046 一階

「君はここで待っていろ」


 クニヒロは私の方も向かずに、件の建物を見るとそう言った。


「ちょ、なんでここまで来て急に……」

「君が来ても危険なだけだ。意味が無い」


 矢鱈と無愛想な物言いに少しだけ腹が立つ。


「――そうは言っても、貴方、異世界人なんでしょう? こっちきたばっかりなのに現地人無しで依頼こなせると思えないんですけど?」


 クニヒロは片手で頭をばりばりと掻くと、鬱陶しそうに言った。


「レイチェル――君のことを侮っているわけではない。実力も実際に見た。けれども、今回は来るな。相手が悪すぎる」

「そんなことどうしてわかるのよ。まだ建物しか見てないじゃない」

。寧ろ、建物まで見たのにわからないのなら、来るな」


 本当に危険なんだ、とクニヒロは一層口調を強めた。


「――そうは言ってもね、冒険者ギルドに依頼出して一ヶ月も解決出来てない案件なのよ。そりゃ緊急性が低いって言ったらそれまでだけど、でもそれなりに慣れた連中でも解決出来てないギルドの依頼に、ひよっこ一人で突っ込ませて死なれたら流石に目覚めが悪いのよ」

「こっちも同意見だね。素人に出張って欲しくないな」

「……ならいいわよ! 私がアンタの依頼と関係なく入ってやるだけだから」


 クニヒロが何か言う前に、私は扉を開いた。

 自分でも何故こんなに意固地になっているのかわからない。

 異世界人は往々にして特殊な能力を持っていると聞く。そのことに対して妬みがあるわけでもない。クニヒロに実力でも見せつけたいとでも思っているのだろうか。先輩風を吹かそうと躍起になるほど余裕を失っている筈では無い。

 わからない。

 無性に苛々する。


 中に入ると妙に真新しい感じがした。

 ギルド本部附の不動産屋の話では一年以上も手が入っていないと聞く。

 廊下の窓から入る光の柔らかさが妙に場違いに思える。

 簡単な魔導感知を行ったが反応がない。

 先日のクニヒロの話では――こちらの世界の心霊現象には、多かれ少なかれ魔法が関わっていると聞く。矢張り心霊現象とやらではないのではないか。

 しかし油断はならない。

 心霊現象となくとも、この建物には確かに危険な存在が居る筈なのだ。

 それが幽霊かモンスターか人間かであったともしても――危険なことに変わりは無い。


 剣を抜く。室内用の刃渡りの短い剣だ。さほど値の張る物ではないが、普段使いの延長としてなので性能としては充分だろう。寧ろ使い捨てにするぐらいで使用するものだ。

 高速詠唱術式も数本忍ばせている。室内ならこれで充分だろう。


 最初の部屋の扉を開く。間取りは基本的にどの部屋も同じらしい。水回りの関係で位置が対称になっている部屋もあるらしいが、基本的に一人暮らしを想定した安い共同住宅だ。なにかを仕込むほどのものもない筈。

 ゆっくりとドアを開ける。きいい、と立て付けの悪そうな音がする。

 前の持ち主が残したらしいカーテンが閉められていて、廊下に比べるとやけにくらい。少し埃臭いような感じはするが、なにか生物が居るような気配は無い。

 足下を確かめるように、中に入る。木の板が張られている。腐っているようなことはなく、特に軋むような音はしない。


 部屋の中央まで来る。何も無い。

 とりあえずカーテンでも開けようか――と思って手を止める。

 反対側にはクローゼットの扉のようなものがある。背を向けた瞬間に飛び出してくる可能性は否定できない。

 ――多少暗いが、先にこちらを確認するべきだろう。

 そう思ってクローゼットの扉に手をかけると、


「開けるな」


 妙にくぐもった聲がする。

 どこから聞こえてきたのかわからない。口に布でも押し当てられたかのようにはっきりしない声音だ。クニヒロの聲では無さそうだ。

 ――そういえばクニヒロが私の後に続いてきていない。

 止めるにしろ放置するにしろ、別にこの建物に入らない理由は無い筈なのに。


 悪寒がする。

 風邪でも引いたかのような怖気が一気に全身を伝う。


 この扉を開けてはいけない。直感で理解する。

 少しずつあとずさる。目を離してはいけない。このまま目を逸らさず、カーテンを開けて光を中に入れよう。後ろを見ずにカーテンに手をかけようとして――掴めない。恐怖で距離感を見誤ったか――と一瞬だけ後ろを見ると、


 カーテンは無く、窓の外が漆黒の闇になっている。


「ひ……っ!」


 瞬間窓が割れ破片が飛び散る。


「もえゆけたえゆけかれゆけいきりょういぬがみさるがみすいかんながなわとぶひへんびそのみのむなもとしほうさんざらみじんとみだれやそわかむこうはしるまいこちらはしりとるむこうはあおちくろちあかちしんちをはけあわをはけ――」


 くぐもった声が強くなる。文節も句読点もなさそうな淡々とした言葉だけが聞こえてくる。

 膝を突く。全身からどっと冷や汗が出る。吐き気で目が滲む。視界が揺れる。

 まずい。あのときと同じだ。

 ――心霊現象。

 根源的な恐怖が体を縛る。死の恐怖ではなく、恐怖という概念を体にたたき込まれている感じ。思わず赦しを請う言葉が出そうになる。なににたいして? それすらもはっきりとしない。


「――だから来るなと言ったんだ、莫迦者が」


 何かが破裂する音がした。

 きいいいいん、となにか甲高い音がして、

 それから、

 ぎゃああああああああああああああ、

 と誰かの叫び声がした。


 気が付くと部屋の窓から光が漏れていて、本来見えるべき筈の曇り空が見えた。

 窓ガラスは粉々になっていて、カーテンは付けられていない。

 部屋は恐ろしいほどに荒れている。一年外気が入り続ければこうなるだろう、という位に部屋は荒れ、黴が生え、木は少し腐っている。


 隣に立っているクニヒロは、先ほどまでと違う黒い服に身を包んでいる。

 魔術師が着るローブのように見えて、造りは少し異なる。異国の出で立ち、というのが一瞬で理解出来る。何か帽子のようなものを被っているが、奇妙な形をしている。先ほどまでは目にかかるほど伸ばしていた前髪をすべてその帽子のようなものに収めている所為で、クニヒロの目がよく見える。

 狐のようだ――と思った瞬間、急激な吐き気が再びこみ上げてきた。

 たまらず床にぶちまける。いくら冒険者と雖も、女が男の前で晒す醜態ではない、と思いつつも、こみ上げた者は止らない。


「踏み入れたからには、終わるまで帰れない。この先、このような霊が何体も出てくるぞ。あとは気合いを入れるしか無い」


 怒ったように言いながらクニヒロは私の背中を摩る。妙に優しい手つきが似合わない。


「ふん、一年で済まないな、この恨み辛みは。仕掛けが妙に巧妙に巡らされている。こうなると此方の世界の術式なのか、誰かが元の世界か持ち込んだものなのか、ちいともわかりゃしない」


 レイチェル、さっきなにか聞いたか、と訊ねてくる。

 わからない、と息を荒げながらそれだけ答えた。


「なにかわかればよかったが――まあ無理だ。あとはひとつひとつ潰していくしか無い。気を付けろよ、レイチェル――」


 引きずり込まれたら終わりだぞ、と異世界人は冷たく言った。




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