7‐2.レオン一家



   ◆   ◆   ◆



 つと、軍服の中から、プスー、プスー、と気の抜けた鼻息が聞こえてきた。胸に凭れる重みも、僅かに増す。



 レオンは、軍服の襟元を、少しだけ指で引っ張った。中を覗けば、飼っているシロクマの子供が、健やかに眠っている。

 安心し切った寝顔と、信頼し切った寝姿に、レオンの顔は勝手に緩んだ。



『……おい、レオン。聞いてんのか?』



 深い溜め息が、ライオンの耳を打つ。

 毛のない眉を寄せ、視線だけを上げれば、スクリーンに映るクライドが、額に手を当てていた。米神にも、若干青筋が立っている。



『つべこべ言ってねぇで、いいからこい。こっちはな、お前らが好き勝手やってくれてるお蔭で、各所からの苦情の対応が大変なんだからな? なんでてめぇらの尻拭いを、俺がしなきゃならねぇんだよ』

「隊長だからだろ」

『あぁそうだよ。だからこれは隊長命令だ。すぐさま進路を海上保安部の本部へ変え、速やかに帰還せよ。いいな』



 レオンは口を開かない。代わりにライオンの尻尾が、面倒臭い、とばかりに椅子を叩く。



 ペチン、ペチン、という音と、プスー、プスー、という寝息だけが、執務室に響いた。

 一向に頷かないレオンの反抗的な態度に、クライドはもう一つ、それはそれは盛大な溜め息を吐く。


 そうして、毛のない眉をきつく寄せながらしばし固まると、徐に、腕を伸ばした。慣れた手付きで、通信機のボタンを押していく。



 ピーピーと甲高い機械音が鳴り響いた。音はすぐさま止まり、スクリーンの端に、別の画面が表示される。




『どうしたクライド。業務中に私的な通信など珍しいな。私に会えなくて寂しくなったのか?』




 現れたのは、ライオンの獣人だった。狼のマークが入った陸上保安部の軍服を纏い、機嫌良さそうにゆったりと尻尾を揺らす。


 かと思えば、クライドからレオンへ、視線を移した。



『おや、レオンじゃないか。久しぶりだな。元気か? 相変わらずクライドに似て可愛らしいな』



 レオンからの返事はない。

 ただ、眉間の皺が深まり、椅子を叩く尻尾の威力が増しただけ。



『ん? どうしたレオン。随分と不貞腐れているな。さてはまたやんちゃでもして、クライドに叱られたのか?』

『あぁ、そうだ。しかも、直に説教してやるから本部にこいっつってんのに、抵抗してくるんだよ』

『成程。そこで母親である私を召喚し、説得をして欲しいと、そういうことだな?』

『あぁ。悪いな、マティルダ。こんなくだらねぇことで呼び出しちまって』

『構わない。愛しい夫が、折角頼ってくれたんだ。答えてやるのが妻の甲斐性というものだろう』

『……いや、それ、普通逆じゃねぇか? 甲斐性は夫が持つもんだろう』

『そんなことはない。仮にそうだったとしても、私には関係ない。私は自分の思うように夫を愛し、家族を愛するだけさ』


 目を細め、愛おしげにクライドを見つめるマティルダ。

 クライドは居心地悪そうに身じろぎ、視線を彷徨わせる。眉間へ皺を寄せ、唸り声を上げる姿は、猛獣もかくやの迫力があるものの、それさえ可愛いと言わんばかりに、マティルダはライオンの尻尾を波打たせた。



 そんな両親を、レオンは全く見ていない。己の軍服の中で寝入っているシロを、起こさぬよう眺めている。



『ん? どうしたレオン。さては、私とクライドが相手をしてくれなくて、拗ねているのか?』

「違ぇ」

『そうか。すまなかったな。最愛の夫を前にして、つい視野が狭くなってしまった。等しく愛しい息子を放っておくなど、私もまだまだだな』



 溜め息を零すマティルダに、レオンは毛のない眉を一層顰める。



『所で、レオン。本部への帰還を拒否しているとのことだが、何故だ? クライドと会える絶好の機会だぞ? 私ならば、嬉々として向かう所だが』

「なら、お袋が行けばいいだろう」

『そうしたいのは山々なのだがな。生憎クライドは、私ではなくお前と話をしたいらしい。父と息子の語らいなど、素晴らしいことじゃないか。叶うならば私もその場に居座り、お前達の仲睦まじい様子を肴に酒を飲みたい位だぞ』

「『仲良くねぇよ』」


 思わず口を付いた言葉が、被った。

 レオンとクライドは、一瞬顔を見合わせ、次いでその強面を歪めた。

 そっぽを向く二人に、マティルダは笑みを零す。


『仲良きことは美しきかな、だな』

「だから、仲良くねぇよ」

『仲良しで思い出したが、クライドだけでなく、ラナもお前に会いたがっていたぞ。向こうは王宮勤務だから、私達以上にお前と会う機会がない。たまにはお前の方から顔を出してやれ。わざわざ兄が会いにきたとなれば、ラナはきっと喜ぶぞ。私も、息子が会いにきてくれたら非常に嬉しい。久しぶりに家族水入らずで過ごすのも悪くないな』



 レオンは、溜め息を吐く。ぴくりと揺れたライオンの耳に、マティルダも同じく耳を揺らした。




『ん?』




 つと、マティルダは目を瞬かせる。



『レオン。お前、太ったか?』

「あぁ?」

『もしくは妊娠でもしたか? 相手は誰だ? 私より強い女でなければ、嫁として認めないぞ』



 マティルダは、レオンの膨らんだ腹を見やり、小首を傾げる。



 途端、クライドの顔色が変わる。

 レオンが口を開く前に、割って入った。



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