7‐3.一家の最高権力者
『い、いや、マティルダ。気のせいだろう。大体、レオンが妊娠出来るわけねぇんだから』
『分からないぞ、クライド。なんせ特別遊撃班には、凄腕の整備士と、医療の申し子と名高い第四王子がいるんだ。彼らが力を合わせれば、男を妊娠させるなど造作もないだろう』
『いや、造作あるからな?』
しかし、マティルダは気にせず、腕を組む。
『それで、どうなんだレオン。出産予定日はいつだ? もし三か月を切っているようなら、速やかに産休と育休の申請を出せ。それから、どこで育てるつもりだ? 実家か? ならば私も、お前とラナが使っていたベビー用品を、引っ張り出さねばならないな』
『出さなくていいっ。つーか、あれだからな。別にレオンは、妊娠も太ってもいねぇから。単にそう見えてるだけで、実際はあの中にゃ何も入ってねぇんだよ。分かったな? それよりも、レオンを本部にくるよう説得するのに集中してくれ。な?』
クライドは、マティルダの意識をレオンの腹から逸らそうと、何度となく口を開く。
その様子を、レオンは、ライオンの尻尾で座面を叩きながら眺めていた。
やがて、にたりと、口角を持ち上げる。
耳を一つ揺らすと、レオンは、徐に軍服の襟元を、少し開いてみせた。
「お袋」
『ん? なんだレオン。私とクライドが談笑しているから、また拗ねたのか?』
「ん」
軍服の中で眠るシロの顔が、マティルダに見えるよう、体を傾ける。
すると、マティルダは、目を丸くする。
そのまま二・三瞬くと、ゆっくりと弓なりにした。
対するクライドは、
「げ」
と顔を顰め、レオンを睨む。
並の相手ならば震え上がる程の迫力だが、しかしレオンは、平然と口を動かす。
「シロクマの子供だ。少し前に拾った。今、うちの班で飼ってる」
『ほぅ、シロクマの子供とな』
マティルダは身を乗り出し、楽しげにスクリーンを覗き込む。ライオンの尻尾も、ゆるりと波打った。
『なんだ、妊娠していたわけではないのか。遂に私も孫を抱けるのかと、少々張り切っていたのだが。残念だな、クライド?』
『いや、だから、レオンは妊娠出来ねぇから』
『だが、物は考えようか。レオンが飼っているということは、シロクマにとってレオンは親代わりのようなものだ。レオンが親ならば、レオンの母である私は、そのシロクマの祖母に当たる。つまり私とそのシロクマは、祖母と孫という関係になるのか。ふむ、悪くないな』
『いやっ、だから違ぇってっ。つーか、なに息子がシロクマ飼ってること普通に受け止めてんだよっ。そこは注意しろよっ』
『何故だ?』
『何故って、当たり前だろうがっ。こいつは、特別遊撃班の船の中で飼ってるんだぞっ? 仕事場でペットをだぞっ?』
『いいじゃないか。陸上保安部の本部でも、軍用に狼を飼育しているぞ? 海上保安部では、軍用以外にも様々な種類の動物がいるそうじゃないか。たかがシロクマ一匹増えた所で、何の問題があるんだ?』
『あるだろうがよぉ。寧ろなんでないと思うんだよぉ……はぁー……だからマティルダに見せるのは嫌だったんだ。くそ……』
頭を抱えるクライドに、レオンは鼻を鳴らす。ご機嫌にライオンの尻尾を揺らし、軍服越しにシロを撫でた。
『レオン。私の孫の名前は、何と言うんだ?』
「シロ」
『そうか、シロか。体を表すいい名前だ』
グルリと機嫌良さそうに喉を鳴らすと、マティルダは、
『では、レオン』
と、ライオンの耳を跳ねさせる。
『私は、初孫の顔が見たい。シロを連れて、一度実家に戻ってこい』
「……は?」
『日にちは、そうだな。一週間後でどうだ。特別遊撃班の船なら、例えどこに居ようと、一週間もあれば本部まで帰ってこれるだろう?』
レオンの眉間へ、徐々に皺が寄っていく。
『さて。そうと決まれば、色々と準備をしなければならないな。クライド。今日は帰りに、少し寄り道をしようじゃないか。デート兼初孫をもてなす為のあれこれを買いに行くぞ。七時にそちらへ迎えに行くから、待っていてくれ』
「……おい、待て。誰が戻るって言った」
『レオンの部屋も掃除しなければならないな。布団も干して、誤飲してしまいそうなものは片付けて、レオンとラナが使っていたベビーグッズも出しておかないと……ふむ、思い付くだけでもやることが沢山あるな。一週間でこなすには、中々骨が折れそうだ』
「おい、俺は――」
『では、一週間後にな、レオン。楽しみに待っているぞ』
愛おしそうに目を細めると、マティルダは通信を切った。
消えた母の姿に、レオンは舌打ちをする。ライオンの尻尾も、頻りに椅子を叩いた。
『……だとよ、レオン』
反対にクライドは、にやりと片方の口角を持ち上げる。
『どうする? 一週間後にお前が帰ってこなけりゃ、マティルダは悲しむだろうなぁ。ラナも残念がるぞぉ? 久しぶりに兄ちゃんに会えると思ってたのに、蓋を開けてみりゃあ影も形もないだなんて、きっと不貞腐れるだろうなぁ。下手したら、しばらくの間は寝る暇もない程通信入れてくるかもしれねぇなぁ』
これ見よがしに言ってくるクライドに、レオンの機嫌はどんどん下がる。
「……くそじじいが」
『黙れくそガキ。こうでもしなきゃ帰ってこねぇお前が悪い。大体、もう子供じゃねぇんだから、ぐだぐだ抵抗してんじゃねぇよ。馬鹿野郎』
ライオンの尻尾が一際強く椅子を叩くと、レオンはもう一つ舌打ちをした。
「……一週間以内にお袋にヤり殺されろ」
『はぁっ!? ちょっ、お、おまっ、なに不吉なこと言ってん――』
ボタンを押し、強制的に通信を終了させた。レオンはふんと鼻を鳴らし、椅子の背に凭れる。そうして、視線を下げた。
軍服の襟元からは、健やかに眠るシロの顔が、相変わらず覗いている。
プスー、プスー、と聞こえる寝息に、ふっと口元が綻んだ。眉間に寄っていた皺も緩め、軍服の上から温もりを優しく撫でた。
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