12‐2.眼鏡の女性と出会いました
あまりに異様な雰囲気に、わたくし自慢の白い毛が、ぶわりと逆立ちました。自ずと腰も引け、すぐさま女性から離れようと、踵を返します。
けれど、いざ逃げ出そうとした瞬間。
わたくしは、宙に浮き上がりました。
レオン班長が、わたくしを抱えながら、後ろへ飛び下がります。
ほぼ同時に、マティルダお婆様は前へ出て、突進してきた女性を受け止めました。
「どうしたんだ、お嬢さん? いきなり叫んだり走ったり、随分と忙しいな」
さり気なく女性の腕を押さえつつ、マティルダお婆様は、何事もないかのような態度で目を細めました。対するレオン班長は、元々鋭い眼光を一層鋭くして、
女性は、マティルダお婆様に止められたからでしょうか。はっと固まると、一瞬でお顔を真っ赤にさせました。
次いで背中を丸め、先程突撃してきた姿が嘘であったかのように、おどおどと体を揺らし始めます。
「あ、す、すいません。私ったら、つい」
何度も頭を下げては、ずれる眼鏡を押し上げる女性。泣きそうな程に取り乱す姿は、無害としか言いようがありません。
レオン班長もそう思ったのか、目付きを元の鋭さに戻し、逃げの体勢も解除しました。わたくしを抱えたまま、女性とマティルダお婆様を眺めています。
「それで、お嬢さん。一体何があったんだ? 何かあったからこそ、勢い良く店から飛び出してきたんだろう?」
「う、あ、そ、それは、その……」
「もしや、強盗か何かに押し入られ、商品を奪われたのか? だったら今すぐ陸上保安部の本部へ向かおう。なに、安心してくれ。私は陸上保安部で隊長を務めているんだ。必ずやお嬢さんの力になってみせよう」
「あ、い、いえっ。そういうわけでは、ないんですっ。商品も、盗まれたとか、そういうことは、全然なくって」
「ならば、何故あのように取り乱していたんだ?」
「それは、その……ひ、久しぶりに、姿を、見掛けたので……」
女性は深く俯き、指を弄ります。
「さ、最近、全然、いらっしゃらなくて……ずっと、通り掛かるのを、待っていて……も、もしかして、もう、この街を発ったのかなって、思っていたので、だから、その……」
もごもごと口を動かし、呟くように言葉を紡いでいきます。そのお顔は、まっかっかです。気恥ずかしげに身を捩っては、頻りに眼鏡の位置を直します。
そうして、マティルダお婆様の肩越しに、とある方向へ何度も視線を向けました。
その先にいるのは、わたくしを抱える、レオン班長。
……あら?
「……い、いきなり、目の前を、通りすぎていったから、わ、私、つい、嬉しくなって……っ」
きゃっ、と頬を押さえた女性は、もう一度、上目でちらりとこちらを窺いました。潤んだ瞳は、熱に浮かされているかのような、独特の色を帯びています。
「き、気が付いたら、駆け出していたんです……っ。ご、ご迷惑をお掛けして、大変、申し訳ありません……っ」
固く目を瞑り、今にも泣き出しそうな女性は、なんとも言えぬ可愛らしさと輝きを放っていました。
まるで、恋する相手を前にした、純情な乙女のようです。
…………あらあら?
これは、もしや……?
「……ほぅ、成程な」
女性とレオン班長を見比べると、マティルダお婆様は、深く頷きました。それからこちらへ近付いてきて、レオン班長の肩を、ぽんと叩きます。
「レオン。そういうことなようだから、ここは一つ、お嬢さんの思いを受け止めてやれ」
「……は?」
「なに。別に受け入れろと言っているわけじゃない。だが、こうして我を忘れる程の勢いでやってきてくれたんだ。ならば、お前は一人の男として、お嬢さんの思いにきちんと答えてやらねばなるまい」
「何言ってんだてめぇ」
「しかし、そうか。あんなに小さかったお前も、遂にそんな歳になったか。月日が流れるのは早いものだな。今夜は美味い酒が飲めそうだ」
「だから、何の話だよ」
「ふむ。そうと決まれば、シロ、行くぞ。私達は邪魔なようだからな。後は若い者同士でゆっくりした方がいいだろう」
そう言ってマティルダお婆様は、レオン班長からわたくしを奪い取りました。
レオン班長は、すぐさま奪い返そうとしますも、獣人の力の強さには太刀打ち出来ません。さくっとねじ伏せられます。
ぎりぎりと悔しげに睨むレオン班長を他所に、マティルダお婆様は、優しく目元を緩めました。ライオンさんの尻尾を一つ振りつつ、女性に向き合います。
「では、お嬢さん。場も整えたことだし、遠慮なく思いの丈をぶつけるといい」
「えっ!? い、いえ、でも」
「急なチャンスに狼狽える気持ちも分かる。しかし、伝えたい時に伝えたい相手に伝えられるとは限らないのが人生だ。そして伝えられなかった時、大抵の者は後悔する。お嬢さんも体験したばかりだろう? だからこそ、こうしてなりふり構わず飛び出してきたんじゃないのか?」
女性は、眼鏡の奥で、はっと目を見開きました。
マティルダお婆様は、穏やかに頷きます。
「大丈夫だ。例え突拍子もないことを言おうと、言葉が纏まってなかろうと、その程度でお嬢さんを否定することはしない。私が保障する。だから、安心してぶつかっていけ」
「ほ、本当に……いいんでしょうか……?」
「あぁ、勿論だとも」
お婆様が頼もしく頷かれると、女性は、一度顔を伏せました。大きく深呼吸をし、拳を握ります。そして、勢い良く顔を上げました。
決意の籠った表情に、お婆様は唇を綻ばせます。ライオンさんの尻尾も波打たせ、もう一つ頷きました。
「では、頑張るんだぞ、お嬢さん」
「は、はい……っ」
全身を赤らめ、それでも女性は、やる気に満ち溢れた鼻息を吐きます。
そのような姿を見届けると、マティルダお婆様は、徐に一歩後ろへ下がりました。これ以上は野暮だと思ったのでしょう。後はお二人でごゆっくり、とばかりに、抜き足差し足で女性を迂回していきます。
わたくしも、お婆様に抱っこされながら、息を潜めました。
こちらの女性は、きっとこれから、レオン班長に告白をされるのでしょう。
わたくしがお尻を負傷していた間、レオン班長は街へと足を運んでいませんでした。ということは、当然同じ期間だけ、女性はレオン班長の姿を見ていません。恐らくその時、ご自分の気持ちを自覚されたのでしょう。
なんだか物語のような展開ですね。しかしわたくし、決して嫌いではありませんよ。
『頑張って下さいね、お嬢さん。わたくしもマティルダお婆様と共に、遠くから見守っておりますので。ご武運をお祈りしていますよ』
そう微笑み掛けると、女性は答える代わりに、口を固く結びました。緊張で全身を小刻みに震わせながらも、己を奮い立たせ、足を持ち上げます。そうしてレオン班長の方へと、一歩、踏み出し――。
『……あら?』
――たのかと思えば、女性は何故か、反転しました。
レオン班長に背を向け、マティルダお婆様と、向き合います。
……………………あらぁ?
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