37.正義を欲する心があるのなら

 市街地の被害は大きかった。巨大な兵器同士が戦ったのだから当然だ。


 覚悟していたはずだったが、王宮に向かって歩くマリリの顔は、次第に青ざめていった。


 リントとメルルが前を行く。瓦礫がれきと炎と、死体の山をけながら進む。


 何かが、おかしかった。


 死体だ。兵士達の死体ばかりではなかった。


 女と、幼子おさなごの死体が多かった。


 巻きえになった、というのも違う。崩壊した建物の中に、燃えさかっていた炎の中に、抱き合うように重なって死んでいた。


 数えることもできなかった。


 夜明け前の暗い街を、点々と燃える炎の続く道を、死体だけに見送られて歩いていた。


 後ろにクジロイと、チルキス族の男達が続く。皆、気付いていた。無言だった。


 王宮の前、マリリ自身が撃ち抜き、炎上させた装甲車両の炎の中で、母子と思われる人影がげてくずれた。


 炎の前に教主きょうしゅと、修道士が一人立っていた。修道士は教主に拝礼はいれいし、いのりの言葉を唱えると、自ら炎の中に進んで行った。


 マリリがひざを折り、呆然と炎を見上げた。


「どうして……こんな……」


「生まれてしまう子と……生まれてしまった子と、共に生きることも……子だけを死なせることも、できなかったのでしょう。感謝します、姫様……あなたのおかげで……」


「死んだ……みんな、死んだ……っ! 私のせいで、私が……殺した……っ!」


「違います。救われたのです……修道士達もまた、あなたのおかげで、自分の役割をまっとうすることができた……彼女らに、寄り添うことができました……。皆、救われたのです」


 教主が、祈りの言葉を唱えた。


 街から立ち上る炎の煙に、ようやく消えていく炎に、祈りの言葉を唱えた。


「救いたかった……! 助けたかった……! 生きて……欲しかった……っ!」


 言葉も叫びも、声にならなかった。


 マリリは、ただ泣いた。薄く明けていく空をあおいで、泣き続けた。


 イスハリを吹き抜ける風がき、山脈もまた、さざめきうごいているようだった。



***************



 同じ道を、明るい陽射ひざしを受けながら、エトヴァルトが歩いた。ヤハクィーネと、ユッティが続く。


 リベルギント、メルデキントと共に、撃墜げきつい墜落ついらくも覚悟の飛行艇ひこうていに、エトヴァルトまで同乗して来たのだから、あきれたものだった。


「いやあ、清々すがすがしい朝ですね。侵略しんりゃくした甲斐かいがありました」


 ヤハクィーネがいかつい顔で、エトヴァルトの軽口に咳払せきばらいをする。


 あちこち薄汚れ、すり傷と機械油にまみれた整備兵達が、鉄の棒やら工具やらで護衛を気張きばっていた。


 ユッティが野戦服やせんふくの尻に手を当てて、半分眠ったようにふらふらついて来るジゼルを、待ったり、置いて行ったりしていた。


 リントが王宮まで案内する。庭園の門前もんぜんで、マリリとメルル、クジロイとチルキス族の男達が待っていた。


 マリリは目を伏せていた。


「ご苦労様でした、マリリ。貴女あなたも立派な、正義の味方になれましたね」


 エトヴァルトの言葉に、マリリの肩が震えた。


「教えて下さい、エトヴァルト様……。正義って、なんですか……? 私達は……正しいことを、したのですか……?」


「言ったでしょう。今の貴女あなたが、やっと正義になったのですよ」


 マリリが、得体の知れないものを見るような目で、エトヴァルトを見た。


「正しいと信じることを行いながら、自分の正しさを疑い続ける……その自己矛盾じこむじゅんの迷いの中にだけ、正義という一瞬の状態が存在します。疑うことから逃げて、正しさを盲信もうしんした時、それは傲慢ごうまんと悪に変質する……例外はありません」


 エトヴァルトが、マリリの横を通り過ぎる。


「まあ、のんびり寝ていた僕が言っても、まりませんかね」


 エトヴァルトは、苦笑しながら教主に向き合い、拝礼した。


「とりあえず、僕が新しい御主人様です。資金も教育も、当然、軍備も供与きょうよしましょう。イスハバートには、また独立してもらいます。選択の権利はありません」


 教主も拝礼した。


 侵略者の軍靴ぐんかが、王宮へ続く石畳いしだたみを踏みしめた。


 マリリが唇をみしめた。それを背中で見ていたように、エトヴァルトの足が止まった。


「もしも貴女あなたに、まだ、正義をほっする心があるのなら……僕と一緒においでなさい。決して疑うことから逃げられない、残酷な戦場に連れて行ってあげましょう」


 旭日きょくじつが照らす王宮へ、エトヴァルトが歩いて行く。


 ヤハクィーネと整備兵達が、ユッティが歩いて行く。ジゼルも、なんとかまっすぐ歩いて行った。


 マリリは、もう一度、唇を噛んだ。そして頭に巻いてあった、血染ちぞめの布を振りほどいた。


 ひたいの傷を旭日きょくじつにさらして、胸を張り、王宮への道を追った。


 深い緑の瞳には、初めて会った時と少しだけ輝きを変えた、強い力が込められていた。


 クジロイとチルキス族の男達が後に続いた。メルルが、にゃ、と鳴いて、最後にリントが追いかけた。


 放射円に広がり始めたの光の中、教主と、わずかに生き残った人々の唱える祈りの言葉だけが、歩き去る者達の背中を見送っていた。



〜 第二章 イスハリ鳴動編 完 〜

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