8回目 ゴールデンタイムラバー
「江戸湾への入港は認めない」
これは最終決定である、と。閣議にて決定されたのち、江戸城最速の早馬にて浦賀まで伝えられた。
時は幕末、浦賀沖に黒船あり。亜米利加からのかの船を江戸幕府本陣たる江戸湾への入港を許可するのかどうか。その決定が行われていたのだ。
伝えられたるは浦賀奉行所与力、中島三郎助!
ただの与力にすぎぬ三郎助が何故この重大決定である江戸閣議の決定を直接受け取ったのか?それにはこの男について少し説明せねばならない。
中島三郎助、当時年の頃32、若いころから砲術と造船技術に高い才をみせ、一度は褒章ももらったことのある男である。が、英雄英傑の器ではなく、現代で言えばごくごく普通の勤め人といったところだ。しかし。普通の器の男であっても、数奇な運命にいざなわれることがある。この三郎助はまさにそれであった。
黒船来航時、たまたま見回り役であったのがこの三郎助である。相手は欧米最新の武器をそろえた、身の丈一回りは上であろう海兵たちである。あくまで重役との対話のみを求めた黒船に、一世一代の芝居をうち、副奉行(そんな役職はなかった)である、と言い張り、今にも強硬に江戸湾に突入するやもしれなかったところ曲げさせ、幕府首脳陣が対策を考える時間を作ったのがこの男であった。
「無理無理無理無理無理無理無理ィ!」
この情けなく弱音を吐く男、三郎助であった。しかし、だれが彼を責められよう。一世一代、一世一代だからこそできた対応をもう一度せよ、と幕府は言う。方針は「完全拒否」であると幕府は言う。それを黒船に乗り込んで伝えなければならないのは誰だ?
「俺が?もう一度黒船に乗り込んで芝居を打て、とお上はおっしゃる!そんなの無理に決まっておりましょう!」
臆病の虫が騒ぐことを隠しもしない。三郎助とて常に弱いところをさらすわけではない。むしろ彼はこの浦賀奉行所の中では「強い」人材である。で、なければ身一つで他国の軍艦に乗り込み、自分の数十倍の人数の中でだまくらかすなどできようか。しかし二度は出来ぬ、二度は出来ぬのだ。
この局面にあり、与力仲間達は三郎助にあるものは同情し、あるものは宥めていたけれど、全員に共通していたのは安心であった。誰も「お役目が自分ではなかった」ことに安堵し、そして、三郎助を痛ましく思えど代わろうなどとは言いださないのは、「この人柱を逃してなるものか」とみんなが思っていたからであろう。
「うう……」
三郎助は孤独であった。この大役、ともすればお国の存亡すら関わってくる役目がたまたまいた自分に与えられたのだ。この重圧をわかってやれる者は他にいない。
この時三郎助には道が3つあった。
1つは腹を掻っ捌き自らの首を持って幕府に再考を請うこと
三郎助が苦悩していたのは幕府方針を通すのが非常に難しいからでもあった。幕府はあくまで強気であったが、黒船方の日誌に「密偵のごとし」と記録されるほど中身を確認して回った三郎助には、黒船単騎で日本を滅ぼす道すら見えていたのだ。
1つは家族を連れて黒船もお国ももう知ったことかと逃げだすこと
これは常の三郎助の思考には考えすら及ばぬことではあった。それほど彼が追い詰められていたに他ならない。恩に背を向け老いた父を捨て、妻子だけを伴っての逃亡……
そして最後の1つが、腹をくくって黒船に臨む道である。
結局、三郎助は最後の道を選んだ。己の首一つでたとえ幕府の意向を変えられたとしても黒船がそれを待つわけでもなし。そして逃げの道をとれない程度には、三郎助は男であり武士であった。冷静に考え、三郎助は三郎助にとってもっとも簡単な道を選んだに過ぎない。
英雄英傑の器でなくとも、時に人にはたった一つ苦難の道しか残されないときもある。かくなる上は腹括って堂々ことに当たるべし。
三郎助は小舟から黒船に乗り移り、待ち受ける「提督」に向け言い放つ。
「江戸湾への入港は認めない」
お題「最初と最後を同じ台詞で終わらせる」小説を1時間で
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