13‐1.出発の準備中です



 本日は、本部の倉庫に仕舞われている、特別遊撃班の専用船へとやってきました。

 そろそろ本部を発つらしく、班員の皆さんは、パトリシア副班長指示の元、必要なものを揃えにあちらこちらへ出向いています。先程から、大荷物を抱えて戻ってきては、また船を降りて買い物に行くのです。一か月以上を海の上で過ごすのですから、色々と物入りなのでしょうね。



 そんな忙しそうに動く皆さんを、わたくしはデッキの上から眺めています。



 正確には、デッキに置かれたビーチチェアで休憩するレオン班長のお顔へ強制的に乗せられながら、眺めました。




『あのー……レオン班長? 本当に辛くはないのですか? いくらわたくしが子供といえど、アイマスク代わりにするには、少々重すぎるかと思うのですが』



 しかしレオン班長は、気にせずわたくしのお腹で、お顔の上半分を覆っています。さり気なくわたくしが下りようとしても、すぐさま捕まえ、元の位置へと戻しました。

 まぁ、わたくしのお腹は、あのパトリシア副班長もお顔を埋める位の代物ですからね。それなりに魅力はあるのでしょう。



 わたくしも、決してレオン班長に乗るのが嫌なわけではないのです。特別遊撃班の一員として、皆さんのお手伝いも出来ないわたくしですが、それでも力になれるのならば、出来る限り協力したいと思っています。

 撫でられるのは勿論、おかえりなさいやいってらっしゃいのご挨拶、休憩時のお相手などをすることは、全くもってやぶさかではないのです。



 ですが、それはそれとして、この体勢はいかがなものかと思いますよ。

 いえ、レオン班長が良いのならば、わたくしもこれ以上は申しませんが。




「おーい、はんちょー。はーんーちょー」




 つと、デッキで最終点検を行っていたリッキーさんが、こちらへ近付いてきました。

 紫に染め直された髪と、まっピンクなつなぎの裾が、風に吹かれて揺れています。ピンクと紫で、非常に目が痛い配色です。



「そろそろお時間でーす」



 と、言いつつ、レオン班長のアイマスクとなっていたわたくしを、ひょいっと抱え上げました。



 途端、レオン班長は毛のない眉を顰めて、リッキーさんを睨みます。



「もー、そんな顔しないでよー。俺はただ、パティちゃんに頼まれてやってるだけなんだからぁ。ねぇ、シロちゃん?」

『えぇ、そうですとも。リッキーさんがタイムキーパーを務めて下さらなければ、今頃はパトリシア副班長からの呼び出しで、カフス型通信機が延々ピーピー鳴り続けていたことでしょう』



 現に、一時間程前まではそのような状況でした。

 あの騒音の中、よくレオン班長は寛いでいられたものです。



「はい、じゃあはんちょ。もう十五分経ったことだし、休憩はおしまいでーす。次の買い出しに行ってきて下さーい」



 しかし、レオン班長は動きません。代わりに、ライオンさんの尻尾でビーチチェアを叩いています。



「無駄な抵抗は止めて下さーい。そんなことしたって、はんちょに割り振られた仕事が減るわけじゃないんだから。あんまりぐだぐだやってると、シロちゃんと遊ぶ時間なくなるよ? いいの? レオンはんちょと遊べなかったら、シロちゃん寂しがっちゃうよぉ? ねぇ、シロちゃん?」



 リッキーさんは、わたくしに話し掛けつつ、襟元へピンマイク型の変声機を装着しました。

 そうして、わたくしのお顔をレオン班長の方へ向けると。




「『うん、ちょうなの。シロね、レオンパパとあしょべなかったら、とーっても寂ちいの』」




 妙に鼻に掛かった甘ったるい声が、どこからともなく聞こえてきます。



 シロ、と名乗っておりますが、決してわたくしが言っているわけではございません。



 全ては、リッキーさんの茶番です。




「『だかりゃね、レオンパパ。おちごと早く終わらちぇて、早く帰ってきちぇね。シロ、リッキー君といっちょに、いい子で待ってりゅかりゃね』」



 そう言ってリッキーさんは、わたくしの前足を掴みました。レオン班長を送り出すように、揺らしてみせます。

 更には、


「『フリェーフリェーレオンパパ♪ 頑張りぇ頑張りぇレオンパパ♪』」


 と、リズミカルに歌い始めました。



「……ちっ。しょうがねぇなぁ」



 わたくしを抱えたままリッキーさんが踊り出した辺りで、レオン班長はようやく起き上がります。わたくしの頭をぽんと叩くと、渋々といったていで踵を返しました。重い足取りで、船から降りていきます。




