第二章 イスハリ鳴動編

16.人の世の哀しさを痛感します

 深い山の夜には、月も星もない。


 暗い闇の枝越えだごしに、わずかな夜空が切り取って見えるだけだ。人間はその闇の向こうに、魔性ましょうのものを想像する。


 猫にとっては、何ほどのこともない。瞳孔どうこうが自然に調整され、滑稽こっけいな人間達を透かし見る。


 最低限の灯火とうかを先頭に、野戦装備に身を固めた兵士達が子ねずみよりも密集し、おっかなびっくり進軍していた。


「困りました」


「問題が発生した、ということか」


「相手のおびえる姿に、なんだかこころよい興奮を覚えています」


 この場にユッティがいれば少しは違ったかも知れないが、全生命の集合知しゅうごうちをもってしても、適切な返答が該当しない。


 恐らく、無視して良い情報だろう。


 リントからの視覚情報は、電子的に再構成して、操縦槽そうじゅうそうの補助画面に映している。


 この半年で見慣れた北方の大国ロセリア帝国陸軍と、その保護国であるシャハナ国軍の混成部隊だった。


「ずいぶん減らしているはずですのに、資源の豊富な国はうらやましいですね」


 軽口と裏腹に、ジゼルの目が、限られた情報の奥を見通すように細くなる。


「歩兵ばかりで、砲兵部隊が見当たりませんね。防衛陣地の攻略が目標ではない、ということでしょうか」


「局地戦の編成だ。リベルギントが目標だろう」


「だとしても、あの程度の携行火器けいこうかきでは打撃力不足が明らかです。おとりの可能性がありますね」


「同意しよう」


 索敵範囲さくてきはんいを広げる。


 具体的には、契約していた同族達の生体情報をもとに各個の現在位置を確認、視覚情報を共有する。


 特に、この山野部さんやぶを生活圏とする山猫達の協力を得られたことが、防衛線維持の大きな助けとなっていた。


 おとりの部隊から東に離れた渓谷沿けいこくぞいに、別動隊の存在を確認した。


 なるほど、断崖だんがいと急流に挟まれて危険ではあるが、的確に支流しりゅうをたどれば、平野部の東南端に出られるだろう。


 政務首都シレナの北東で、そのまま顔を出せばフェルネラント帝国陸軍カラヴィナ方面統合軍の本営を前に立ち往生するだけだが、さらに別の支流をさかのぼって谷間をうように移動すれば、山野部を迂回うかいして防衛陣地の側面をつくことが可能になる。


 苦肉の奇策きさくと言えた。


「その内容を、先生から統合軍司令部に伝達してもらって下さい。少し遠過ぎますし、あちらはお任せしましょう」


「了解した。戦闘行動中は遠距離送信の余裕がない。他に伝えておくべきことはあるか」


「契約報酬を充分に用意して下さい、と」


 唇に手をあてて、束の間、ジゼルが微笑する。


「さて。駒同然ごまどうぜんの彼らを、ただ追い散らすという手もありますが」


「生死を有益と無益で選別するのは難しい」


「同意します。やはりここは、人喰ひとくい山の魔女として、不実ふじつにならないお持て成しを致しましょう」


 リベルギントの全身に、神霊核しんれいかくを通して膨大な電力を供給する。


 後頭部から背面に伸びる積層装甲せきそうそうこうが放熱、燐光りんこうを発して、周囲の枝葉えだはを燃やした。


 両腕に持った二振りの大鉈おおなたは、肉厚の刃の先端が爪のように湾曲し、同じ物を両腰にも固定している。


 障害物となる樹々きぎ伐採ばっさいや、先端をひっかけて機体を引き上げることにも使用する。


 膝下ひざしたには平地用の動車輪ではなく、小口径の回転式機銃を内蔵した対人兵装を換装していた。


 甲冑のような積層装甲は黒ずんだ鋼色はがねいろ、頭部の奥に牙を持つ白骨のような面貌めんぼうが装着されて、足場の悪さから背中をかがめるように曲げている。


「リントは既に敵部隊から離れている。問題はない、朝には戻る、との伝言だ」


「……発情期ではないはずですが」


「彼の自由意思だ。契約対象との円滑えんかつな関係維持活動は、この場合の行動選択として適切と考える」


「時々、人の世のかなしさを痛感します」


 もう一度微笑して、ジゼルが操縦桿そうじゅうかんを握りしめた。


「それでは、私達も参りましょう」


 よどみのような静寂が下りる夜の山で、大型の稼働機械が隠密性を考慮する意味はない。


 連動する寸動制御電動機すんどうせいぎょでんどうき油圧筒ゆあつとうの駆動音が、狂人の高笑いのように、深山しんざんの闇をふるわせて木霊こだました。

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