二十四年目 化生と鬼

 丘の上にあるその洋館は、明治の頃合いに立てられたものだ。文明開化を奇貨として渡来し、幾度もの戦を超えて今も残るそれは、なるほど人の手によるものではないのだろう。


 小高い丘に隠れるようにして、傍らに小さな林を持ち、どっしりとした重厚な作りの館は他を拒む砦のように人里から離れて、それでも遠間から見守ることができるように、付かず離れずの距離に起立していた。客間でその主と対面しているのは、なるほど化生たちであった。 


 真っ赤な紅茶が注がれている。白いティーカップは華奢な取手を備えてソーサーに据えられている。静かに立ち昇る湯気と共に、芳しい茶葉の香りが鼻孔を刺激する。その向こう、対面に座しているのはこの館の主だ。年若い娘といった風体だが――化生がそうであるように、彼女もまた見た目通りのものではない。


 濃藍に近い黒髪、青褪める程に白い肌。指先は鋭利な刃物の様に輝かしく、端正な顔立ちに添えられた紫の妖眼の色合いとは裏腹に、眼元に一つ据えられた泣き黒子と相まってが穏やかな魅力を感じさせる。瀟洒な意匠の洋装は髪色と同じく黒に近い青を基調としており、胸元へと降りる飾り細工の付いたブラウスと、足先まで覆う品の良いスカートは深窓の令嬢と言った風体だ。背丈は流石に化生より幾らかは高いが、それでも精々が年頃の娘といった風体だ。


 真っ赤な色をした紅茶が、ほっそりとした喉元にコクンと呑み込まれてゆく。その所作一つとっても非常に蠱惑的で、ついつい眼で追ってしまう不思議な魅力がある。


 旅行の最中、知人に挨拶をしておきたいとの化生の言葉に従って屋敷を訪れた。どうも館の主が日本に渡ってきた時分に、諸々の関わりがあったとの事だ。


 無粋は承知で、人の子は館の主がどのようなかたちなのか思案する。化生がそうであるように、主もまた一通りでないのだろうが……渡来、渡来か。


 あれこれ思案を巡らせている人の子を見通しているように、館の主は彼に目配せする。


「……わたくしたちは人の命を我が物とすることが出来るあやかし、そういった者達の集まりです。最近はいい言葉がありますね、“吸血鬼”と、そう呼ばれるものが一番近いのでしょうね」


「お前さんも大概時間が緩やかじゃのう……その言葉が出てきたのはもう二百年以上も昔じゃよ」


 化生が半眼で見つめながら指摘すると、「あらまぁ」、と館の主は驚いた顔で口元を覆う。


「貴方には負けるけれども、私も長く生きているものだから……ふふ、若い貴方の片翼に笑われてしまうかしら」


 柔らかに頬を緩ませる彼女の様子も自然体で、凛とした美しさの中に柔軟な穏やかさを感じさせる。カップの中に讃えられた赤が、シャンデリアの温かい光に優しく輝いている。


「これでも、まだ若いつもりなのだけれどもねぇ……」


「呵呵、どこぞの救世主より年上の癖によう言うわい……んん、」


 言いながら紅茶に口を付け、そして言葉そして離す。男は促されるでもなく少量の砂糖を彼女のカップに加える、そしてその分ミルクは多めに。蔦のような飾り細工の施された銀の匙でくるくると静かに混ぜる。そして言葉も無しに、また化生の小さな手にカップを預ける。

「すまんの」

「いいえ」


「……本当に、仲がよろしいのね」


「ん、そう見えるか?」


 館の主は、無言で小さく頷く。


「わたくし達からすれば、羨望で胸焼けがしそうですとも。……人から外れて、それでも人と真に深く交わることのできる、それはわたくし達が渇望し、勝ち取ろうと藻掻いたものですから」


 童女の如き姿である化生も、年頃の少女のような館の主も、その内側は決して人ではない。化生、妖怪変化、人よりも優れ、人よりも強く、人よりも賢い。そして畏怖と共にこう言われるのだ――あれは人ではない。


 あれこれと考えを巡らせる人の子、その胸中を測ったかのように、館の主は彼へと眼を向けて静かに愛想笑いをした。


「……最初は、静かに暮らしていきたいだけだったのにねぇ……。血を飲まねば生きられない、なんてことはないのに。単なる嗜好品の一つなのですよ、それは」


 館の主は小さく口を開けて牙を覗かせる。成る程それは命飲む棘なのだろう、だが、それは彼女がそのように産まれてきたというだけだ。命を啜ったということの証左ではない。


「わたくし達も所詮は仮初の客、人と比べてほんの少し身体が頑丈なだけの、ちっぽけな生き物に過ぎないのですよ……」 


 端正な顔立ちが、すうっと諦念に染められる。永きを生きて世を渡り、夜を超え朝を迎え続けた掠れた眼だ。定命の者には理解できない、超越した存在の悲哀というものが彼女の相貌からは読んで取れた。


「……相変わらずお前さんは変わり者じゃのう……、ほぼ不死の身をして、人と変わらぬと言うか」


「ふふっ、貴女にそう言われるのは心外だわ。けれども、そうね……私は変わり者なのでしょうね。かつては宿命に抗おうと争いに明け暮れた事もあったけれど――今はもうそんな気力はないわ。……貴女が羨ましいわね、誰かと寄り添って生きる、そんな生き方が私にも出来ればよかったのに……」


 人と異なるが故に崇拝され、畏怖される存在。それは圧倒的で、鮮烈で、そして寂しくもあるのだろう。彼等彼女等が望む望まざるに依らず、その生は激しさに満ちている。――彼女の傍らへと寄り添い生きるもの、はまだ姿を見せない。穏やかで愛想の良い気配の中に、それでもどこか諦観に満ちた、日々に膿んだ色彩は隠し切れずに漏れ出している。…天誰も孤独から逃れることはできない。なるほど彼女の言う通り――多少なり人と違うとは言えど――孤独に冒されるその姿は、確かに人と大差ないのだろう。


「ふむ……」


 化生はキコキコと車椅子を動かして彼女へと近づくと、その手に触れて大事そうに抱え込む。


「あら……?」


 不思議そうに顔を傾ける館の主をそのままに、化生は彼女の掌に額を当てて優しく念を送る。


「大丈夫、きっと……貴女にも来る、しあわせな時間が。暖かな安らぎの時間が……、貴女と共に歩いてくれる者が、きっと」


 館の主は少しだけ眼を見開いて、そして緩やかに眼を細め、そして化生の為すが儘にして眼を閉じる。


「……ええ、そうね……きっとそうに違いないわ、貴女がそう言ってくれるのですから……」


 化生に抱えられるようにして、彼女も眼を閉じる。静かな時間。太陽は誰もを平等に照らす。人も、化生も。

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