番外編:捕虜の憂鬱

【36.神の許しなど要りません】の直前、ジゼル視点のお話です。


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 あてがわれた客室で落ち着く頃には、もう夜になっていた。


 さすがに気が滅入めいったものだが、五体満足なのだから、あまり贅沢ぜいたくも言えない。


 予定の時間まで仮眠でもとっておこうかと考えていると、窓の硝子がらすに、なにかが軽くあたる音がした。


 客室は二階で、中庭に面している。窓を開けてみると、少し離れた庭木の、ちょうど目の合う高さのえだに、あきれたことにバララエフ中尉がいた。


「ずっとそこにらしたのですか」


「いや、下から見てて、明かりのついた部屋のところに登ってきたんだ! 良かった、ずいぶん時間がかかってたんで、心配したんだ。大丈夫なのか? あの性悪野郎しょうわるやろうに、なんかひどいことされなかったか?」


「それを確認なされるのも、どうかと思いますが……まあ、条約に抵触ていしょくするほどのものではありません。お気遣きづかいなく」


 どうにも笑顔が軽薄けいはくに見えるのは、本人にとって得なのか、損なのかわからない。


 事実だけを並べれば、彼には色々と助けてもらっているが、油断してはいられない。


 懐柔策かいじゅうさくをとる場合、硬軟こうなんの役割を用意するのは基本的な手段だ。


 カザロフスキー少佐との確執かくしつが見た通りだったとしても、別の上位組織から、別の情報を引き出しにきている可能性もある。


「それで、御用件はなんでしょう。男性が女性の部屋を夜に訪れる用件、となれば、想像がつかないこともありませんが……それは立場上、対応を慎重に考えざるを得ません」


「いや、ちがう! 将来的にはちがわないんだが、そういうことは段階を踏んで進める主義なんだ。今日は、ただ話をしたかったって言うか、まあ、その、なんだ……」


 妙に、要領ようりょうを得ない。演技だとしても、こんな態度が好感にするとは考えにくいが、とりあえず待つ。


 やがて観念したように、バララエフ中尉が波打つ金髪をかき混ぜた。


「なあ、ジルはフェルネラントの軍人だよな。もしかして、アルフレート=クロイツェルっておっさん、知らないか?」


 予想もしていなかった名前を聞いた。多分、変な顔になっていたと思う。


「銀髪で口ひげ生やした、笑い顔の胡散臭うさんくさいおっさんでさ……こいつがまた、冗談みたいに強いのなんのって! 昔、ロセリアに来てた時につっかかって、滅茶苦茶にやられてさ。くやしくて、戦場で会ったら絶対俺が殺してやる、って言ったら、笑いながら、楽しみにしています、なんて……って、うわ! おい、どうしたんだよ、ジル!」


「え……」


 ほおに、涙が流れていた。


 あまりに不意をつかれて、気持ちの整理が追いつかなかった。さすがに、少し気恥きはずかしい。


「申し訳ありません。クロイツェルのおじさまは、父の友人で……私も、幼い頃から良くして頂きました。とても……懐かしくて……」


「そうか……。うわさを聞いて、信じられなくて……つい、無神経なことを聞いちまった。ごめんな、悪かった!」


 無神経などという言葉が、今さら、この人物の口から出たことに驚いた。


 呆然としていると、恐らく登ってきた時と同様に、するすると器用に庭木から降りていた。


「今日は会えて嬉しかった! また明日も来るよ。俺が言うのもおかしいけど、気を落とすなよ。いつか、フェルネラントに帰れる日も来るって! その時までに俺、がんばって口説くからさ。気に入ってくれたら、一緒に段階を踏もうな!」


 もともと大柄おおがらな身体で筋肉も太いから、手を振る動作も、ついでに声も大きかった。


 軽く、カザロフスキー少佐に同情する。こんな調子で敵意を持ってからまれたら、たまったものではないだろう。


 それでも、まあ、涙を武器にするとはこういうことか、と思う。ややこしくない方向に誤解してくれたようだから、放っておこう。


 郷愁きょうしゅう、なのだろうか。


 おじさまの記憶は、父母の記憶と、ほとんど重なっていた。


 幼い日、暖かい庭、いつも変わらない気難しい顔のお父さま、おぼろげだけど優しい笑顔のお母さま、そしてお父さまにほとんど一方的に話しかけるおじさま、そういう都合の良い記憶だ。


 守られることに、なんの疑いもなかった。後悔などないけれど、今はもうない時間と場所を、切なく想うくらいは許されるだろう。


 お父さまは、女性としての自由と幸せを願ってくれていた。そういうことにしている。


 ひるがえって我が身を見れば、ずいぶん遠い場所に来たものだった。


 こんなところに、大した物を隠せるわけもないだろうに。


 衣服を脱ぎ、机に前屈みに手をついた格好で、さんざん時間をかけて探り回された性器と、特にお尻が、まだ痛む。


 後ろで盛り上がっている様子が腹立たしくて、近付いている顔におならでもしてやろうかと思ったけれど、乙女おとめとしてそれもどうかと踏み留まった。


 乙女。


 ふと、疑問がわく。


 の男性の総体的な考え方として、侵入したのが指なら、処女の範疇はんちゅうを出ないものだろうか。


 機会があったら、全生命の集合知しゅうごうちたずねてみよう。


 それにしても今回の作戦は、やけに貞操ていそうの危機にえんがある。


 戦争自体がそういうものなのかも知れないが、これからのことを考えると、価値があるとされている内に誰かにふっかけておくのも手だ。


 と言って、めぼしい相手がいるわけでもない。


「あなたは機械か、猫ですし」


 独り言に苦笑しかけて、悪い考えが浮かんだ。


 確かヤハクィーネ様は、同調から同化に進み、境界きょうかいを失った構成個体と集合意識だけを共有している、とおっしゃっていた。


「適当な相手を同化して、人間端末にするというのは……さすがに、人として駄目でしょうか。それでも、すでにそうなってらっしゃる方を何人か、貸して頂くくらいなら……」


 益体やくたいもない、とはこのことだ。反省する。


 誰にともなく咳払せきばらいをして、開いた窓辺に座った。見上げると、るような星空だった。


 マリリのふえを聞いた夜を思い出す。


 イスハリのみねは黒々と静かな影を落とし、人の世の哀しさとは隔絶かくぜつした、自然の平和の中にった。


 捕らわれの姫君というがらではないが、せめて殊勝しゅしょうに時を待とう。


 その時が来れば、この手は、空から降り立ち死を振りまく、侵略者の手となるのだから。



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 このエピソード、本当は本編に入っていたのですが、ジゼルの毒吐く、もとい独白がひど過ぎてシリアスな流れをぶった斬る、という判断からカットになりました。

 ここで一回クロイツェルの名前を聞いているので、実は本編のジゼルは、同志という言葉とバララエフ当人に反応しただけで、さほど動じていません。

 加筆修正して番外編としましたが、カットの判断は正しかったと痛感します……。

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