くとも五分もあれば到着する筈です。なのに、防護服に身を包んだエルフの姿は、一向に現れません。



 遅いと思っているのは、わたくしだけではないようです。

 ルーファスさんも、平然としたお顔で佇みながら、落ち着きなく尻尾を揺らしています。




「んー、パティちゃん、こないねぇ」



 リッキーさんは、まっピンクのつなぎのポケットから、徐に掌大の機械を取り出しました。ボタンをちょいちょいと押せば、画面にいくつもの赤い点が表示されます。



「えーっとぉ、パティちゃんの識別番号はぁ……あ、出た出た。あー、寄り道してますねぇー。少しでも時間を稼ごうと、無駄あがきしてますねぇー」



 一つだけ点る赤い点を見ながら、リッキーさんは含み笑いを浮かべました。かと思えば、耳に付けたカフス型通信機を、指で弄ります。

 ピーピーと甲高い機械音が、辺りに鳴り響きました。




『………………はい、パトリシアです』

「あ、パティちゃん? リッキーでーす。いい加減諦めてこっちきたらどうかなー。心の準備はもう出来たでしょ?」

『……何の話でしょうか』

「何の話でしょうねー? でも、これ以上ルーファスさんを待たせるのも、可哀そうだと思うなー? ずーっと同じ場所に立っててさぁ。まるでご主人の帰りを待つ犬みたいに、耳と尻尾をそわそわ振ってんの。俺が全身ばっちり消毒しといたから、問題なく会えるでしょ? 他の班員がデッキに近付いてくる感じもないことだし、会うなら今だと思わなーい?」



 しばし無言が流れると、唐突に通信は途絶えます。強制的に切られてしまったようです。

 ですが、リッキーさんは気にした様子もなく、笑っていらっしゃいます。



 そうして一分もしない内に、船内に続く扉が開きました。

 海上保安部のマークが入った防護服とガスマスクを装着した女性が、現れます。




 途端、ルーファスさんの耳が立ち上がりました。尻尾もばるんばるんと回っています。しかし、表情はいたって普通です。




「きたか、パトリシア。遅かったな」

「……えぇ、まぁ、こちらも色々と忙しいので」



 そう答えるパトリシア副班長の声は、非常に淡々としています。心なしか、普段よりもトーンが低いような気もしました。コードレス掃除機を掛ける手付きも、気持ち緩慢としているよう思えますし、全身から億劫そうな空気が垂れ流れています。ルーファスさんとは正反対ですね。そのギャップが、何とも言えぬ面白さを醸し出しています。



 と、内心思っていましたら、不意に、パトリシア副班長がこちらを振り返りました。



 何もおっしゃいませんが、ガスマスク越しに、かなりの圧を感じます。



 今にも、あっちへ行け、という声が聞こえてきそうです。




「あーっとぉ。そういえば俺ー、向こうの方に用事があったんだったー。ちょっと行ってこよっかなー」



 リッキーさんが、徐に立ち上がりました。



「あ、良かったらシロちゃんも一緒に行くー? あのねー、とーっても面白いものがあるんだー」

『面白いもの、ですか?』

「そっかー。気になるかー。じゃ、俺と一緒に行こうねー」



 そう言って、リッキーさんはわたくしを抱えると、パトリシア副班長達に背を向けました。


「あー、忙しい忙しいー♪」


 とわざとらしく歌いながら、足早に離れていきます。



 わたくしが思うに、リッキーさんは、パトリシア副班長の無言の圧力に従ったのでしょうね。でなければ、いきなりあの場を去ろうなんてしないと思います。加えて、わたくし達が消えなければ、パトリシア副班長は間違いなく動かなかったでしょう。下手したら、ルーファスさんの相手もせずに船の中へ戻っていたかもしれません。

