9‐2.仲良しです



「おい、レオン」



 クライド隊長が、リビングのすぐお隣にあります台所から、顔を出しました。



「お前、もうメシは食ったのか?」



 レオン班長の返事は、ソファーを叩くぺちんのみ。



「まだ食べていないようだぞ、クライド。昔からレオンは、腹が減って不機嫌になると、何も喋らなくなるからな」



 マティルダお婆様は、楽しげに肩を揺らします。



「待っていろ、レオン。今からクライドが、腕によりを掛けて夕飯を作ってくれるからな。それまでコーヒーでも飲みながら、良い子にしているんだぞ」



 レオン班長の頭をぽんと叩くと、マティルダお婆様は、足取り軽く台所へと向かいます。

 その頼もしい背中を、わたくしはぽかんと見送ってしまいました。

 レオン班長を、まるで子供扱いです。まぁ、母親なのですから、子供扱いも何もないのかもしれませんが。それでも、このようにあしらわれているレオン班長を見るのは初めてですので、わたくし、非常に驚いています。



「……ちっ」



 レオン班長のご機嫌が、一層傾いた気配がします。尻尾でソファーを叩く音が、若干大きくなりました。わたくしの耳を揉む手にも、心なしか力が入ったような気がします。

 ちらりと様子を窺えば、レオン班長は、これでもかと眉間に皺を寄せていらっしゃいました。唇も山型に曲げ、今にも唸り声を上げそうです。




 むっすりと黙り込むレオン班長に、熊耳を揉まれること、数分。

 辺りに、コーヒーの良い香りが漂ってきました。

 包丁とまな板のぶつかる音も、小気味良く響きます。




「お待たせ、レオン。ほら、コーヒーだ。砂糖とミルクをたっぷりと入れておいたぞ。飲むといい」



 マティルダお婆様が、マグカップを二つ持って戻ってこられました。

 ソファーの前にあるテーブルへカップを置くと、レオン班長のお隣に腰掛けます。そうして、わたくしをじっと見下ろしてきました。

 あまりの熱視線に、思わず見つめ返してしまいます。



「……レオン。なぁ、レオン」



 レオン班長は、何も言いません。

 ですが、マティルダお婆様は気にせず、何度も何度もレオン班長の名前を呼びます。

 何度も何度も、何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も――。



「……ちっ。何だよ、煩ぇな」



 五十回を超えた辺りで、流石のレオン班長も折れました。

 毛のない眉同士を寄せて、深い溝を作ります。



「そろそろシロを抱かせてくれ。私は、今日という日を心待ちにしていたんだ」

「嫌だ」

「安心しろ。赤ん坊の扱いならば心得ている。これでも二児の母親だからな。例え相手がシロクマの子供だろうと、問題なく抱っこ出来るぞ」

「嫌だよ」

「それだけでなく、孫のいる隊員に話を聞いたり、幼い子を持つ隊員に最近の子育て事情を習ったりと、思い付く限りの準備をしてきた。最早完璧と言ってもいいだろう。なんなら、お前の代わりに世話もするぞ。一か月程シロを預かってやろう」

「嫌だって」

「そうか、残念だ。ならば代わりに抱かせてくれ。私にとっては初孫なんだ。それ位いいだろう」

「嫌だっつってんだろうが」

「仕方ない。ではシロの代わりに、お前を抱くことで我慢するか」

「ふざけんな、くそばばあ」

「ふざけてなどいない。私にとって、お前は愛しい息子だぞ? シロ同様、愛でる対象だ。膝に乗せていつまでも可愛がりたいと思うのも、決して可笑しなことではないだろう」

「いや、可笑しいだろうが」

「そんなことはない。現に私は、毎日クライドを膝に乗せて、これでもかと可愛がってい――」



「おいこらマティルダァァァーッ! てめぇなに言ってんだ馬鹿野郎ぉぉぉーっ!」




 台所から、クライド隊長が飛び出してきました。手には包丁と、立派なお肉の塊が握られています。

 本日の夕食はステーキでしょうか。レオン班長の大好物です。きっと喜ばれます。



「こら、クライド。いくら調理中とはいえ、包丁を持ったまま歩き回ったら危ないだろう。すぐに置いてこい」

「俺だって好きで持ってきたわけじゃねーよっ! でもてめぇが、いきなりふざけたことを言い出したからっ!」

「ふざけてなどないだろう。本当のことじゃないか。昨日の夜だって、頬を赤らめながらそれはもう愛らしく私の膝の上で」

「うわぁぁぁぁぁーっ! い、いいからその口を今すぐ閉じろっ! でなけりゃ俺は、もうメシを作らねぇからなっ!」

「む、それは困る。私の胃袋は、もうお前に掴まれているのだからな。仕方ない。今日の所は、愛する夫の言うことを聞いておくとしよう。私はもう言わないぞ、クライド。普段お前が、どれだけ私の膝の上であどけなく甘えてくれるのかなど――」



