041 Er führt mich auf gerechtem Steige
踵フェチなんだよ、と
「踵フェチぃ?」
「その言い方で合ってるかわからんけど、まあ、踵フェチ? だからかな」
「ふうん……?」
滝村はパート練習後の合わせになると目線が下がる。
私はソプラノで、滝村はベースだ。部屋の真ん中にピアノが置いてあり、そこを中心に半月を描くように部員が並ぶと、ソプラノの対面にはベースが来るようになる。
伴奏のある曲の合わせになると滝村は目線が下がることに気付いたのは昨日のことだった。全員で合わせているときには滝村も顧問の先生の指揮を見ているが、ベース以外のパートが個別に練習しているときには、何故か目線が下がっている。昨日はテノールがやたら引っかかって、合わせの段でそこに指導の時間が多めに割かれていた。なんとなく前を見ると滝村は楽譜を眺めるわけでもなく、指揮を見ているだけでもなく、ただ目線が下がっていた。
それを疑問に思ったので訊いてみたら、踵フェチだと言われたのだ。
「えーと……その、興奮するの? 踵に?」
「いや、興奮はしない……ただずっと見ていたいだけ……」
「ふうん……それで合わせだと目線が下がるってことか……え、よくわかんないな、それフェチって言うの?」
だからその言い方で合ってるかはわからんて、と滝村はぶっきらぼうに言う。
「なんか、こう……ペダル踏むじゃん、ピアノ弾いてるとき」
「踏むね」
「あのときの足の動きが……可愛いんだよな。激しい曲だとめっちゃ動くじゃん、足も。あれがいいんだよな、なんか。動くのは足全体だけど、踵が特に可愛いんだよ。内履きの。わかるか? わかれ」
「わからないよぉ……」
「ま、弾く側の人間にはわからない趣味か……」
何故か私が機微や粋を解さない無粋な人間であるかのような言い草の滝村。
普通に腹が立つ。
私は伴奏なので、音楽室の中央のピアノで、その曲の合わせになると合唱には参加しない。合唱部の定期演奏会のセトリから一曲貰えた。貰えたというより、私は二年生だけれど、伴奏役が足りないので駆り出された、という方が正しいかもしれない。
「え、じゃあ近藤が伴奏やってるときも踵に萌えてるの?」
「なんで野郎の踵に萌えなきゃなんねんだよ。女子限定だよ」
近藤は私や滝村と同じ二年のテノールで、同じく定期演奏会の伴奏役になっている男子だ。身長が180cm以上あって体付きもよく、合唱部員というよりラガーマンのような体格だ。それがピアノを弾いているのは最早圧巻である。
「そうだ、試したいことあったんだよな。普通の大人のピアニストってさ、ハイヒール? 履くじゃん」
「え、履かないでしょ、演奏するときにはそんなに踵高い靴は……多分それパンプスでしょ?」
「ああ、パンプスかあれ。でさ、あれ履いてるのって学生だと居ないじゃん。内履きか、大会だとローファーとかだし」
「まあ合唱じゃなくてピアノ演奏の方のコンクールとかじゃないと履かないんじゃない?」
「で、ネットに上がってる女性ピアニストの演奏動画ってさ、みんなドレス着てるから丁度踵がよく見えないんだよね。いやまあ俺の探し方が足りないのかもだけど」
「まあそもそも足下そんなに映さないだろうしね」
「で……悪いんだけど安達、いっかいパンプス履いてピアノ弾いてみてくんない?」
「え……ええ!?」
「頼む~見たいんだよ、間近で! 何でもおごるから! 500円以内で!」
「何でもじゃねーじゃん、それ……」
滝村はやたらとしつこく頼む込むので、最終的に弾くことになってしまった。
パンプスなんか履いて登校してないので、顧問のもうひとりの女性の先生からパンプスを借りて弾くことになった。土足にならないように念入りに靴を拭いてから。
曲はシューベルト合唱曲『Der 23 Psalm』。
定期演奏会で私が演奏する曲だ。
かつてこんな名状し難い気分でピアノを弾いたことがあっただろうか。
単に気乗りしないというのも違う虚無感。
隣に居る男は演奏もそっちのけで私の踵を見ているのである。
いやピアノの演奏を主で取り組むのは中学でやめたから、今更そこに拘るつもりはないが、こう……なんなんだこの気持ち!
そしてパンプスは履き慣れてないので違和感がすごい。
私は結局本番でピアノを弾くときにパンプスを履かなかったな――と弾きながらつらつらと考えてしまう。
私がパンプスを履いてピアノを弾くのを見たことがあるのは、滝村だけになるかもしれない。
まるまる弾き終わってから滝村を見ると、
「……ちょー良かった! お前の踵最高だよ!」
と、あんまり嬉しそうに滝村が言うので。
「ちょーキモい」
笑顔を作って。
私はそう言った。
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