047 我を賞賛することなかれ。賞賛を要せぬゆえ

 窓の外は痛々しい程に晴れ上がり、雪のひとひらも落ちてこない。宮殿外苑に僅かに積もった雪は表面が融け、陽光を鋭く反射し目を灼いた。

 まさに革命の朝に相応しい天気だな、と第十一代皇帝・龍殿轟ルーデンドルフ狼満ローマンは暢気にそう思った。兵が無闇に疲れなくて済む。吹雪ともなれば不確定要素は大きくなり、要らぬ犠牲が増えるだろう。星見の魔術師の気象観測によれば三日後まで天候は崩れないと予報されている。


「――蹶起部隊は午前二時を以て行動を開始、帝都各地の指定した目標に向けて順次制圧の為の所定の行動を開始いたします」


 蹶起首謀者の一員である呉流門クレルモン庵李アンリは額に汗を滲ませつつ、蹶起当日の計画を述べていった。彼らは今まで自分たちの計画が体制側へと漏れていることなど考えていなかった。否、その可能性について巡らせていなかったわけではない。一定以上の優秀さと慎重さを持つ軍人が作戦行動――しかも政変をもたらす軍事行動を立案するとなれば、情報漏洩に対しては実際の戦場以上に消耗するほどに気を使う。常に背中に刃を突き立てられているかのような恐怖と共に計画を推し進めてきたのだった。


 ――それがまさか、最初から見過ごされていたとは。


 当代最後であることを既に知っている皇帝の隣には、一人の女が立っていた。

 姿スガタ亜理寿アリス

 模造巫女イミテーション・シビュラという怪しげな肩書きを名乗るこの魔術師は、穏便に政権を次の段階ステージへと移行させるために皇帝に仕えているのだという。彼女はこの世界の安寧のために、異次元より表れし勇者を派遣することにより、世界の崩壊を防いできたのだと言う。

 それを只の御伽噺だと笑い飛ばすのは、この国の歴史の重みが許さなかった。魔界と天界からの干渉を受け、多様な種族が暮らすこの大陸は幾度となく戦乱にまみえてきた。ヒトが滅びかねない程に荒涼する前に平和をもたらしてきたのは、常に出所の怪しげな勇者たちばかりであった。現皇帝の太祖たる初代皇帝ですらも、彼女の導きによってこの世界に降り立った異次元の者だという。

 この国の歴史の影には常に彼女たちの影があった。


 ――我々もまた、影に過ぎぬのか。

 庵李は計画を読み上げつつ、自嘲した。


 明日の夜になれば蹶起派がこの国の政権を奪っているだろう。そして目の前の皇帝は手筈通りに王宮外へと脱出し、縁戚を頼ってこの国を出て行く。かつて百年ほどまえに辺境へと下向した外戚を頼り、その国で臨時政府の樹立を宣言。そのままこの国の土を踏むこと無く、そのまま生涯を終えるだろう。

 作戦計画には皇帝自身の意見も取り入れられている。宮殿内部の造りに関しては、当然のことながら蹶起部隊の誰よりも知悉している。意外だったのは、皇帝の提案する案は歴戦の武官たちが修正する必要もないほど状況に即した内容であったことだ。世間一般では暗愚であるとされているこの男は、やはり勇者の末裔であったのだと、多かれ少なかれ首謀者の誰もが思った。彼は終わらせるための皇帝として帝位に就き、彼の優秀さは彼自身の汚名を天下に遍くするためにのみ発揮される。

 誰もがその事に同情を覚えない方が難しかった。しかし、当の皇帝本人はというとそれが至極当たり前だとでも言うような態度でいる。彼と計画立案の為に長く過ごしたこの一週間、皇帝自身に自嘲や諦観、自棄といった感情をついぞ見いだすことは出来なかった。この国の未来のためにはそうあるべきだと心から信じている。民のためにはそうするべきだと心から思っている。その赤心は、ある意味では帝王としては不適格なのかもしれなかった。だが敬愛の対象としてはあまりに健気に過ぎた。


 気が付けば窓の外は暗かった。

 計画には一分の隙も無い。よほどのことがなければ、明日革命は成功するのだろう。体制側の大多数の支持どころではなく、秘密裏とはいえ皇帝本人が加担しているのだ。失敗しようがなかった。庵李はこの期に及んでそれがたまらなく悲しかった。


 最後に皇帝の顔を見る。

 ――貴方は偉大な皇帝であらせられた。

 その言葉を口にすることは、彼の立場が許さなかった。


 戊堵尼ボドニ歴871年6月17日、帝政は終わりを告げ、復古することなく新たな政権へと移行した。




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