 いくらルーファスさんが少々いけすかない方だとしても、折角いらっしゃったのに追い返されてしまっては可哀そうですからね。ここは一つ、協力して差し上げましょう。



 リッキーさんとわたくしに感謝して下さって結構ですよ、と、心の中でルーファスさんに語り掛けていると。




「……さぁーて」




 不意に、リッキーさんが立ち止まりました。すぐ傍にある壁へ張り付き、何故か周囲を入念に窺い始めます。



『リッキーさん? どうかされたのですか?』



 と、問い掛けると、リッキーさんは、わたくしへ微笑み掛けました。



「シロちゃん。今から、とーっても面白いものを見せてあげるからね。だから、俺がいいって言うまで、静かに出来るかなー?」



 そう言って、わたくしのお口をちょんちょんと指で突きます。



 面白いもの、とは、一体何でしょうか。というか、本当に面白いものがあるのですか? てっきり、デッキから離れる口実としておっしゃっていただけなのかと思っていましたが。



『まぁ、何にせよ、面白いものが見られるというのならば、わたくし、喜んで黙っていますよ。えぇ。一言も発しませんとも。お約束します』



 お口にチャックです、という気持ちを込めて、前足で己の口元を押さえてみせました。

 リッキーさんは一層笑みを深め、わたくしの頭を一つ撫でます。



 それから、すぐ横にある壁へ、掌を当てました。



 ぐっと力を入れたかと思えば、ただの壁だった筈の場所が、扉のように音もなく開きます。



 壁の奥から現れた階段に、わたくし、驚きのあまり耳を立ち上げてしまいました。




「シロちゃん。しー、だよ?」



 リッキーさんは、自分の唇へ指を当ててみせると、素早く中へ入ります。壁を閉じ、自動で点灯したライトを頼りに、階段を上っていきました。



「ここはねー、俺が船の点検をする時に使う通路なんだ。ほら、場所によっては、結構高い場所まで登らなきゃならないでしょ? でも階段とかはしごとかがさ、外から見える場所に付いてたら超ダサいじゃん。だから、こうやって色んな場所に隠してるんだー」



 成程、そうだったのですか。流石はリッキーさんです。ダサいという理由だけで、これ程巧妙に階段を隠してしまうだなんて。相変わらず素晴らしい腕前ですね。



 今度、船内のどこに隠れ階段があるのか、探索してみようかしら。そのように考えていましたら、つと、階段が途切れました。

 頭上すぐの所に、天井があります。



「よいしょっとー」



 天井を、リッキーさんは手で押しました。すると、先程の壁同様、音もなくすーっと開きます。



 天井の外は、操縦室の丁度真上でした。普段見る景色よりも一段高い光景に、思わず感嘆の声がギアーと零れます。



「あ、こらこらシロちゃん。しー、だよ。しー」



 おっといけません。そういう約束でした。

 わたくしは慌ててお口を押さえ、申し訳ありません、という視線をリッキーさんへ向けます。


 リッキーさんは、


「もー」


 と唇へ指を当てると、体勢を低くされました。わたくしを抱えたまま、そろりそろりと進んでいきます。

 操縦室の端までやってくるや腹ばいとなり、そのまま下を覗きました。




 デッキにいるパトリシア副班長とルーファスさんの姿が、見えます。



 お二人の会話も、聞こえてきました。




「――それから、これを。おじさん達から、お前宛ての手紙だ」



 ルーファスさんは、鞄から取り出したお手紙の束を、パトリシア副班長へ差し出します。

 パトリシア副班長は、指で摘まんで受け取りました。



「返事を出すなら、出発前に私の元まで送ってくれ。なんなら、今直接渡してくれても構わないが」

「……いえ、結構です。いつものように、パトリシアは元気だったと、あなたの方から適当に手紙を送っておいて下さい」

「またか。返事位、たまには出してやれ。おじさんもおばさんも、お前のことを心配しているぞ」

「大きなお世話ですよ」



 相変わらずつんとした態度です。ですが、ルーファスさんは慣れた様子で受け流しています。寧ろ、尻尾を振ってちょっと嬉しそうです。




「おー、やってるやってる。相変わらずだなー、あの二人」



 そう言ってリッキーさんは、含み笑っています。

 その手には、いつの間にか双眼鏡を装備していました。出歯亀する気満々です。



 そしてわたくしも、なんだかわくわくしてきました。図らずとも、尻尾がふりふり揺れてしまいます。



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