050 音の出所

 もうかれこれ三時間ほど騒いでいる。

 そろそろ日付が変わる頃だというのに、相変わらず喧しい男達の声がする。

 複数人が歩くような鈍い足音も際限なく続く。隣の部屋でこれほど五月蠅いのだから下の階の住人ともなればよっぽどだろう。

 ここに越してきて一週間ほどだが、隣の部屋の住人がこれほど五月蠅くするのは初めてだった。休日や金曜の多少の騒音なら目をつぶるが、月曜からこんなに喧しくされたのではたまらない。無用なトラブルになるのもごめんだが、流石にそろそろ一言注意しなければこちらの身が持たない。


 誰にともなく大仰に溜息を吐いて廊下に出る。

 隣の部屋を見ると――ちょうど向こうもドアを開けて出ようとしている。

 呼び鈴を押して無視される可能性もあったから好都合だ。

 隣の部屋から出てきたのは女性だった。女性はこちらに歩いてきて、


「ちょっと! 平日のこんな時間までうるさくしないでください! 近所迷惑ですよ!」


 と少し強ばったような顔で俺にそう言った。

 一瞬理解出来ずに呆然とする。

 剣呑な雰囲気だった女性も、俺が面食らったような反応をしている所為で、少し訝しんだような表情になる。


「――えっと、うるさくしてるのは、そっちの部屋――じゃないの? 俺もいま注意しようと思って出てきたところなんだけど……」

「え、あ! そ、そうなんですか!? ごめんなさい、すいません、勘違いしてしまいました!」


 あれー? と本気で困惑している様子の女性。


「……ま、まあ、アパートやマンションの騒音って、実際にうるさくしている部屋がかなり離れている場合って結構あるみたいですからね。意外なところから音がしていることって、あるあるですよ。俺も実際に勘違いしてましたし」

「そ、そう言っていただけると……ああ……すみません」


 平謝りする女性。別にこちらも腹を立てているわけでもない。

 しかし――そうなると騒音はどこからしているのだろう。


 そう思った瞬間、女性の部屋とは逆の、俺の隣の部屋の扉が開いて、


「うるっせーんだよ! 最近多いぞ! 飲んでるのか知らねえけど平日にいつまで騒いでるんだ!」


 と中年の男性が怒鳴りながら出てきた。


「――えっと、そちらも、ですか?」

「そちらもってなんだよ」


 俺は女性と同様に騒音の原因が俺の部屋ではないことを伝えた。

 男性もそれを聞くと流石にきまずそうな顔をする。


「しかし、いったいどこから聞こえてくるんでしょうね、これ」

「上――の階、とかか?」


 そんな風には聞こえなかったけどなあ、と中年の男性は続ける。


「まあ――あり得なくはないですよ。場合によっては、同じ建物の騒音でなく、向かいのマンションの部屋の騒音だった、という例もあるみたいですよ。まあそれは極端な例ですが、そのくらい騒音ってのは変に伝わるらしくて」

「そうなのかぁ……いや悪いな兄ちゃん、さっきは怒鳴っちまって」

「別に大丈夫ですよ。ところで、騒音って結構あるんですか? 僕一週間前くらいに越してきたばかりで」

「うーん、一ヶ月くらい前からあるかなぁ……最初は笑い声がうるせえなって程度だったんだけど、段々宴会しているみたいな感じになって、今日のは騒音が特段ヒデエからついに文句言ってやろうと思ってな」


 女性の方を見ると大きく頷いている。そちらも同様に聞こえているらしい。

 廊下で三人で悩んでいると、エレベーターが到着してドアが開いた。

 中から人が降りてきてこちらの方へ歩いてくる。男性が二人。直観的に、この人たちもか、と思った。その直感は当たっていて、丁度僕の上の階と下の階の住人だった。どうやら彼らは友達同士らしくて、二人で文句を言いにきたらしい。

 同様に事情を説明すると、彼らもばつの悪そうな顔になった。


「しかし、なんで兄ちゃんの部屋がうるさいように聞こえてくるんだろうな。心当たりはねえのか?」

「さあ……俺も隣の部屋がうるさくしているように聞こえてますからねえ」

「ほんとは兄ちゃんの部屋でうるさくしているのにしらばっくれてるだけなんじゃねえのか?」


 中年の男性は冗談めかして言った。少しなれなれしいな、と思った。


「そんなことはありませんよ。そもそも一人ですし。他の人の靴とかもありませんよ。見てみます? ほら」


 と俺は自分の部屋のドアを開けて見せた。


「ほら、靴「ぎゃはははあはははあははあはああはあああああはあっはは」でしょう、それに俺は引っ越「あああっはははああっっははあはあはああっは」ですし「どたどたどたどたどたどたどたどたどたどた!」、まあ別に「ぎゃあああううううううあううああああああおおおおおおおおおおおおおおおお」んですけどね」


 何故か他の住人達は呆然として俺を見ている。

 呆然というより、なにか恐れているみたいだった。


「……どうしたんですか? 別段部屋は散らかしているつもりはないので、見苦しいような部屋ではないと思うんですが」

「に、兄ちゃん……」


 中年の男性は絞り出すような声で言った。


「――あんたいったい、何と、一緒に、住んでいるんだ――?」




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習作置場 鶴川始 @crane_river

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