「はーぁ。やーっと行ったよぉ」



 リッキーさんは、軽やかなステップを踏んでいた足を止め、溜め息を吐きました。わたくしも、全く同じ気持ちです。毎度毎度、よくあれだけごねられるものですね。

 いえ、お仕事が億劫だと思うのは、別に構わないのです。しかし、レオン班長に養われている身としましては、最低限の生活費分は働いて頂かないと困ります。わたくし、もう野生では生きられない体となっておりますので。



 このペット生活を死守する為にも、レオン班長には是非とも頑張って頂きたいものです。その為ならばわたくし、いくらでも協力しますからね。腹話術の人形役だって、非常に不本意ですがやりますとも。あのようなきゃるんきゃるんした声でも、舌っ足らずな喋り方でもありませんけれど、レオン班長がやる気になって下さるのならば、大変不服ですが、茶番にも付き合います。

 ですから、よろしくお願いしますよ、レオン班長。わたくしの我慢を無駄にしないで下さいね。本当にお願いします、本当に。




「さーてと。俺もそろそろ休憩に入ろっかなー」



 はぁーどっこいしょー、とリッキーさんは、ビーチチェアへ寝そべりました。わたくしを抱き締めながら、息を吐き出します。



「あー、疲れた。もー、聞いてよシロちゃーん」

『あら。どうされたのですか、リッキーさん?』

「さっきさぁ、デッキの落下防止柵の一部が壊れてるの見つけちゃってぇ、こりゃー不味いって思って急いで直したんだぁ」

『まぁ、そうなのですか。お疲れ様です』

「でもねぇ? 俺、その壊れてた柵を、昨日間違いなく点検したのよ。で、その時は壊れてなかったの。なのに今日壊れてたんだよ? あれ、ぜーったい誰かが壊したんだと思うんだよねぇ。で、言ったら怒られると思って、そのまま逃げたんだよきっと」



 リッキーさんは、幼く見えるお顔を、ぶすっと膨らませます。



「気持ちは分かるけどさぁ、でもお前、そこは正直に言えよーって話じゃん? だってそのままにしてたら危ないんだからさぁ。お前、そんなにデッキの外に投げ出されたいのかって話じゃーん?」

『そうですねぇ。安全の為の柵ですのに、壊れていては意味がありませんものねぇ』

「修理自体はすぐに終わるんだしさぁ。ちょっと怒られる位、我慢しろよーって感じだよねぇ。はぁー、ほーんとムカつく。あんまり腹が立ったからぁ、速攻でパティちゃんに報告してやったんだー」



 それは、本当に怒られる奴ですね。

 パトリシア副班長に知られては、きっとすぐさま犯人も特定され、きついお仕置きを受けるのではないでしょうか。自業自得とはいえ、少々可哀そうでもあります。



 リッキーさんは、犯人の末路を想像しているのか、


「ふっふっふー」


 と含み笑いを浮かべました。

 かと思えば、大きく伸び上がります。溜め息を吐き、首や肩を揉んでいきました。



『あら、リッキーさん。もしや、体がこっているのですか? ならばわたくしが、シロクマ式マッサージを施して差し上げましょう』



 数少ないお仕事が舞い込んできたのかと、思わずうきうきと尻尾を揺らしてしまいます。

 そんなわたくしに、リッキーさんは笑い掛けました。



「あー、シロちゃん。今日も、お願いしてもいいかなぁ?」

『勿論ですとも。本日もわたくしの足で、これでもかとリッキーさんを喘がせてみせますよ』



 では、早速、とばかりに、うつ伏せに寝転び直したリッキーさんの背中へよじ乗ろうと、前足を持ち上げます。



 しかし、まっピンクのつなぎを踏み締める、その直前。



 不意に、ゴンゴン、と鈍い音が聞こえてきました。



 どうやら、どなたかが船の本体を叩いているようです。低く重い音が、一定の間隔で何度も上がります。




「んー? 誰だろう?」



 リッキーさんは、ビーチチェアから起き上がりました。わたくしを両腕で抱え、落下防止柵の傍までやってきます。



「はーい。こちら特別遊撃班の船でーす。何かご用ですかー?」



 ひょっこりと下を覗けば、軍服を着た若い男性がひとり、立っていました。肩には、わたくしがすっぽり入ってしまいそうな大きさの鞄を掛けています。



 ですが、どこか違和感があります。



 何でしょう、とじーっと見つめていたら、分かりました。




 あの方が着ていらっしゃる軍服には、海上保安部に所属している証の、カバさんのマークがありません。



 代わりに、マティルダお婆様の軍服に描かれているものと同じ、狼さんのマークが入っています。




「私は、陸上保安部第一番隊に所属している、ルーファスと言う。こちらに、特別遊撃班副班長のパトリシアはいるだろうか? 頼まれたものを持ってきた、と伝えて欲しい」



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