 途端、クライド隊長は奇声を上げて、包丁を投擲しました。



 刃の先端が、真っ直ぐマティルダお婆様へと飛んでいきます。




「こら」



 けれど、マティルダお婆様は、毛で覆われた人差し指と中指で、あっさりと挟み止めました。



「危ないと言っただろう、クライド。お前ならば絶対に当てないと信じているし、私ならば絶対に回避すると信じているからこその行動だと分かってはいるが、しかし、今日はシロもいるんだ。万が一があってはことじゃないか。照れ隠しも程々にしなければ駄目だぞ?」



 全く、困った子だな、とばかりに、ライオンさんの耳を揺らすマティルダお婆様。

 クライド隊長は、真っ赤なお顔でぷるぷると震えていらっしゃいます。



「……ふ」



 不意に、レオン班長が鼻を鳴らしました。口角を片方だけ持ち上げ、クライド隊長を小馬鹿にした風に一瞥します。

 ライオンさんの尻尾が、心なしか緩やかに波打ちました。どうやら、多少ご機嫌が回復したようです。


 辱めを受ける父親を見て機嫌が直るなんて、中々良い性格をしていますね、という気持ちを込めて見上げれば、レオン班長は、わたくしの頭を優しく撫でて下さいました。手付きも穏やかさが戻っています。纏う空気も刺々しさが薄まり、非常に寛ぎやすくなってきました。

 クライド隊長には申し訳ありませんが、このままもう少々辱められていて下さい。そうすれば、レオン班長のご機嫌も完全復活です。



「ちっ」



 しかしクライド隊長は、すぐさま台所へ引っ込んでしまいました。苛立ちをぶつかるかのように、ガッツンガッツンと何かを叩く音が激しく聞こえてきます。先程鷲掴んでいたお肉を、叩いて柔らかくしているのでしょうか。



「全く、クライドは相変わらず恥ずかしがり屋だな。まぁ、そこも可愛い所なのだが」



 マティルダお婆様は、徐に立ち上がると、包丁片手に台所へ入っていきました。



「クライド。ほら、忘れ物だぞ」



 すると、クライド隊長のなにやら抗議しているような声が、僅かに聞こえてきます。何を言っているのかは分かりません。



 ですが、マティルダお婆様の声は、よく聞こえます。



「何故そこまで恥ずかしがる」


「私はただ、正直な気持ちを伝えているだけなのに」


「怒っているお前も可愛いな」


「手元を見なくとも野菜が切れるだなんて、凄いぞクライド」


「こんなに素晴らしい夫を持てて、私は幸せだ」


「この幸せを、少しでもお前に返せたらいいんだが」


「愛しているよ、クライド」


 と、甘ーい台詞が淀みなく紡がれ、合間合間にはチュッチュッというリップ音も聞こえてきます。いちゃいちゃしているのは明白です。

 明らかにマティルダお婆様が優勢なようですが、一体クライド隊長は、どのようなお顔で攻められまくっているのでしょうか。想像するだけで、お口がにやにやしてしまいます。



『レオン班長のご両親は、とても仲がよろしいのですね』



 むふふ、と笑いを堪えながら、レオン班長を仰ぎ見ます。



 レオン班長は、わたくし以上に楽しそうでした。

 口元に弧を描き、眉毛のない強面へ、あくどい笑みを浮かべています。


 あれだけむっすりとしていたレオン班長が、こんなにあっさりと機嫌を良くするだなんて。クライド隊長は現在、どれだけ苦しまれているのでしょうか。

 裏社会のボスもかくやの厳めしいお顔が羞恥に歪む様を思い描きつつ、わたくしはレオン班長の腹筋に凭れたのでした。



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