12‐1.休日です



 わたくし、完全復活です。



 痛みの取れたお尻を揺らしながら、休日の街中を颯爽と歩きます。

 何の気兼ねもなく動けることが、これ程清々しいとは思いませんでした。もしわたくしが人間ならば、きっと鼻歌でも歌っていたでしょう。己の足で踏み締めながら行うお散歩は、それ程までに楽しいのです。



「随分とご機嫌だな、シロ。そんなに私と散歩をするのは嬉しいか?」

『はい、マティルダお婆様。わたくしは今、健康の尊さを、これでもかと噛み締めているのです』

「そうか、私との散歩は嬉しいか。それは良かった。私も、お前と共に過ごせて、とても楽しいぞ」



 マティルダお婆様は、緩やかに目を細めました。ライオンさんの耳と尻尾も、穏やかに揺れます。

 全体の空気も、どこか柔らかいです。服装のせいでしょうか。いつもの軍服ではなく、白いブラウスにカーゴパンツというカジュアルな出で立ちだからか、凛々しい中にも女性らしさが滲んでいる印象を受けます。




 そんなお婆様のお隣では、レオン班長が、これでもかと不機嫌なお顔をしていました。



 ぶいんぶいんと振られる尻尾は、時折マティルダお婆様のお尻を叩きます。




「ん? なんだレオン。何か食べたいものでもあったか?」



 しかし、レオン班長は何も言いません。

 お家を出る前から、ずーっとこのような感じです。



 理由は、本日わたくしが装着している、ハーネスにあります。



 当初レオン班長は、黒いレザージャケットの形をしたハーネスを、わたくしに付けようと考えていました。

 というのも、そのハーネスは、レオン班長の私物のレザージャケットと、全く同じデザインなのです。リッキーさんが、わざわざお揃いで作って下さいました。

 なのでレオン班長は、昨日の夜から、わたくしとお揃いのジャケットを着てお散歩へ行こうと、楽しみにされていたのです。


 しかし、いざ出掛けようとした時。

 たまたまお仕事がお休みだったマティルダお婆様が、ひょっこりと現れます。



「ん? どうしたレオン。出掛けるのか? あぁ、シロを散歩に連れていくのか。ならば、私も付いていこう。息子と孫と共に散歩だなんて、とても楽しそうだ」



 この時点で、若干レオン班長のご機嫌が下がります。ですが、付いてくるだけならば無視すればいい、とでも思ったのでしょう。渋々了承した後、レオン班長はわたくしの体へ、レザージャケットタイプのハーネスを装着していきます。



 けれど、ここでマティルダお婆様から、待ったが掛かりました。



「レオン。別にお前の趣味を否定するつもりはないが、折角の休みなんだ。シロももっとお洒落をしたいに違いない。例えば、こちらのワンピースタイプはどうだ? ふわりとしたシルエットが、シロの柔らかな毛とよく合っていると私は思うぞ」



 そこから、レオン班長とマティルダお婆様による、本日のハーネス論争が勃発です。

 いかにわたくしに似合うか、わたくしが好むのか、各々の観点から主張し、時に相手の短所を指摘しつつ、激論を交わしていきます。



 そうした結果。わたくしは本日、ワンピース型のハーネスを付けることとなったのです。



 レオン班長は完敗でした。そもそも、マティルダお婆様に勝てるわけがないのです。我が道を行くタイプのお婆様が、レオン班長の言うことなど聞く筈がありません。

 母親としてそれで良いのでしょうか、と思う反面、それでこそマティルダお婆様ですと、わたくしは感慨深く頷いてしまいます。息子を押し退けた所で、これっぽっちも魅力が色褪せておりません。流石です。



 そういうわけで、お家を出発する前から、レオン班長のご機嫌はすこぶる悪かったのです。現在も、全く直っておりません。むっすりと唇をひん曲げ、毛のない眉を顰め、マフィアもかくやの強面を、これでもかと厳めしく歪めています。

 お蔭で、お散歩中にすれ違う方々が、心なしか距離を取っているような気がします。目も一切合いません。わたくしが初めて街へお散歩に出掛けた時は、これでもかと羨望の眼差しを向けていたというのに。清々しい程に露骨です。



「レオン。いい加減機嫌を直せ。たまの休日なんだぞ? シロと存分に戯れられる貴重な時間だというのに、父親であるお前がそんなことでどうする。シロが遠慮して、心置きなく遊べないじゃないか」



 マティルダお婆様は腕を組み、仕方のない子だ、とばかりに溜め息を零します。レオン班長のおへそを曲げさせた張本人の台詞とは思えません。

 レオン班長も、わたくしと同じように思ったのでしょう。舌打ちをし、ぷいっとそっぽを向いてしまいました。



「全く。困った父親だな、シロ。これでは娘のお前も苦労するだろう」

『いえいえ、それ程ではございません。確かに、多少のあれこれはあれど、レオン班長は素敵な飼い主さんだと、わたくしは思いますよ』

「そうかそうか、大変だったな、シロ」

『いえ、ですから、わたくしは特に』

「もしどうしようもなくなったら、遠慮なく私を頼るといい。孫の為ならば、私も持てる限りの力を貸そう」



 流石マティルダお婆様。わたくしの思いを、これっぽっちも汲み取ってはくれません。

 まぁ、シロクマの鳴き声から正確な意味を汲み取るなど、土台無理な話ですから、仕方ありませんが。




『レオン班長。本日は残念でしたが、そうがっかりしないで下さい。わたくし、こういった可愛らしいワンピースも好きですけれど、レザージャケットのようなハードなアイテムも、案外好きなのです。なので、次の休日にはそちらを着て、一緒にお散歩へ行きましょうね』



 レオン班長を仰ぎ見て、そう語り掛けます。



 レオン班長は、未だむっすりとご機嫌斜めです。ですが、わたくしの言葉に、ちらと視線を向けてくれました。口を開く代わりに、ライオンさんの耳と尻尾を、一つ振ります。恐らく、了承という意味でしょう。わたくしも、尻尾をぷりっと振って答えました。



 レオン班長の機嫌が若干持ち直したと肌で感じつつ、わたくしは街中を歩いていきます。

 通りの両脇には、様々なお店が並んでいます。大抵はわたくしに関係がない、もしくは入店出来ない場所ばかりです。なので、基本的にはウィンドウショッピングで楽しみます。


 ショーウィンドウに飾られた可愛らしいお洋服や素敵な小物、お洒落なアンティーク家具、甘い香りのお花やお菓子など、乙女心をくすぐる品々を、通りすがりがてら眺めていきます。

 時折わたくしに気付いた店員さんやお客さんが、微笑んだり、手を振ったりしてくれました。すれ違った犬さんとその飼い主さんに、ご挨拶をされることもあります。こういった交流もまた、お散歩の醍醐味です。

 海上保安部の本部だけでなく、街にも少しずつ知り合いが増え、嬉しくて仕方ありません。ついつい足取りも軽くなってしまいます。





「っ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!」





 るんたるんたと歩いていますと、唐突に、女性の叫び声が辺りに響きました。



 びっくりして思わず振り返れば、すぐ傍のぬいぐるみ専門店から、女性が一人飛び出してきます。エプロンを付けていらっしゃるので、店員さんでしょうか? 大きな眼鏡がずれているのも気にせず、こちらを凝視しています。



 かと思えば、いきなり駆け出しました。



 エプロンを盛大に靡かせながら、勢い良く近付いてきます。



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