15.地平を見ていた

 カラヴィナの政務首都せいむしゅとシレナから、海は見えない。


 遠く見晴みはるかす青空に、ただ樹々きぎの緑と鮮やかな花々、街並みの煉瓦れんがと塗り壁の色が連綿れんめんと続いている。


 空気は、いろいろと複雑そうな料理のにおいを乗せていた。


「こんなところで昼寝をすると、干物ひものになりますよ」


 ジゼルがまぶしそうに目を細めて、隣に並んだ。


 白い将校用の礼装に太刀たちき、式典帽しきてんぼう肩帯かたおびも身に着けている。


 ま新しい階級章と勲章くんしょうが、陽光に少しとげとげしく輝いた。


 カラヴィナ総督府の本館は、鉄骨と煉瓦れんがの複合建築で、周囲より頭一つ高い三階建てだ。


 屋上には天をさえぎる何者もなく、確かに、うかつに長居ながいすれば乾燥食材になりかねない。


「地平を見ていた。豊穣ほうじょうの地平だ。風も、しおの香りが薄いのはやや物足りないが、悪くない」


叙情的じょじょうてきですね」


「地形情報としては、四方とも平坦で変化にとぼしい。城壁もなく、交通の便が良いことは、攻めるにやすく守るにかたい。大兵力の展開を許せば、苦しくなるだろう」


「散文的ですね」


 笑いながら、ジゼルが持っていた紙包みを広げた。蒸し魚、煮込み肉、果実などがある。


 にゃあ、と鳴いた声をいて訳すと、今日も御苦労、となる。果実はジゼル本人が、さっそくかぶりついていた。


「ユッティは大丈夫なのか」


「高価そうなお酒もふるまわれましたから、今頃はエトヴァルト殿下にからんでいるかも知れませんね」


 可笑おかしそうに、また笑う。


 笑い事ではないように思えるが、まあ、今さら事態の好転に寄与きよする現実的な行動は皆無だろう。


 全生命の集合知による論理的結論にもとづき、まずは蒸し魚から頂いた。


 奇妙な静かさだった。


 オルレア北方諸国から何らかの物言いはあったらしいが、全て国内問題ではね除けたようだ。


 ただの大演習のはくづけで、すぐに帰国するはずだった帝国陸軍大将エトヴァルト第三皇子が、本国の全権委任駐留大使ぜんけんいにんちゅうりゅうたいしとして見事にさばき切ったと、もっぱらのうわさだった。


 前哨戦ぜんしょうせんは勝った。


 波が引き、すぐにより大きな波濤はとうが押し寄せる。


 次もまた勝てるのか、勝つためにどれだけの人間を殺せるのか、いつかこちらも敵も同じ神霊となり、また生まれ、殺し合うのか。


 生と死が自然の循環じゅんかんなら、それも良いだろう。


 少し物思いに沈んでいたようだ。気がつくと、指の果汁をなめとりながら、ジゼルがこちらを見て微笑んでいた。


「私……あなたのこと、好きですよ。多分お父さまと、同じくらい」


「光栄だ。その言葉を誇りに、いつでも死のう」


 フェルネラント帝国属領カラヴィナは亜熱帯気候に属し、年間を通じて暑く、うるおう。爛熟らんじゅくした果実の匂いと潮風、むせ返る草木の緑が空気を満たす。


 血と鉄と火の匂いも、きっと混然と調和して地平に満ちるだろう。


 ジゼルが満足したかどうかはわからないが、かたわらで同じ地平を見る横顔は、そう、美しかった。



〜 第一章 カラヴィナ風雲編 完 〜

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