成り代わった成り代わりが成り代わりを誘い
お館様の一の姫が、輿入れの段になって
それが、彼女の乳姉妹であるところの私が花嫁衣装で船上にあるよう命令された理由だ。巨大な髷飾りが重くて重くて首が凝る。身を飾り立てる意味以上に、花嫁の逃亡防止に括り付けているのでは?とすら思ってしまう(だとしても、今回ばかりはいささか遅きに失したのだが)。
此度の婚姻というのは長らく微妙〜な緊張関係だった両家の和合を目的としたものなので、今更反故にはできない。ここでバカ正直に『いやーお宅ん所の息子さんに嫁ぐはずの娘に逃げられましてね』だの言い放ってあちらの面子をぶっ潰した日には最悪、内戦が起こる。
なので、ともかく、形だけでも婚姻の儀式は執り行った上で、善後策については改めて相談の場を設けましょう……その過程である程度の人数、そして位階の者が詰腹を切ることにはなるのは前提として……というのが、我が郷の判断だ。
しかし、この一連の動きには私という個人の身の安全は何も考慮されていない。あちら側の怒りの度合いによっては、文字通り膾斬りにでもされての帰郷になる可能性もある。それを上回る『最悪』の事態も有り得るのだろうが、それについては敢えて頭から追い出した。今はまだ怯えて蹲っている訳にはいかない。
そろそろ船が沖合に出た頃合いだろう、そう判断した私は明かり取りの窓を細く開けて、装飾兼目隠しの絹織物をズラす。
紺碧の波が遠く遠く広がった先で快晴の空と溶け合っていた。いつ見てもこの内海は穏やかで美しい場所だ。
存分に目に焼き付けようと思った。生きてるうちに見られる綺麗なものは、これが最後かもしれない。
◇◇◇
「──それが其方の言い分の全てか」
「いやまさか」
どうもおかしい事になった。ここは初夜の床で、俺は花嫁と向き合って座している訳だが、眼前の女は縁談相手でない替え玉であると言う。まあ、言われて仕舞えば納得はする。俺はあちら方の一の姫君とはごく幼い時に面識があるのだ。髪や目の色は確かに当時に近く、背格好についてはいくらでも誤魔化せようが、いかに女が化けるとはいえ流石に垂れ目が釣り目になるほどの変化はすまい。
「ともあれ入れ替わりの件を即座に納得いただけたのは助かりました。で、姫様がこの場に居ない理由なのですが……」
「先程情夫と逃げたと言ったではないか」
「いやアレも嘘なんですよね実は」
「何?」
『お静かに』の身振りとともに、偽の花嫁がわずかばかり身を寄せて来た。
「正確には『そういう事にしてある』のです──私どもの郷の者にも真相は伏せておるのです。彼らは頭領の娘御が男を作って身をくらましたとしか思っておりませんから、今後その件について話し合う時は調子を合わせてくださいませね」
ここで『どういう事だ』と聞き返すのもいかにも阿呆のすることに思え、俺はただ黙って彼女の言葉の続きを待つほか無かった。
これもまた安い見栄ではあるのだが、そんな俺の内心を見透かしたのか、偽花嫁が笑みを浮かべる。口の両端をきゅっと上げたその様子は悪童を見るようだ。そういえば、本物の姫君も俺よりいくらか歳上だったが、眼前の彼女も年の頃は近いのだろうか。
彼女が表情と居住まいを正し、改めて語った事の真相はこうだ。
かつて天が裂けて人の子が再び地に撒かれて以来、この地は長らく豪族同士での小競り合いに終始して来ているのは皆の知るところだ。
青年王が諸侯を束ねて統一を果たしたのはつい数年前の出来事に過ぎず、内紛の種はそこここに燻っていた。それが今のこの国の現実だ。
彼女は、その統一政府側と秘密裏に繋がっている身だと言う。きっかけは見聞を広めるための使節団に同行した事だと。ただの小間使いとして帯同したに過ぎない彼女を学生同様に遇し、才覚を見出したのが統一王と、彼に並ぶ人々だった。
「ええ、自分のことを人間っつらする発想を知りませんでしたから、あれには驚きました。以降、私は私が信じるべきものにだけ生命を使おうと思い定めたのです。……姫君へ諸々を『啓蒙』したら、今回の件にも喜んで協力いただけましたよ。今頃は国境も越えて我が王の手配した
こいつは何を言っているんだ?俺は遅まきながら、この女に喋らせ過ぎた事に気づく。
「……私が生まれた土地の長は癇癪を起こして娘の顔を灼くような男で、あなたの御父君は玉座にしがみ付くために産まれた男児を片端から殺すような老爺です。そんな手合いがなまじ権力の場に居座るお陰で私のような裏切り者の跋扈する余地を与えてるんですよ」
その先を聞きたくない。やめてくれ。
「父君をお討ちなさいませ。それが領民の、ひいては我が国のためです」
それはまさしく、俺が長年欲していた言葉であった。それ故に、抗えない。
俺はきっと地獄に落ちるだろう。しかし、この内心から湧き起こるのは確かに喜びだった。
俺はそれが何より恐ろしい。
【81分】
テーマ:【入れ替わり】
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